「核なき世界」の理想と現実 バイデン大統領は広島で何を語ったのか[2023/05/22 06:00]

G7広島サミットの開幕に先立って行われた19日の原爆資料館の訪問。バイデン大統領を乗せた車列が平和公園に到着したのは、予定より10分以上も遅れていた。

この日の午前、バイデン氏は滞在先のホテルでテレビ会議に臨んでいた。債務上限問題をめぐり議会側との交渉について、本国から報告を受けるためだ。到着が遅れた理由は定かではないが、車から降りたバイデン氏の表情はいつになく険しいものだった。

■難航した原爆資料館への訪問

原爆資料館での滞在時間はおよそ40分。岸田総理自らが案内役となって、G7首脳は原爆の実相を伝えるいくつかの展示品を視察し、被爆者の小倉桂子さんとの対話も実現した。しかし、日本政府は館内での取材を認めず、首脳がどこで何を見たのか、詳細については公表を避けている。外交上の“配慮”がその理由だ。

原爆資料館の訪問自体、調整は難航した。交渉担当者の一人はホワイトハウスから懸念が伝えられたことを認める。アメリカでは戦争の早期終結につながったとして、原爆投下を正当化する声が依然として根強く、原爆資料館の訪問に注目が集まることで、来年に控えた大統領選挙に影響が出かねない。さらには、核保有国の首脳が凄惨な展示品を見ること自体、核抑止力を損ないかねない、ロシアのプロパガンダに利用されるなど、様々な指摘が伝えられた。

サリバン大統領補佐官は今回の訪問は「日米2国間の行事ではなく、G7首脳の一人として歴史と広島出身の岸田総理に敬意を表するものだ」と強調。“謝罪”と受け取られかねない言動を避けるため、バイデン氏が訪問当日にメッセージを発信することはないと予防線を張った。日本側もホワイトハウスの意向を踏まえ、「謝罪を求めるつもりは毛頭ないし、アメリカが嫌がるようなことはしない」(日米外交筋)と、展示内容や滞在時間などで配慮を見せた。

■バイデン大統領の持論は「核なき世界」だが…

バイデン氏は上院議員時代に外交委員会の委員長を務めるなど、アメリカの外交政策に長く関与し、核軍縮に強いこだわりを持つ政治家として知られている。核兵器が果たす役割を減らしていくことで核兵器への依存をなくし、「核なき世界」の理想に近づけるというのが持論だ。2020年の大統領選では核軍縮を進めることを公約に盛り込み、“核兵器の目的は核攻撃の抑止と報復だけに限定する”と唱えた。これは「唯一の目的」と呼ばれる政策で、核兵器の使用基準を厳格化することを意味する。アメリカが率先して核兵器の役割低減を進めていけば、他国もそれに追随するはずだという信念があった。

しかし、バイデン政権として去年10月に公表した「核戦略の見直し」(NPR)には、「核抑止力の維持は国家の最優先任務である」と位置付け、核兵器の近代化を引き続き進めることを確認した。核兵器の使い勝手を悪くしかねない「唯一の目的」は盛り込まれることはなく、トランプ前政権の方針をほぼ踏襲する形となった。背景にあるのは、核をめぐる国際情勢の急激な変化だ。

■2つの核大国、ロシアと中国に対峙する局面

ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用も辞さないと脅しをかけるだけでなく、米ロの間で唯一残る核軍縮の枠組み「新戦略兵器削減条約(新START)」の履行を一方的に停止した。情報公開を拒み不透明なかたちで核戦力を増強させる中国は、2035年には現在の4倍近い1500発の核弾頭を保有すると見られている。北朝鮮は戦術核の大量生産を新たな目標に掲げ、先制使用の可能性さえ示唆している。

アメリカが核兵器の使用条件を厳しくすることは、日本や韓国、欧州の同盟国にとって核抑止の効果を下げ、安全保障を損ないかねないという懸念があった。また、中国の台頭によって、アメリカは史上初めてロシアと中国という2つの核大国を同時に抑止しなければならないという未来が待っている。バイデン氏としては持論を封印し、現実的な対応をせざるを得なかった。

■核兵器への言及はわずか…会見の7割は債務上限問題に

米シンクタンク・軍備管理協会のダリル・キンボール会長は、こうしたバイデン氏の“変節”を「非常に失望した」とした上で、広島でのG7サミットでは「核軍拡競争から脱却するための具体的なステップを説明する機会にもなる。バイデン氏は広島で核なき世界に向けたビジョンを説明する特別な機会と責任を担っている」と私の取材に答えた。

広島で何を感じ、何を考えたのか。滞在最終日の21日夜、バイデン氏が記者会見に臨んだ。冒頭、債務上限問題に触れた後、今回のG7サミットの成果について語り始め、原爆資料館の訪問について、こう述べた。

「原爆資料館を訪れたことは、核戦争の破滅的な現実と、平和を構築する努力を決して止めないという共通の責任を強く思い起こさせるものであった。G7の首脳と共に核兵器のない世界を目指して努力し続ける決意を表明した。」

しかし、広島や核兵器についての言及はわずかこれだけ。質問の7割はアメリカメディアによる「債務上限問題」に集中したまま、記者会見は打ち切られてしまった。

■バイデン大統領が原爆資料館で記した言葉

今回のG7サミットでは、岸田総理が主導する形で、核軍縮に特化した首脳文書「広島ビジョン」が発表された。ロシアによる核の威嚇も使用も許されないと断じつつ、核兵器が持つ抑止力の重要性にも力点を置いた。また、「核兵器のない世界という究極の目標」を再確認する一方で、核軍縮はあくまで「全ての者にとっての安全が損なわれない」ことが条件だとした。

被爆地・広島でのサミット開催ではあったが、国際情勢の急速な悪化を受けて、核軍縮が後退した印象は否めない。だが、G7の首脳が一堂に会して原爆資料館を訪問した意義は、軽んじられるものではないだろう。

バイデン氏は原爆資料館の芳名帳にこう記している。

「この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう。信念を貫きましょう。」

バイデン氏は先月、再選を目指し来年の大統領選挙への出馬を正式に表明した。「信念を貫く」という言葉が言葉だけで終わらないよう、現実と理想のはざまで核軍縮をいかに進めていけるのか。これは唯一の被爆国・日本で生きる、私たち一人一人に突きつけられた重い課題でもある。


ANN ワシントン支局長 (テレビ朝日)梶川幸司

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