【完全版】蓮池薫さん初証言 拉致被害者の生活と横田めぐみさんら「8人死亡」の嘘

[2024/01/10 18:00]

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2002年に北朝鮮から日本に帰国した拉致被害者の蓮池薫さん。番組のカメラに、横田めぐみさんなど「死亡」とされた拉致被害者の安否について初めて詳しく証言しました。

■横田めぐみさんら“死亡”の嘘…初証言の理由

先月、講演のために大阪を訪れた拉致被害者の蓮池薫さん。

拉致被害者 蓮池薫さん(66)
「(講演は)小中学校、高校までもけっこうありますので、そういうの合わせれば年間40回くらい」

拉致問題の現状に強い危機感を抱いています。

蓮池薫さん
「拉致問題は私は今の問題だと。拉致被害者を今のまんま『解決済み』だって言って無視されたら、それはできませんよと」

新潟県柏崎市の海岸から1978年、妻の祐木子さんと共に北朝鮮に拉致された蓮池さん。2002年、24年ぶりに日本に帰国しましたが、横田めぐみさんら他の拉致被害者の安否については「政府の交渉に悪影響を与えたくない」とほとんど語ってきませんでした。テレビのインタビューで具体的に証言するのは今回が初めてです。

Q.インタビューに応じた理由は?

蓮池薫さん
「なかなか事態が動かないというのもありますけども、北朝鮮が依然として拉致問題は解決済みだと、そういうふうに言っているわけですね。この辺でしっかりと国民に知っていただくと同時に、北朝鮮にとってもですね、こういうごまかしきれないというところを知らせたい。そういう思いで、もう明らかにすべきだなと」

安否不明の拉致被害者12人のうち8人は、ほとんどが若くして交通事故や心臓麻痺、ガス中毒などで「死亡」したと北朝鮮は主張していますが客観的な証拠はいまだに提示されていません。また4人については「未入境」としていて拉致そのものを認めていません。

1977年、バドミントンの部活の帰り道に13歳で拉致された横田めぐみさん。北朝鮮は「うつ病で入院中に自殺」したと主張していますが…

蓮池薫さん
「精神的な病というのは普通今たくさんの人がかかる話じゃないですか。もちろん原因がね、あまりにも深刻な原因ではあるんだけども、だからといって北の言ってること、自分で命を絶った、あれは考えられないですね。だって日本に帰らなきゃって強い思いを持ってらっしゃる。そういう方が簡単に諦めて、嘘ですよ、彼らの」

■めぐみさんと「家族ぐるみの交流」

北朝鮮で、めぐみさんと同じ区域に住んでいた蓮池さん。

蓮池薫さん
「ここですね。ここが招待所地区です。で、すっと行くとこれが1号、2号、3号で、我々は1号にいた。で、ここの3号にめぐみさんと田口さんと金淑姫(工作員)が84年に入ってきて」

Q.一緒に住んでいた?

蓮池薫さん
「ええ」

1980年から暮らしたのは平壌郊外の山間にある忠龍里(チュンリョンリ)招待所。当局の厳重な管理の下、拉致被害者はここで北朝鮮工作員に日本語教育を行っていました。個別の接触が禁じられていたため3号棟のめぐみさんと直接会ったことはなかったそうです。一方、その後に引っ越した招待所では…

蓮池薫さん
「あっこれだ!ここです。私の家ですこれ。地村さんのこれが家だったんです。元々ここにめぐみさんたちが住んでたんですが、ちょっと火事起きちゃって、引っ越して、こっちの家に行ったのかな。移ったんです」

1987年から暮らしたという平壌市内の大陽里(テヤンリ)招待所。めぐみさんはこの頃、韓国人拉致被害者の金英男(キムヨンナム)氏と結婚し娘のウンギョンさんを産みました。ここで、翻訳などの仕事をしながら、蓮池さんや地村さんはめぐみさんと家族ぐるみの交流をしていたといいます。

蓮池薫さん
「誕生日に一緒に遊んだり、一緒に祝日の時は幹部が来てショーパーティーみたいなのをやるんですよ。その時は1軒1軒じゃなくてみんな集まって、今日は私の家でやります。今度は地村さんの家でやります、というような感じでやっていたし、その頃はもう会っても良いっていう話、自由に行ったり来たりして。ヘギョン(ウンギョン)ちゃんも家に来て泊まったり。日本の普通の隣近所の付き合いのような感じで、味噌がなきゃ『味噌貸してよ』みたいな感じの生活をしていたと」

「めぐみさんはとても頭は良い方で、韓国語も我々なんかよりかなりうまい。ネイティブのように話されていたし、完璧なバイリンガル。うちらはクセが分かるという、聡明な方でしたね。それと私は、麻雀(牌)を木で作って遊んだんですけど、(めぐみさんは)大変喜んで一緒にやってましたよ。電気消えてもろうそくの火をつけてやるんですけどね」

■初証言 「8人死亡」のウソ

これは北朝鮮がめぐみさん「死亡」の根拠として日本側に提出した「死亡確認書」。死亡日は1993年3月となっていましたが…

蓮池薫さん
「いつまで一緒に暮らしたかというと94年の3月なんですね。見送りまでしたんですよ、うちの家内。病院に行くよという時に。だからこれ93年は嘘だと。これがいかにいい加減なものか、 後で作られたものかを証明しているんだと」

実は、94年にめぐみさんを病院に連れて行ったのは、蓮池さんたちを拉致した工作員、チェ・スンチョル容疑者。北朝鮮は、めぐみさんが入院したのは死亡確認書を作成した「平壌の病院」だと主張しています。しかし蓮池さんは、チェ容疑者本人から中国との国境に近い「義州(ウィジュ)の病院」に入院したと聞いています。

蓮池薫さん
「チェ・スンチョルが車にめぐみさんを乗っけて『じゃあ行ってくるよ』と言って行ったんですよ。うちの家内が寒いから毛布を持っていってあげて、めぐみさんはそのまま行かれたんですよ。平壌から義州行ってくるとなると、少なくとも3日4日かかる、1日じゃ無理ですね。で、3日か4日後に帰ってきたんですよ、チェ・スンチョルが。で、行ったら『病院は思ったより良かった』と。『看護婦さんも優しそうだし、テレビもあったし部屋に。良かったんじゃないか』みたいな話で ちょっと我々のホッとした部分もあったんですよね」

さらに、めぐみさんのものとして提出した遺骨について北朝鮮は「夫の金英男氏が97年から保管していた」と説明していますが…

蓮池薫さん
「97年というと少なくても97、98、99年くらいまでは、我々はその部屋にしょっちゅう行っているのに遺骨がなんでないのって話ですよ、見たこともないし。めぐみさんがもし亡くなったということを知ったら我々に言うわけじゃないですか。それから遺骨の相談もするでしょうし、一切ない。あり得ないんですよ。だから彼の言っていることは、作られた話を言わされている。私はこれは間違いないと思います」

めぐみさん以外についても、北朝鮮側の説明は「嘘」ばかりだと蓮池さんは指摘します。

1987年に大韓航空機爆破事件を起こした北朝鮮工作員、金賢姫元死刑囚に日本語を教えていた田口八重子さん。

田口八重子さん

北朝鮮は「1984年に原敕晁さんと結婚。2年後に原さんが病死し精神的な慰労のための旅行中、交通事故で死亡した」と説明していましたが…

蓮池薫さん
「結婚していないんですよ、断ったんです。うちらとしては料理師だって覚えてるんですよ。料理師さん。だから間違いなく原さんと思われる人ですけど、その方と北はくっつけようとしたんですよ」

原敕晁さんは拉致された当時、大阪市内の中華料理店で働いていました。

原敕晁さん

蓮池薫さん
「(結婚)してないのは事実なんですよ。なぜかって言ったら、86年まで田口八重子さんは、金淑姫(工作員)とめぐみさんと84年から、1年半か2年くらい一緒にいたし。ところが彼らの報告によると2年くらい暮らした後に、原さんが亡くなって、それに思いを病んで、田口さんもその後、亡くなったみたいな。嘘もいいところですよ。作り話で」

鹿児島県から、増元るみ子さんと共に拉致された市川修一さんについて北朝鮮は、1979年7月に増元さんと結婚。そのわずか2カ月後、海水浴中に溺死したと説明していましたが…

市川修一さん/増元るみ子さん

蓮池薫さん
「結婚した時期、 それから市川さんが亡くなったという時期。その時期がるみ子さんとうちの家内が一緒に暮らしていた時期なんですよ。(結婚)2カ月後の9月に、市川さんは元山に行って溺れ死んだ。それは嘘。うちの家内は『違いますよ』と。『るみ子さんとはずっと一緒にいましたよ』と。どこに行くにも一緒でしたよ。結婚なんかしてませんし」

■「従順とみた5人」だけ日本に帰された

では、なぜ8人は「死亡」とされたのでしょうか?

蓮池さんによれば、横田めぐみさんは拉致された時に持っていたバドミントンのラケットを大事に持っていたといいます。

蓮池薫さん
「やっぱりふるさとへの思い、やっぱり切れないというか、なかなか断ち切れない。当然だと思うんですけれどもね、幼くして来られて。そういったところからすごく思い悩むような時もありました」

「家に帰りたいという思いでフラフラっと出たことは(何度か)あるんですよ。出て途中で検問所かなんかで呼び止められて連れ戻されたことはあります」

「もう日本に帰りたいという思いは強かったし、それを北の幹部にね、伝える、はっきりと。これは北朝鮮側とすると、自分たちの思う通りにはならないんじゃないかというふうに考えたと思うんですね。そういう中で(生存)5人、(死亡)8人というふうに分けた」

蓮池さんら5人の帰国は、当初、2週間ほどで北朝鮮に戻ることが前提の“一時帰国”でした。

(蓮池さん帰国時)
「私たちの一時帰国を大変歓迎してくださり本当に心から御礼を申し上げます」

2002年10月 24年ぶりに帰国した蓮池さん

蓮池さんは、北朝鮮が従順だとみた5人だけが日本に帰され、思い通りにならず、不都合なことをしゃべるかもしれない8人が「死亡」とされた可能性があるとみています。

蓮池薫さん
「日本に行って帰って来なかったら困るし、いろいろしゃべっても困る。とすると、限られてきたんじゃないかなと思うんです」

Q.それが5人?

「5人」

「正直結婚してからは、子どもが産まれてからは下手なことは言わなかったです。『もう帰してくれ』とか、言っても無駄だって分かってましたし。そういうのもあって(5人は)言うとおりにするだろうなと。特に子どももいるわけだから、子どもを人質に利用できる」

「そうするとめぐみさんの場合は、その当時すでに病院に行ったという段階で、ご主人(金英男氏)とも別れている状態ですし。それから13歳のときに拉致されて、辛い思いをされて、帰りたいという思いは我々より何倍も強いというのは北朝鮮自体が知っているわけですよ。(めぐみさんが)じゃあ日本人に会ってですね、『(日本に)帰りたくない』と言ってくれるかというと、これは違う。だから出せない。だから(めぐみさんは)生きているという風に考えられるということなんですよ」

■政府の対応は…「非常に残念」「展開が遅すぎる」

めぐみさんの生存を信じ、救出活動を続けてきた横田さん夫妻。しかし滋さんは4年前、再会することなく亡くなりました。早紀江さんは去年2月、自宅で倒れて入院しています。

めぐみさんの母 横田早紀江さん(87)
「死んでしまうってこういう瞬間になんだなってなんか思ったんですね。これでホントに終わりなんだって。だけどこれじゃちょっと困ります、神様お願いですからもうせめて2年だけでも命を下さいって、まだ頑張れる力を下さいって不思議に口から出て」

帰国していない拉致被害者の親の世代は、今では95歳の有本明弘さんと87歳の横田早紀江さんの2人だけです。

岸田総理は去年5月、日朝首脳会談を実現するため「総理直轄のハイレベル協議を行いたい」と表明していますが…

Q.この間の日本政府の動きは?

蓮池薫さん
「非常に残念、不満に思っていますね。つまり展開が遅すぎる。最後なんですよ、親御さんの世代としては早紀江さんと有本明弘さん、これを今までと同じようにやるのって話ですよ、そうはいかないでしょう」

蓮池さんは講演で全国を回り、北朝鮮に対して“期限”を示すことが重要だと訴えています。

蓮池薫さん
「お二人の親御さんが存命されている間の解決。それが終わったら、日本は北朝鮮が思うような外交はしませんよと。時間は日本にもないけど、あなたたちにもないと。いま解決しなかったら、あなたたちが日本に求めているもの(経済協力)は、半永久的に得られないかもしれないよと。これは、北朝鮮には非常に効果があると私は思っています」

姉が拉致された可能性がある女性
「病気してませんか?ごはんは食べれてますか?きっと早く帰ってきてくださいね、お願いだから」

北朝鮮に向けて、拉致された可能性が排除できない特定失踪者や拉致被害者の家族のメッセージを届けている短波ラジオ「しおかぜ」。

短波ラジオ「しおかぜ」 村尾建兒さん
「毎日やっています。1日3時間半、毎日放送しています。これを聞くことによって(拉致被害者に)生きる希望を持ってほしいと」

横田滋さんが生前収録した音声が今も放送されています。

横田滋さん(2015年収録)
「めぐみちゃんお父さんです。めぐみちゃんは元気にしてますか?またこちらに来たら、十分昔のままの生活ができると思いますから、早くそういった日が来るのを楽しみに待っております。今年こそこちらの方に帰ってくるきっかけができるんじゃないかと思いますんで本当に楽しみにしておいてください。じゃあ元気で」

画像提供:あさがおの会

横田早紀江さん(2005年収録)
「北朝鮮にいる横田めぐみちゃん、元気にしていますか?お母さんですよ。めぐみちゃん、明るいあのめぐみちゃんが、あのままのめぐみちゃんが元気で帰ってくることを毎日毎日たくさんの人と一緒に神様にお祈りしていますよ。必ずそのことが実現することを、もうすぐだとお母さんは確信しています。頑張ってね。元気でいてくださいよ。お願いします」

※この記事は2024年1月7日に「サンデーステーション」で放送した企画の未公開部分を含む完全バージョンです。

  • 画像提供:あさがおの会

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