国際

2025年3月16日 19:00

戦後80年 「忘れられた日本人なんです」フィリピンの孤島から伝える"棄民"の願い 日本国籍求める残留2世に政府の答えは?

2025年3月16日 19:00

広告
1

「マサヤ!マサヤ!」

フィリピンの離島と繋いだパソコンの画面には、少女のような無邪気な、しわくちゃな笑顔が映し出されていた。「マサヤ」は現地の言葉で「うれしい」という意味だ。「無国籍」として戦後を生き抜いたともに80代の姉妹が、ようやく日本国籍を認められた。日本人の父を持ちながら、戦後の混乱で日本国籍を得られなかった残留日本人2世たち。私たちは3年にわたりフィリピンと日本で取材し、この「無国籍」問題をドキュメンタリー番組などで伝えてきた。戦後80年となる今年、放置し続けてきた日本政府もようやく動き出した。

(テレビ朝日報道局 松本健吾)

“最後の秘境”で出会った姉妹 証言「父は漁師で…」一致する証拠を発見

2023年5月、首都マニラからプロペラ機とボートを乗り継ぎ、私たちが辿り着いたのは“最後の秘境” と呼ばれるリナパカン島。澄み切った青の上に浮かぶこの島には、電線も水道も引かれておらず、宿泊施設はおろか観光客が訪れることもほとんどない。

モリネ・リディア、エスペランサさん姉妹
モリネ・リディアさん エスペランサさん姉妹

無国籍のフィリピン残留2世の支援を20年近く行ってきたNPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC)の現地調査に同行した私たちが出会ったのは、モリネ・リディア(85)、エスペランサ(86)さん姉妹。リディアさんは日本語が喋れなかった。しかし、父親の名は「カマタ・モリネ」、出身地は「オキナワ」、この2つの言葉だけは覚えていた。そして、「父は漁師で、船を持っていた」という証言も得ることができた。

モリネ・リディアさんの聞き取り調査の様子(フィリピン・リナパカン島 2023年5月)
モリネ・リディアさんの聞き取り調査の様子(フィリピン・リナパカン島 2023年5月)

私たちは日本に帰国後、PNLSCと一緒に戦前の様々な行政書類などの記録を調べた。すると、「盛根蒲太(もりね・かまた)」さんという男性が、現在の沖縄県うるま市からフィリピンに渡ったパスポートの発行記録が見つかった。更に、盛根蒲太さんはフィリピンに2回渡航していて、その目的として「漁業のため再渡航」と記載されていた。リディアさんの証言と一致するものだった。

沖縄の調査で見つかった「盛根蒲太さん」の記録
日本の調査で見つかった「盛根蒲太さん」の記録

また、共にフィリピンに渡った弟がいたことが新たにわかり、その子孫が今も沖縄県内に暮らしていることがPNLSCの調査で判明。連絡を取ると、「祖父は確かにフィリピンに渡っていた。大伯父の蒲太については、フィリピンにわたり戦死したという話を聞いている。リディアさんたちの映像を次の世代の親類にも見せてあげたい」と話をしてくれた。国籍回復に向けた貴重な証言を得ることができた。

取材で見つかった父子関係に繋がる新証拠 11人中8人が日本国籍を回復

モリネ・リディアさんへの聞き取り調査を行う 在フィリピン日本大使館・花田貴裕総領事
PNLSC提供
モリネ・リディアさんの聞き取りを行う在フィリピン日本大使館・花田貴裕総領事(PNLSC提供)

これまで、日本国内でもほとんど知られることのなかった残留2世の無国籍問題だが、2024年夏、大きく動き出す。在フィリピン日本大使館・花田貴裕総領事が、初めてリナパカン島を訪問し、モリネ姉妹と面会したのだ。「今日まで訪問しなかったことを心からお詫びします」。総領事は謝罪し、残留2世に対し、1日も早い国籍回復のための最大限の支援を約束した。そして2024年9月、那覇家裁はモリネ姉妹が戸籍を新たに作るための「就籍」を認めた。2人は盛根蒲太さんの娘として、日本国籍を回復したのだ。

吉報はさらに続く。私たちはこの3年間の取材で、11人の「無国籍」の残留2世の証言などを集めてきたが、そのうち8人が日本国籍の回復を認められた。取材の過程で見つかった両親の結婚式の写真や、“家系図”などを証拠として、担当弁護士が裁判所に提出したケースもあった。NPO法人の代表も「止まっていた時計が一気に動き出した。戦後80年の今年がラストチャンス」と意気込む。

「私たちは捨てられた日本人。棄民です」終わらぬ戦争の痛み 

寺岡カルロスさん

私がこの3年間の取材で一番心に残っているのは、無国籍の残留2世の一括救済を日本政府に訴え続けてきた残留2世の寺岡カルロスさん(94)の言葉だ。寺岡さんは、母や兄など家族5人をアメリカ軍、フィリピンゲリラ、日本軍に殺された。「戦争があったからこそ巻き込まれて大変な目にあった。それを日本政府は助けてくれなかった。捨てられた日本人なんですよ。忘れられてしまった。棄民です。ほとんどの人が90歳を超えています。国籍を何とかして日本人と認めてもらえれば、この人たちは全部助かる」

この言葉を聞いたとき、私自身の覚悟が決まった。この問題を伝え続け、終わらぬ戦争の痛みが戦後80年経った今も残されていることを、一人でも多くの人に知って欲しいと思ったからだ。

総理面会「ぜひ実現したい」動き出した政府支援 迫る時間

寺岡さんとの出会いから2年近く経った今年。3月5日の参議院予算委員会の答弁に石破総理大臣が立った。

「親族探しを望む2世の訪日を80年という節目に実現するべくどのように取り組んでいくのか」という質問に対し、総理は「こういう問題がありますよということを知らない方々が日本人も大勢おられるわけで、これを日本国民の負担において渡航の費用あるいは親族探し、そういうことをすることは私は十分、理由のあることだと思う」と答えた。そのうえで、残留2世の来日が実現した際には「そういう方々に日本の思いが伝わるのであればぜひ実現したい」と面会に意欲を示した。

“捨てられた日本人”にようやく救いの手を差し伸べようとしている日本政府。

この答弁を聞き、私は「ようやくここまで来たか」と胸が高鳴った。

カンバ・ロサリナさん
カンバ・ロサリナさん

一方で、厳しい現実も突きつけられている。残留2世のほとんどは80代、90代となり、国籍回復が間に合わず亡くなった人もいる。6年前、1069人と把握されていた無国籍者の人数は、371人にまで減少している。そして、証拠が足りず国籍回復の申請が却下された人もいる。私たちが出会ったカンバ・ロサリナさん(94)もその1人だ。ロサリナさんの洗礼証明書には父は日本人、名は「カンバ・リタ」と記載されていた。更に米軍の名簿には「神庭利太(かんば・りた)」という人物の名前が確認された。それでも、家裁は父子関係の証明には証拠が足りないと判断した。再申請に必要なのは、新しい証拠だ。「神庭」姓は、山陰地方、特に鳥取県に多い苗字とされている。現地に足を運べば、何か情報が出てくるかもしれない。

「神様が許してくれるのならば、日本にいる親戚に会いたい」

ロサリナさんの最期の願いを叶えるために、まだまだ私たちにできることはある。

  • フィリピン・リナパカン島
  • モリネ・リディアさん エスペランサさん姉妹
  • モリネ・リディアさんの聞き取り調査の様子(フィリピン・リナパカン島 2023年5月)
  • 日本の調査で見つかった「盛根蒲太さん」の記録
  • モリネ・リディアさんの聞き取りを行う 在フィリピン日本大使館・花田貴裕総領事(PNLSC提供)
  • カンバ・ロサリナさん