ガザだけではない…日本の女子高生が見た人道危機 パレスチナの未来は ガザ戦闘半年[2024/04/07 11:03]

 イスラエルとハマスの軍事衝突が始まってから7日で半年、死者数3万3000人を超えたガザ地区の惨状に世界の視線が注がれるなか、もう1つのパレスチナ自治区であるヨルダン川西岸でも人道危機が深刻になっています。去年3月、そのヨルダン川西岸に足を踏み入れたのは、日本の女子高生です。なぜ彼女はパレスチナの地を訪れたのでしょうか。さらに彼女が見た、ガザ地区とは違うパレスチナ自治区の現実とは。

■「壁のせいで母子の命が…」巨大な壁に翻弄

 横浜市の高校2年生、浅沼貴子さん(16)。去年3月、当時15歳だった貴子さんは、NPO法人が企画したスタディツアーに参加し、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸を巡りました。

 ヨルダン川西岸は、ハマスが実効支配するガザ地区と違い、パレスチナ自治政府が統治する自治区です。

 しかし、実際は多くの場所がイスラエルの管理下にあり、街では若いイスラエル兵が銃を携えて監視する姿など、「紛争地の日常」がありました。

 貴子さんが現地で最も衝撃を受けたのは、巨大な壁の存在です。

横浜サイエンスフロンティア高校2年 浅沼貴子さん(16)
「ここは検問所近くの壁。6mとか9mとかあって、絶対に越えることができない壁」

 これは、イスラエルが建設を進めている「分離壁」。テロ攻撃から自国民を守るという名目です。しかし、パレスチナの人にとっては、移動の自由が奪われる“障壁”となっています。

浅沼貴子さん
「(パレスチナ自治区で)巡回診療をしている人たちに同行したんですね。その時に、妊娠をしても壁があるせいで10カ月間病院に行くことができない。赤ちゃんが産まれるとなっても壁を越えることができなくて、検問所で母子共に命を落としてしまうという話を聞いて、この壁というのはただあるだけじゃなくて、それ以上に大きい影響があるものなんだなと思います」

■祖母に憧れ…パレスチナ訪問は夢への一歩

 実はこの巡回診療が、貴子さんが最も見たかった現場のひとつ。背景には、看護師だった祖母の存在がありました。

浅沼貴子さん
「おばあちゃんに憧れて、小さい時から医療従事者になりたいと思っていたんです。実際に人道支援の現場というものを見てみたいとずっと思っていて」

 「医療従事者として人道支援に携わる」。その夢が、貴子さんがパレスチナを訪れる原動力となったのです。

 スタディツアーを企画したNPO法人も、貴子さんの夢を後押ししようと緻密な準備を重ねてきました。

Connection of the Children 加藤功甫代表理事
「現地に行くというのはすごく大きなことなので、自分の目で見て肌で感じて、そこで何を感じるかは彼女の自由かなと」

 貴子さんが訪ねた場所は、比較的安全な場所に絞られましたが、まさに人道危機が起きている現場にも足を踏み入れました。

浅沼貴子さん
「ここの奥の家にはパレスチナ人のおばあちゃんが住んでいて、でもイスラエルの人が突然やってきておばあちゃんを追い出して住み始めてしまったんですね。本当にある日、自分の家を奪われてしまうんだな、生活の隣にあるものなんだなと思いました」

 パレスチナの人々が住む場所に、イスラエル人が移住してくる「入植」。国連が国際法違反とみなしている行為です。

 現地では、難民キャンプ出身のマナールさんからパレスチナの人たちの窮屈な暮らしぶりを教わりました。

浅沼貴子さん
「あなたたちのためにできることは何ですかという質問をしたんですね。その時にマナールが答えたのが、現状を知ってほしい、伝えてほしいということだったんですね」

■「真実を知って」1年ぶりの再会で語った思い

 マナールさんの言葉が強く心に残った貴子さん。帰国後、現地での体験をまとめた本を出版したほか、学校での講演活動などを通して、自ら足を運んだ紛争地の姿を伝える活動を続けています。

浅沼貴子さん
「ハロー、マナール、お久しぶりです」

 訪問から1年、日本での活動をマナールさんに報告しました。

浅沼貴子さん
「私がパレスチナから帰った後に、パレスチナの現状を伝える活動をやっていて、戦争や平和について考えてもらうという活動をしています」

マナールさん
「ありがとうございます。私たちパレスチナ人にとって、皆さんに真実を知ってもらうことはとても重要です」

浅沼貴子さん
「戦争や紛争をなくして平和にしたいよねと言ってくれる人が増えているので、希望を持ち続けてもらいたいな」

マナールさん
「若い人たちが、私たちに自由と普通の生活をもたらしてくれると信じています」

■初めて知った双方の正義「知恵の輪のよう」

 パレスチナの現実に触れた旅の最終日。イスラエルの人たちの視点を知りたいと向かったのは、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストの歴史を伝える博物館です。

浅沼貴子さん
「やっぱりパレスチナ側にどうしても同情というか気持ちが寄ってしまっていたんですけど、(イスラエル人も)今までものすごくひどいことをされてきた、戦後やっと手に入れた自分たちの国というものを、何がなんでも守らなきゃいけないと思う気持ちが分かりました。だからこのままの現状で、どちら側が悪とか、善とか決めてはいけない」

 パレスチナとイスラエル、双方の“正義”を肌で感じた貴子さんは、ある信念を抱くようになりました。

浅沼貴子さん
「私はこのパレスチナ問題というものは解決すると思っていて。この戦争や紛争をなくそう、なくなると思う人が増えれば増えるほど、この戦争や紛争というものはなくなっていくし、それぞれが思い描く平和っていうものにもつながって、平和にだんだんなっていく、なっていくと思います」

(2024年4月7日OA サンデーLIVE!!)

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