“戒厳令”を出した韓国・尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領をめぐる動きが活発になってきています。
■“戒厳令”国会で検証
戒厳令は、どのように起きてしまったのか。国会の委員会で検証が始まりました。
戒厳令の中で軍の指揮を担う“戒厳司令官”に任命されたパク・アンス陸軍参謀総長も、戒厳令を知ったのは、大統領の発表後だったと証言しています。
現地メディアは、尹大統領に戒厳令を進言したのは、国防相だったキム・ヨンヒョン氏と報じています。戒厳令発出後、一度も公の場に出てきておらず、4日、すでに国防相を辞任しています。真相を知る可能性が高い重要参考人です。検察は、キム氏を出国禁止にしました。
尹大統領は、5日にも国民への謝罪を織り込んだ談話を出すとみられていましたが、その予定はなくなりました。
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■与党 弾劾訴追に反対与党のこの動きを知ったからかもしれません。7日の採決が見通されている尹大統領への弾劾訴追案について、与党が反対の方針を決めました。
弾劾には、全議員の3分の2以上が賛成票を投じる必要があります。野党の議席数は合わせて192。少なくとも与党議員8人が賛成にまわらないと、弾劾は成立しません。
4日夜、与党は、国会内で議員総会を開き、弾劾についての対応を協議しましたが、そこでの発言が漏れ聞こえてきています。
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■与党 離党で決着へ結局、党の方針は、弾劾案は通さないが、ユン大統領には離党してもらうという案にまとまったとみられます。
しかし、ここで情勢を見誤れば、与党も共倒れになりかねません。
5日、韓国の調査会社が発表した世論調査では、73%が『戒厳令を出した尹大統領を弾劾すべき』と回答しています。『内乱罪に該当する』という意見も7割近くに上っています。
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■「戒厳令で弾圧」光州事件の記憶これまで13回の戒厳令が発令された韓国。民主化前の独裁政権では、国民を弾圧する手段として、戒厳令を利用してきました。
前回の戒厳令は、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領が暗殺されたとき。当時軍人だった全斗煥(チョン・ドゥファン)は、空席となった大統領の座を狙います。
1980年。韓国国民が民主化を夢見た『ソウルの春』は、全斗煥が起こしたクーデターにより終わります。戒厳令が全国に発令され、民主化運動を軍隊で弾圧したのです。
特に激しかったのが光州。市民の抗議活動は、10日間にわたって徹底的に弾圧され、軍により民間人166人が殺されました。
光州の人々は命がけで民主化を求め続けました。
当時、デモに参加していたキム・スニさん(65)。いまでも、あのときのことを鮮明に覚えています。
市民の抵抗に、戒厳令で集められた軍の弾圧はエスカレートし、ついには、国民に向け、発砲するようになりました。
5日、ソウルのデモには、光州から来た男性(70)の姿がありました。
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■カギは“与党議員8人”の賛成尹大統領への弾劾訴追案は、7日に採決される見通しですが、与党『国民の力』ハン・ドンフン代表は、党として弾劾訴追案に反対することを表明。一方で、尹大統領の離党を要求しています。
◆与党の思惑について、現代韓国・朝鮮政治が専門の慶應義塾大学・西野純也教授に聞きました。
西野教授は「2016年、朴槿恵(パク・クネ)元大統領の問題発覚から罷免まで、大規模な抗議デモが続くなど、社会が混乱。政治も停滞・疲弊した。それを避けるのが弾劾反対の理由。一方、尹大統領の退陣を求める世論の声も無視できない。離党させ、尹氏と距離を置くことで、保守勢力を守りたい。野党に政権を渡さないということでは。与党のハン代表が考える“最良のシナリオ”は、弾劾を避けながらも、大統領を説得して退いてもらい、保守勢力内での政権刷新を考えているのでは」としています。
弾劾訴追案の採決について、どのような見通しがあるのでしょうか。
現地メディアは、7日に向けた与野党の動きをこう伝えています。
与党『国民の力』は、採決が行われる本会議場に議員が出席しない見通しです。野党『共に民主党』は、採決を7日に先延ばし、その間に与党議員を説得する戦略だといいます。
西野教授は「可決より、否決された方が社会の混乱が大きくなる可能性が高い。野党は弾劾案を出し続け、国民の間に尹氏の退陣を求めるデモが広がっていく可能性は十分ある。それに対し、保守勢力を支持する国民の集会も起こるなど、影響が広がるのでは」とみています。