処理水放出 「想定外」の“電凸”攻撃 中国政府はまさかの「黙認」?[2023/09/01 18:30]

中国便り13号
ANN中国総局長 冨坂範明  2023年08月 

8月24日に始まった福島第一原発からの処理水の放出。その直後に、中国政府は対抗策として日本全国からの水産物の全面輸入禁止を発表した。これまで10都県だった輸入禁止範囲を、一気に拡大したのだ。

強硬な対応だが、ここまでは「想定内」の反応といえた。しかし、続いて起きたことは「想定外」のことだった。中国から大量の「迷惑電話」が、日本へと掛けられたのだ。いわゆる「電凸(でんとつ)」攻撃だ。

■処理水への抗議に名を借りた「気軽なうっぷん晴らし」

処理水放出から初めての週末となった8月26日。中国の動画投稿サイトには、日本への「電凸」動画の投稿が急増した。
「もしもし〜」「どうして核汚染水を流すんですか」「バカ野郎」

特徴的なのは、電話をかけるところから切られるところまで、一部始終を録画し、投稿している所だ。悪いことをしている意識は無いのだろう、顔などは一切隠していない。
ある投稿者は食事を取りながら、また別の投稿者はソファーに腰かけながら、中国語の分からない日本人に中国語をまくしたてる。

同時に、日本でも中国からの「迷惑電話」に関する大量の報道が始まった。不可解なのは、「迷惑電話」が、東京電力や政府系機関だけではなく、処理水放出と全く関係のない、ラーメン店や温泉施設にも掛けられていたことだ。同じ番号に何度もかかってくるのは、SNSを通じた呼びかけなどがあるからだろう。

投稿者は、地方に住む、若い男性が多い。処理水の放出に真剣に心配している気配は感じられず、愛国的な行為をアピールしつつ、動画のアクセス数を稼ぎながら、気軽にうっぷんを晴らしているようだ。

もちろん、このような行為は許されることではない。北京の日本大使館は、SNSを通じて、迷惑電話が犯罪であることを強調し、中国政府に対応を求めた。次に注目されるのは、中国政府の対応だ。月曜の中国外務省会見では、日本メディアから、「迷惑電話を取り締まらないのか」という質問が投げかけられた。しかし、その答えは、意外なものだった。

■まさかの「把握していない」あからさまな黙認

「あなたが言及したことについては、把握していない」
中国外務省の報道官は、事も無げに言い放った。そしてすぐに、「日本の海洋放出は自己中心的で、無責任な行為だ」と話を変えた。

処理水の放出に反対する立場は立場として、さすがに今回の迷惑電話のような悪質行為に関しては、中国側も毅然と取り締まるだろうと思っていた私の淡い期待は、簡単に裏切られた。

中国政府としては、曲がりなりにも「愛国的」な行為を止めるわけにはいかなかったのだろう。さらには、「黙認」することで、若者に溜まっている不満のガス抜きを、容認する狙いもあるかもしれない。

そして、北京の日本人社会にも、漠然とした緊張感が、広がっていった。大使館は「公の場で日本語を使うこと」に対して注意喚起をし、夜の飲み会の多くはキャンセルされた。
ある大使館スタッフは、事態は非常に緊迫していると明かしてくれた。
「被害者が出たらフェーズが変わりますから。慎重には慎重を期しています」
そう、最悪のシナリオは、「処理水への不安」が「日本への反発」に変わることだ。

■大使館の警告 最悪のシナリオは「反日デモ」

実際に、火種となりうる行為はいくつも起きていた。中国各地の日本人学校には石や卵が投げ込まれ、日本大使館にはレンガの欠片が投げ込まれた。

関係者の多くが想定した最悪のシナリオは、2012年の尖閣諸島国有化の際に各地で起きた「反日デモ」だろう。当時は日本車や、日本の百貨店が標的とされ、破壊行為を受けるなどした。

ただし、私は現時点では、「反日デモ」が多発する事態にはならないだろうと思っている。2012年当時は高度成長期だったが、いまは経済成長が減速し、民衆の不満も溜まっている。むしろ中国側が、たとえ「反日」目的であっても、社会の安全を脅かすデモ行為を、認めない可能性が高いだろう。矛先が、政府に向かうと限らないからだ。

8月30日には、中国共産党系の環球時報が、「極端な言動を慎むよう」社説で主張した。日本に対する過剰な攻撃は、相手にとって思うつぼだから、警戒しようという内容だ。ロジックはともあれ、沈静化を呼びかけているようにも見える。
幸い、9月1日の時点で、深刻な被害が出るような衝突は起きてない。

■期待されていたインバウンドにも冷や水 

このまま「迷惑電話」や、投石などの嫌がらせは、下火になると期待する。しかし、処理水放出をめぐる対立の構図は、全く変わっていない。日本は何十年にもわたって処理水を放出する予定で、日本産海産物の禁輸がいつ解除されるかは、めどが立っていない状況だ。
団体旅行ビザが解禁され、訪日客の増加が期待されていた10月1日からの国慶節も、ツアーのキャンセルが相次いでいるという。

今一番困っているのは、日本旅行をアピールしていた旅行会社や、日本から魚を輸入していた貿易業者、日本の魚を使っていた日本料理店など、「安定した日中関係」を前提に、生活を営んでいる人たちだろう。

「政治は威勢のいいことを言っていればいいけど、こっちは生きるか死ぬかですから」
処理水の放出後、一緒に食事をした中国人の商社マンがつぶやいた言葉が、重く心に残っている。
科学的な説明を粘り強く続けながら、日中関係を再び安定的な軌道に戻すべく、息の長い対応が必要だろう。

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