モスクワ大規模テロの衝撃と遅れたプーチン演説のなぞ

[2024/03/27 17:00]

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3月22日午後8時、モスクワ郊外のコンサート・ホールが襲撃された。

少なくとも子ども3人を含む137人が命を落とし、180人以上がけがをした大規模テロ。(26日時点)

現場では何が起こっていたのか。

なぜ、被害は拡大したのか。

そして、なぜ、プーチン大統領は19時間も沈黙したのか?

◆燃え落ちる巨大コンサート・ホール

午後11時、テロの発生から3時間近くが経過していた。

ひどい渋滞に巻き込まれながら、モスクワの北西に位置する大型複合施設クロックス・シティーにようやく近づくと、暗闇の中に青い光に包まれている一帯が目に入る。
消防、救急、警察車両の回転灯だ。

緊急車両で埋め尽くされるクロックスシティーホール周辺

クロックス・シティーは、銃撃があったコンサートホールに加え、複数の展示会場やショッピングセンターが連なる。
その広大な駐車場の大半を数百台の緊急車両が占め、回転灯を点灯させている。

消火活動を行うヘリ。バケツで川の水を運んでいた

渋滞でほとんど進めなくなった車を降りて、徒歩で現場を目指すと、低空を飛行するヘリコプターが轟音を立てて頭上を通過した。

雨?

そう思ったが、違った。

ヘリコプターがバケツで近くの川の水を運び、現場のコンサートホールの消火にあたっているのだ。
バケツからこぼれた水は、しぶきになって頭上に降り注いだ。

懸命の消火活動にもかかわらず、火災発生から3時間以上がたっても、黒煙の勢いは止まらず一帯は煙の臭いに包まれていた。

現場にはメディアが集まっていた(AP/アフロ)

クロックス・シティー・ホールを見渡す位置にある歩道は、すでに駆け付けたロシアのメディアであふれていた。
ヘリコプターの轟音に負けじと国営メディアのリポーターは必死に声を張り上げ、消火活動の様子を生中継で伝えている。

彼らの脇をすり抜けて、少しでも前に進もうとすると、ロシア人の記者が言った。

「規制が厳しいからこれ以上は近づけない。もうホールは完全に焼け落てしまっている」

その記者は憔悴しきった様子で、煙に包まれたコンサート・ホールをただ呆然と見つめていた。

すぐ下の駐車場にはライフル銃を持った数十人の兵士がやってきて、駐車中の車の捜索が始まった。

ドアをすべて開け、トランクの中までくまなく捜索している。

複数の警察犬も連れている。

爆弾を探しているようだ。

周囲の安全もまだ確保されていないのだろう。

逃走したテロリストを拘束したという最初の情報が入ったのは、襲撃から14時間後のことだった。

◆コンサートホールで起こったこと

炎が上がったクロックス・シティーホール(AP/アフロ)

連邦捜査委員会の報告やSNS、メディアが投稿する様々な現場の映像や証言によりテロの全容が明らかになりつつある。

午後7時55分、迷彩服に身を包み機関銃をもった数人の男たちが、白のルノーで、コンサートホールに車でやってくる。

午後7時58分、男たちは建物のロビーに入るなり目に入った警備員や人びとに向けて発砲を始める。
銃声はすぐにホール内にも響きわたった。

ある男性はメディアにこう証言している。

「円形の劇場の左右から銃撃が続いた。銃声を聞いた多くの人がステージに向かったり、廊下に飛び出した」

客席は1階席と2階席にわかれていたが、銃声は上からも下からも聞こえ、逃げ道はほとんどなかった。多くの観客は座席の陰に身を伏せるしかなかった。

午後8時1分、テロリストは銃撃を続けながら、客席に火を放つ。

その後もホールからロビーに逃れて屋外を目指す観客たちの背後から、テロリストたちは撃ち続けた。
柱の陰に隠れたり、倒したテーブルを盾にしたりして、身を守ろうとする人もいた。

しかし、彼らは全員射殺された。

柱の脇のエスカレーターで身を伏せながら2階に上がった人が撮影した映像に、その様子が記録されている。

午後8時11分、テロリスト4人を乗せた白のルノーが駐車場を後にした。

連邦捜査委員会は、襲撃はわずか13分間だったと結論付けた。

テロリストたちがホールを去ったおよそ10分後。
火の手が一気に広がり、屋根から黒煙が立ちのぼる。
この時、観客の多くはまだトイレや従業員室など建物の中に身を潜めていた。
もちろん彼らには、テロリストが何人いるのか、まだ残っているのかもわからない。

ただ、煙が充満し始めたことで、外に出ることを決意する。
女性たちはハイヒールを脱ぎ、音をたてないようにそっと出口を求めて歩き出した。

しかし、一気に何千人もの人が限られた出口から脱出することは困難を極めた。
建物の構造を知り、誘導できる人は限られていた。
非常階段は混雑し、結果的に多くの人が屋内に取り残された。

しばらくして、救急、消防、警察車両が現場に到着し始めるが、救助活動は始まらない。中にテロリストが残っているかもしれないからだ。
救命士や消防士は、建物の外で治安部隊の到着を待つしかなかった。

ライフル銃を持った兵士がすべての車を捜索していた

特殊部隊が現場に向かっているとタス通信が報じたのは午後8時33分。

そして、現場への到着が報じられたのは午後9時6分。襲撃から1時間後だ。

現場にいた独立系メディアの記者が、特殊部隊の建物への突入を確認し報告したのは午後9時39分だった。

治安部隊の到着の遅れは、被害を拡大させた可能性が大きい。

のちに発見された遺体の多くは煙による窒息が原因だとみられている。

◆治安部隊の失態?

ライフル銃を持った兵士がすべての車を捜索していた

治安部隊はテロリストの一時的な逃亡も許した。

治安を担当する下院議員が犯人拘束の情報を最初に伝えたのは、23日午前10時25分。
それもモスクワからおよそ500キロ近く離れたブリャンスク州の街だったという。
(この発表については、道が悪い中で小型のルノーでそれほどの距離を移動できるのか、と疑問視する声も多く出ている)

ナワリヌイ氏陣営幹部のジダーノフ氏は「FSB(ロシア連邦保安庁)は国民を守るのではなく、政敵を殺害し、国民をスパイし、戦争に反対する人を訴追することで忙しい」と述べ、プーチン政権下で治安システムが悪化したと痛烈に批判した。

実際に、特に最近、治安当局はもっぱら国内の反体制派の弾圧に力を注いでいたことは間違いない。

当局のイスラム過激派への対処が手薄になる一方、その裏でイスラム過激派がロシア国内に組織や連絡ルートを構築していたとすれば、ロシアは今後も同じようなテロの恐怖と向き合うことになる。

◆ロシア国内にテロ組織が根付いた?

襲撃されたクロックス・シティーホール(AP/アフロ)

襲撃の状況からわかるのは、テロが綿密に計算され、組織立った行動だったということだ。
テロリストたちはコンサートホールの構造を熟知していた。
ロシアメディアによると、3月7日には、実行犯とされる男の一人が、下見で会場を訪れていたことがわかっている。

彼らは事前に車を用意し、尾行を免れるため購入履歴もわかりづらくするように工夫されていたという。

また、彼らはライフル銃やほかの武器・弾薬を持ち、消火設備が完備されている巨大なコンサートホールを焼き尽くした。
たった数人で、わずか数分で、どうやってこれほどまでの火災を引き起こしたのか、詳細はまだ解明されていない。

背後にいるのは、イラン東部やアフガニスタンを拠点とする過激派組織「イスラム国ホラサン州」だとみられている。
「イスラム国」の中でも最も残忍な集団として知られている。
彼らはこの2年あまり、イスラム教徒を日常的に抑圧する行為に加担しているとロシアを敵視し、プーチン大統領を批判していた。

ロシア治安当局は実行犯4人を含む11人を拘束したと発表したが、組織はさらにもっと大きいだろう。
もしそうなら、ロシア国内でのテロが今回の1度きりで終わるという保証はない。
構築された組織や連絡ルートを活用し、再びテロを仕掛ける可能性は否定できない。

◆プーチンが迫られるイスラムへの対応

クリミア選出のミハイル・シェレメト下院議員は24日、テロ対策として特別軍事作戦(=ウクライナへの侵攻)が続く間は、移民の入国を制限するよう提案した。

今後、ロシア国内でイスラム教徒の摘発や抑圧が強まるとみられる。

独立系メディアによると、モスクワに来たキルギス人10人以上が空港で入国を拒否された。

何人かは新たに航空券を買いキルギスに帰国したが、チケット代を払えない人は水も食事も与えられないまま数日間、取調室にとどめられているという。

エカテリンブルクのショッピングセンターでは、それぞれのテナントに対して、カザフスタンやタジキスタンなど中央アジア出身の従業員のリストの提供を求めているという。

また、タクシー運転手がタジキスタン人だとわかると、客の側が利用を避けるというケースも頻発している。

こうした状況が続けば、ロシアの人口の2割近いとされるイスラム教徒たちの不満がたまり、それはロシア社会を足元から揺るがしかねない。

◆遅れたプーチン大統領の演説の謎

現地3月23日プーチン大統領のビデオ演説(代表撮影/ロイター/アフロ)

刻一刻と更新される死傷者数とSNS上にあふれる銃撃の悲惨な光景や遺体の写真、6200人を収容する巨大ホールを焼き尽くす炎――。

ロシア中が不安に包まれる中、プーチン大統領はその日、最後まで国民の前に姿を見せることはなかった。

独立系メディアによると、テロが発生した22日の夜から翌未明にかけて、3度にわたってプーチン大統領のテレビ演説の予定が立てられては、キャンセルされたという。

実際に23日午前1時30分、まもなくプーチン大統領の演説が行われるとメディアが一斉に報じた。

しかし30分後、国営ロシア通信は「技術的なミス」だったとして、報道を取り消している。

結局、プーチン大統領がはじめて国民の前に姿を見せたのは翌日の午後、襲撃から19時間後だった。

なぜ、プーチン大統領はこれほどの一大事に、すぐに国民へのメッセージを示すことができなかったのだろうか?

彼は何を迷ったのだろうか?

プーチン大統領は、テロにウクライナの関与があったと主張し、国民の怒りをウクライナにむけることを決め込んだ。

「イスラム国」が犯行声明を出し、プーチン大統領自身もイスラム過激派がテロを実行したと認めた。にもかかわらず根拠を示すことなく、ウクライナの関与を主張し続けている。
(なおベラルーシのルカシェンコ大統領は26日、実行犯は当初ベラルーシを目指していたと発言している。)

不自然な治安部隊の対応などからSNS上では、プーチン大統領がテロをウクライナ侵攻の正当化に利用しようと、事前にテロの兆候を察知しながら見逃していたのではないか、という見方も出ている。

ただ、在ロシア・アメリカ大使館が事前にテロへの警告を出していたことについて、プーチン大統領は19日「西側の挑発だ」などと一蹴していて、テロを事前に察知していなかったとみるのが自然だ。

では、プーチン大統領が演説を大幅に遅らせた理由はなんだろうか。

3月17日の大統領選前、クレムリンに近い関係者に言われた言葉を思い出した。

「大統領選が終わってから5月7日の就任式までの間、プーチン氏は様々な重要な決断を迫られる。注意したほうがいい」

その関係者はこう解説する。

戦争が長期化しているにもかかわらず明確な勝利がないことでプーチン大統領は焦っている。
大統領選後、ハルキウやオデーサといった重要都市の攻略にむけ、さらなる侵攻を決断するか迫られている。

これに対し国防省は、新たな拠点の攻略には50万人規模の動員が必要だとプーチン氏に伝えているという。

動員は、ロシア社会を大きく揺さぶる。

ナワリヌイ氏の死によって高まっている反戦機運がさらにエスカレートして爆発しかねない。

さらにプーチン大統領は、5月7日の就任式直後に組閣しなければならない。

じつは、この組閣をめぐってクレムリンに近い記者の間ではこんなうわさが出回っている。

「プーチン大統領は、自らの後継者選びに着手する。次の首相がその候補だ」

プーチン氏自身も、当時のエリツィン大統領に首相に任命され、その後、引き継いだ。

この時代を知る記者らは、プーチン大統領もまた同じようなことを考えるだろうと推測しているのだ。

もちろん、この憶測をことさら強調しすぎることは禁物だが、クレムリンに近い人たちの間でも「ポスト・プーチン」が語り出されている事実は重要だ。

プーチン体制は決して一枚岩でない。

様々な立場のエリートたちの連合体であり、プーチン大統領はそのバランスを取りながら政権を運営してきた。

組閣を前に、さまざまな勢力が権力を求めてうごめいている。

言い換えれば、組閣を控える今は、政権のバランスが最も不安定な時期だといえる。

プーチン大統領は対応をどうするか、政権内のさまざまな意向をくみながら決めざるを得なかったのではないだろうか?
演説の大幅な遅れは、プーチン大統領の弱さを物語っているように映る。

【ANN取材団】

  • 煙に包まれるクロックス・シティーホール
  • 緊急車両で埋め尽くされるクロックスシティーホール周辺
  • 消火活動を行うヘリ。バケツで川の水を運んでいた
  • 現場にはメディアが集まっていた(AP/アフロ)
  • 炎が上がったクロックス・シティーホール(AP/アフロ)
  • ライフルを持った兵士がすべての車を捜索していた
  • ライフルを持った兵士がすべての車を捜索していた
  • 襲撃されたクロックス・シティーホール(AP/アフロ)
  • 現地3月23日プーチン大統領のビデオ演説(代表撮影/ロイター/アフロ)

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