「不倫説」から「権力闘争説」まで…消えた中国外相“説明なき”解任にくすぶる憶測[2023/08/01 07:00]

中国便り12号 
ANN中国総局長 冨坂範明  2023年07月 

7月26日、水曜日。北京市内にある中国外務省の会見室は、満員の記者とカメラマンであふれていた。前回の赴任時を含め、私も100回以上は通った場所だが、これまでで最多といってもいいだろう。
集まった、主に海外メディアの記者たちが求めているものはただ一つ。
「外相の秦剛氏は、なぜ解任されたのか」という疑問の答えだ。
午後3時、定刻通りに報道官の毛寧氏が現れ、フラッシュがたかれる。記者会見の始まりだ。

■20回以上聞かれた質問 外務省のHPには掲載されず

その前日の7月25日に、秦剛氏は突然解任されていた。中国の国会にあたる全人代=全国人民代表大会の常務委員会が開かれ、秦剛氏の解任を決めたのだ。それまで1カ月以上公の場に姿を見せていなかった秦剛外相が、ついに解任されたことになるが、国営の新華社通信を通じた発表は中国語で20字余りの、非常に短いものだった。
「秦剛氏が(国務委員と)兼任していた外相の職務を解き、王毅氏を外相に任命する」。
事実関係を述べただけで、理由は何も説明していない。
当然、海外メディアの記者たちは秦剛氏の「勤務先」だった中国外務省の会見で、その理由を問いただそうと待ち構えていた。

26日の会見で最初に指名されたのは、国営のCCTV=中国中央テレビだった。中国では、国や党が運営している、いわゆる「官製メディア」は、報道機関というよりは、宣伝機関としての側面が強い。秦剛外相解任を最初に伝えた新華社通信も「官製メディア」だ。注目された1問目の質問だが、内容は我々海外メディアの記者が、聞きたかった質問ではなかった。
「グローバルサウスの国々との協力を中国はどう考えますか?」
予め用意されていたのだろう。報道官の毛寧氏は、淡々と中国の立場を答えていく。
2問目、3問目も秦剛氏とは関係のない質問を官製メディアが投げかけ、ようやく4問目で、海外メディアのロイターの記者に質問の機会が回ってきた。彼は単刀直入に聞いた。
「秦剛外相は、なぜ解任されたのか?」
それに対する、毛寧氏の答えは、禅問答のようなものだった。
「その件は新華社が発表したので、調べてみてください」

その瞬間の海外メディアの心の声を代弁すれば、以下のようになるだろう。
「えっ?新華社が解任理由を説明していないから、質問しに来ているのに、新華社を調べろとは、どういうこと?別の記事があるの?」
当然、別の記事などはなく、説明をする気がない、もしくは説明したくてもできないということだったのだ。

その後も、私を含めて、海外メディアからは秦剛氏に関する質問が相次いだが、毛寧氏は冷静に、一言ずつ回答していった。
「提供できる情報はない」「新華社を調べて」「すでに説明した」
この日の会見で出た質問は官製メディアのものも含めて28問、そのうち21問が秦剛氏に関するものだった。しかし現在、中国外務省のホームページには、会見自体については掲載されているが、秦剛氏に関するやりとり部分はすべて抜かれている。秦剛氏の去就に関する海外メディアの大量の質問は、会見からは「なかった」ことにされてしまった。

■飛び交う「不倫説」 外交部は「健康問題」を理由に

秦剛氏が最後に公の場に姿を現したのは、6月25日のベトナム外相との会談だ。その後、2週間ほどたって、動静が途絶えたと騒がれ始める。ネット上を始め、様々な憶測が広がったが、最も拡散されたのは、香港フェニックステレビの女性キャスターとの「不倫説」だ。彼女はアメリカで秦剛氏を取材していて、その時の写真をSNSにアップしていた。ただし、不倫説に確たる根拠があるわけではない。

当の外務省は当初「健康問題」を理由としていた。7月中旬の国際会議への秦剛外相の欠席の理由について、7月11日の会見で報道官は、「健康上の問題」と明言したのだ。当時、新型コロナウイルスへの感染も取りざたされたが、複数の外交筋はその説を打ち消した。コロナにしては、感染期間が長すぎるというのが一つの根拠だ。中国外務省も、その後「健康問題説」を言わなくなった。
となると、もっと深刻な理由の可能性がある。

■「規律違反」か 異例の出世に対する「権力闘争」か

残るは、秦剛氏に何らかの深刻な違反行為があったため、解任されたという「規律違反説」だ。
さらにその派生型として、中国外務省内の権力闘争の末、秦剛氏の違反が明るみに出て失脚に至ったのではという「権力闘争説」もある。

確かに、秦剛氏の出世のスピードは速かった。
私が秦剛氏と最初に会ったのは、今から10年前の2013年。場所は中国外務省の会見室だった。当時は外務省の報道局長として、記者の質問に答える立場だった秦剛氏だが、最初に名刺交換をした際の、堂々とした態度と、流ちょうな英語が印象に残っている。
その後、2015年に儀典局長に就任したのち、外務次官補、外務次官へと順調に出世。2021年には、中国が最も重視するアメリカの大使に任命され、2022年10月の党大会を経て、12月末に56歳の若さで、外相に就任することとなる。

その間、「権力闘争の結果では?」と、憶測を呼ぶ事態もあった。
2022年6月に、秦剛氏のライバルの外相候補と目された楽玉成氏が、外務省から畑違いの「国家ラジオテレビ総局」の副局長へと異動したのだ。楽氏はロシアに近く、秦剛氏は欧米と繋がりが深かったことから、外交路線の争いも取りざたされた。しかし、楽玉成氏の異動についても、中国外務省からは、何の説明もなかった。

■日本と違い見えない「解任理由」 ナンバー1、2の兼務も異例 

私は中国赴任前に日本で経済部の記者をしていて、担当期間中、多くの大臣の辞任を経験した。
振り返ってみると、日本の場合は、辞任に至った理由、その過程が非常にわかりやすいのが印象的だ。
2009年2月の中川昭一財務大臣の辞任の際は、ローマでの記者会見で酩酊していたのではという疑惑が引き金となった。
また、記者会見での絆創膏姿が注目を集めた赤城徳彦農水大臣の辞任(2007年8月)の場合は、就任からわずか2カ月の間に事務所費の問題など、不祥事が続出していた。

一方、中国の政治の内情が漏れ伝わってくることは、ほとんどない。
秦剛氏の後任には、前に外相を務めていた王毅氏がカムバックすることとなった。王毅氏は、就任の言葉で「中国の特色ある大国外交の新局面を、絶えず切り開いていく」と強調した。ただし、すでに王毅氏は政治局委員として中国の外交トップの立場になっていて、秦剛外相より上の地位にあった。いわば、中国外交のナンバー1と、ナンバー2を王毅氏が兼任するわけだが、身体的な負担も大きいだろう。いずれは別の人物が、外相に着くと思われる。

また、気になる動きもある。先に言及した、秦剛氏のライバルとも目されていた楽玉成氏が、7月28日に「国家ラジオテレビ総局」の副局長を辞任したのだ。楽氏も問題を抱えていたのか、もしくは秦剛氏の後釜として外務省へと戻る布石なのか、気になるタイミングでの人事ではある。

中国外務省の会見は、7月31日から8月11日まで夏休みとなる。しかし、王毅氏の後釜の外相が決まるまでは、秦剛氏の退任劇をめぐるドタバタは、まだまだ続きそうだ。

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