モスクワのビジネス街「モスクワシティ」にそびえるタワーマンション「ゴーラッド・スタリッツ」。複数の独立系メディアによると、昨年末、政権が崩壊しロシアに亡命したシリアのアサド前大統領と親族が2013年から2019年の間に部屋を購入していて、アサド氏は家族とともにここに身を寄せていると噂される。
本当にいるのだろうか?タワーマンションを訪ねてみると拍子抜けした。
入り口の自動ドアには、超高級マンションには似つかわしくない張り紙があり、故障のため脇のドアを使うよう求めている。おかげでカードキーを持った住民しか入れないはずのロビーにすんなりと入れてしまった。
住民の男性は「アサド氏なんて見かけたことはありません」とそっけない。
観光ツアーの呼び込みをしていた女性は、「誰を探しているって?アサド?知らないね。少なくとも私のツアーには参加してないね」と言い残し、観光客を求めてビルの向こうに消えていった。
盟友アサド氏の失脚はプーチン氏の心境を揺さぶり、激変する中東情勢は、ウクライナ侵攻をめぐるプーチン大統領とアメリカ・トランプ新政権との交渉にも影響を与えている。
トランプ氏は大統領就任直後にもプーチン氏との電話会談を行うと見られていたが、まだ実現していない。プーチン大統領は繰り返しラブコールを送るが、2人の間で目指す「停戦」のあり方は、決定的に食い違ったままだ。
(ANN取材団)
■トランプ氏の停戦プランは「とりあえず止めるだけ」
トランプ氏のアメリカ大統領就任を控えた1月初旬、ウクライナ問題についての協議にあたっていた ある米ロ外交筋はそうトランプ・チームに伝えた。
トランプ氏は、プーチン大統領を交渉のテーブルに着かせるため、ロシアに対してこれまでの西側諸国のスタンスから大幅に譲歩する姿勢を見せる。現在占領しているウクライナ東部の大部分の実効支配を認め、プーチン氏が神経をとがらせるウクライナのNATO=北大西洋条約機への加盟についても一定期間保留するなど、ロシアにとって悪くない条件を並べる。
ただ、ゼレンスキー大統領によれば、当初からプーチン氏が求めているのは、東部4州全域とウクライナのNATO非加盟の約束、ウクライナ軍の極端な削減、そしてゼレンスキー大統領の辞任などだから、トランプ氏の提案でさえもプーチン氏が納得できるものではない。
大統領就任前からトランプ・チームと接触を続けるクレムリンに近い関係者は、トランプ氏の姿勢をこう指摘する。
プーチン大統領を何としても交渉テーブルに着かせるためトランプ氏は、今度は経済制裁を強め、中国やインドなどロシアの下支えとなっている第三国からも停戦圧力をかける。まさしくアメとムチだ。前述の関係者は続ける。
交渉の間、短期間でも戦闘が止まりさえすれば良いと考えているというのだ。
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■プーチン大統領は対話を急ぐも目指すは「長期的解決」■プーチン大統領は対話を急ぐも目指すは「長期的解決」
プーチン大統領は盛んにトランプ氏に対話を呼びかける。
トランプ氏の就任式を数時間後に控えた1月20日には国家安全保障会議を開き、冒頭でわざわざトランプ氏を持ち上げた。
「この姿勢を歓迎し、次期大統領の就任を祝福します。私たちは、ウクライナの紛争に関してもアメリカの新政権との対話に前向きだ」
トランプ氏とウクライナを巡り協議したいと前のめりの発言をする一方で、プーチン大統領はトランプ氏が想定している「短期的な停戦」については、強い拒否感を示す。
「我々はロシアとロシア国民の利益のために戦い続ける。それが『特別軍事作戦』の目的だ」
■トランプ氏の“方針転換”―アサド政権崩壊で「ロシアは弱っている」
当初、トランプ氏は大統領就任したらウクライナへの支援を止め、ロシアの主張を全面的に認め、制裁も解除するのではないか、トランプ氏の「停戦」とは事実上ロシアの勝利を意味するという楽観的な(ウクライナにとっては極めて悲観的な)見方さえ一部であった。
しかし、そうではないことが明確になりだしたのは昨年末あたりからだ。
去年12月7日、ロシアのプーチン大統領が後ろ盾となってきたシリアのアサド政権の崩壊を目の当たりにしたトランプ氏は翌日、「ロシアは弱っている」とSNSに投稿した。ウクライナへの侵攻で「ロシアの兵士60万人近くが死傷した」とも指摘していて、弱ったプーチン氏にもう一押しすれば「短期的な停戦」を受け入れざるを得ない絶好のチャンスだと直感したのだろう。
アサド政権の崩壊にはクレムリンに近い関係者も焦りを見せる。
シリアにあるロシア軍基地の行方も懸念される。「フメイミム空軍基地」と「タルトゥース海軍基地」はロシアにとってアフリカへの重要な拠点だ。
クレムリンに近い関係者は、基地はかろうじて維持できるとみているが、心境は穏やかではない。
ロシアとシリア暫定政権は、基地の扱いを含む今後の関係について合意には達していない。さらに、1月29日にはシリア暫定政権は、内戦を通じてアサド政権を支援し、シリアの都市を爆撃したとして、ロシアに損害賠償も要求している。
ロシアとしては仮にウクライナ東部を占領できても、同時に中東とアフリカへの影響力を失えば、総合的にはマイナスだ。
経済面でも今年に入ってすぐに「ガスプロム」や「ズベルバンク」といったロシアで最大規模のエネルギー会社や銀行が大量解雇を始めている。
クレムリンに近い関係者によれば、今後の経済情勢を憂うエリート層の多くはウクライナについては早期の交渉を望んでいるという。プーチン大統領も条件次第では、少しでも早く停戦に持ち込みたいのが本音だろう。
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■国家はもろい…若きプーチン氏のトラウマ■国家はもろい…若きプーチン氏のトラウマ
では、追い込まれているにもかかわらず、なぜプーチン氏は頑なに「短期的な停戦」拒否するのか。
最大の理由は、ウクライナ軍によるロシア西部クルスク州の一部占領だ。
欧米の情報によれば、ロシア軍は、大量の北朝鮮兵士を投入しているが、ウクライナが高台を制圧しているため、容易には奪還できないとみられている。
この状況で交渉テーブルに着き、前線を凍結することは、プーチン氏にとってリスクが大きい。第二次世界大戦以来80年間ではじめてロシア領を外国に軍事占拠されるという事態を固定化しかねない。土地を追われた住民たちも、「ロシアは私たちのために何をしているのか?」と連日声を上げ、不満は限界に達しつつある。
また、プーチン氏はある「トラウマ」を抱えている。
KGBのスパイだった1989年に赴任先の東ドイツで「ベルリンの壁」の崩壊を目の当たりにし、「東ドイツがなくなることなど想像もしていなかった」と当時を振り返っている。
プーチン氏にとって「国家」はかじ取りを誤ればすぐに崩壊してしまうもろい存在だ。
アサド政権の崩壊は、このトラウマを再び呼び起こしたようだ。
中東・北アフリカで一気に広がった民主化運動「アラブの春」。シリアでは2011年から激しい内戦が繰り広げられ、アサド政権の後ろ盾となるロシアと、反政府勢力を支持するトルコの間で2020年、一時的な停戦合意が成立していた。
改めてシリアの現状を目の当たりにしたプーチン氏が「中途半端な停戦は命取りになる」と考えたとしてもおかしくない。だからこそ「根本的な危機の原因を排除すること」が重要だと繰り返し、「短期的な停戦」に拒否反応を示す。
■亡命者らが集まると噂のモスクワ近郊の高級住宅地
冒頭で触れたタワーマンションのほかにもう1カ所、アサド前シリア大統領の潜伏場所可能性が高いと噂される場所がある。
モスクワから東へ車で1時間ほどの高級住宅地だ。
ただ、広大な地域全体が高い塀で囲まれていて、全く近づくことはできない。地図で確認してみても塀の向こうに建てられた豪邸は一つ一つがだいぶ離れているため、住民同士が顔を合わせることもなさそうだ。近くにあるプーチン大統領の邸宅もある高級住宅地ルブリョフカもやはり全ての敷地が高い塀で覆われているのと似ている。
アサド氏の所在の手がかりはほとんどつかめない。高級ブティックが並ぶ近くのショッピングモールにあるシベリア食品店の女性は鹿肉を勧めながらこう言う。
「プーチン政権は独裁者をコレクションしている」とロシア人ジャーナリストが皮肉るように、アサド氏にとどまらず、2005年の民主化運動「チューリップ革命」で政権の座を追われたキルギスのアカエフ元大統領も、2014年民主化運動「マイダン革命」で失脚したウクライナのヤヌコビッチ元大統領もロシアに亡命している。ちなみにヤヌコビッチ氏は亡命直後、この高級住宅地に身を寄せたと言われている。
プーチン氏が彼らを受け入れるのは、北朝鮮やイラン、ベラルーシなどの権威主義国家の指導者たちへのアピールだとも指摘されている。どんなことがあっても命を保証しあうという姿勢をみせ、結束を強める狙いだ。
その一方で、トランプ氏との交渉を前にプーチン氏は、お膝元に招いた失脚後の権力者たちの余生をどのような思いでみているのだろうか。
侵攻開始から4年目にさしかかり、ロシア国内もウクライナとの停戦を求める声は強まりつつある。
プーチン大統領は1月24日、28日と続けて国営メディアの“ぶら下がり”に答える形で、再びトランプ氏を持ち上げて対話を呼びかける。
「もし2020年の大統領選でトランプ氏の勝利が盗まれなければ、ウクライナの危機は起きなかったというトランプ氏の主張に同意せざるを得ない」
どうにか自らの意向に沿った停戦の糸口をつかめないか、懸命に探り続けているようだ。