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2026年1月11日 18:15

ベネズエラ攻撃から1週間 ラテンの夢と宿命 現地ルポ

ベネズエラ攻撃から1週間 ラテンの夢と宿命 現地ルポ
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世界に衝撃を与えたアメリカによるベネズエラ攻撃から1週間が経った。トランプ政権とロドリゲス暫定政権は歩み寄りをみせ、現状では内戦という最悪の事態は回避した形だ。取材班は首都カラカスを目指しつつ、隣国コロンビアで、ベネズエラの民の悲痛な現状、期待と不安が交錯する本音を聞いた。彼らの根底には、植民地支配からの脱却という「夢」と、それでもアメリカに頼らざるを得ない「宿命」があった。(ANNロサンゼルス支局 力石大輔)

■前代未聞のベネズエラ攻撃

3日午前2時、各国メディアの速報は「首都カラカスで複数回の爆発」というものだった。直ちにアメリカ軍による攻撃とは断定できなかったが、ベネズエラ沖では石油タンカーの拿捕が相次いでいて、両国間の緊張は非常に高まっていた。拠点にしているロサンゼルスでは、2日深夜のできごとだった。ちょうど外報部長と統括デスクに、新年の挨拶メールを送り、「去年はロサンゼルス大火災があったが、今年は穏やかな幕開けとなるように」と、余計なことを書いたばかりだった。

カラカスで爆発の一報から1時間後、米CBSテレビが「トランプ大統領が数日前に攻撃を許可」とスクープ情報を出し、アメリカ軍の攻撃が決定的となった。すると、トランプ大統領も動く。自身のSNSで「マドゥロ大統領夫妻を拘束し、国外へ連行」と明らかにしたのだ。外報部長からの電話が鳴る。「まずはコロンビアを目指そう。安全を確保した上で、ベネズエラへ入るルートを探れ。俺が一番行きたいが、お前に任せる」。ロサンゼルス支局のクルーは夜が明けるのを待って、アメリカのベネズエラ人コミュニティを取材する準備を進めていた。大統領拘束までの展開は、全く想定できていなかった。アメリカのブランドのナイキを纏ったマドゥロ大統領が退場し、ベネズエラはどうなっていくのか。急遽、隣国コロンビアへ向かった。

3日 カラカスでの爆撃
3日 カラカスでの爆撃
3日 拘束されたマドゥロ大統領
3日 拘束されたマドゥロ大統領

■ボゴタの興奮と空虚な効果音

3日早朝、ロサンゼルスから、まずマイアミへ向かう。肌寒く雨模様のコロンビアの首都ボゴタに到着したのは、午後10時半だった。時差は3時間で、丸一日移動に時間がかかる。ボゴタは中南米のハブ空港として、夜でも人でごった返している。コロンビアは右派政権が長く、伝統的に親米だったため、中南米では珍しく流暢に英語を話せる人も多い。タクシーの運転手に話を聞くと、コロンビアにはベネズエラ人が至る所にいて、マドゥロ大統領の退場を受けて喜んでいるそうだ。街は興奮に包まれているという。経済が“破綻”して以降、ベネズエラ人は各地へ離散。コロンビアは最も多い約200万人を受け入れている。

中心街のホテルへ向かうと、フロントもベネズエラから逃げてきた20代の男性だった。彼はコロンビアに住んで4年。8日から久しぶりに首都カラカスへ里帰りする予定だったという。ベネズエラへの空路は絶たれている。まず、ボゴタから飛行機で約1時間の国境の街ククタへ向かい、徒歩でベネズエラへ渡る。そこからはバスで11時間かけてカラカスに入る計画。ただ、今回のアメリカ軍の攻撃を受けて、彼は里帰りをキャンセル。「マドゥロ大統領がいなくなって安心した部分もあるが、さらに状況が不安定になるのか心配だ」と口数は少なく、すぐに目線を下げ、スマートフォンのゲームを再開させた。こちらで流行っているのは、戦闘ゲームだそうだ。自分のプレイヤーが撃たれた時の効果音に生々しさは一切なく、空虚な音だった。

■根強い「チャビスタ」

4日午前6時、日の出とともに街へ出ると、新年最初の日曜日ということで人の姿はまばら。ただ、いくつかの露店が並び、簡単な朝食やコーヒーを売っている。少量の濃いコーヒーに大量のサトウキビの砂糖を入れた、Tinto(ティント)と呼ばれるものが一般的で、重労働の前のエネルギー補給に最適だという。目が覚めるほどの甘さだ。こうした露店を営むのも、ベネズエラ人ばかり。

コロンビアに渡って7年、ティントを出してくれたベッティさんは敬虔なカトリック教徒だ。「マドゥロ大統領は神から悪い報いを受けた。私腹を肥やしすぎたのです」。ただ、アメリカのやり方については、複雑な想いを持っている。「マドゥロ大統領の前の反米左派、チャベス大統領は私たちの希望でした。政権が始まったばかりの2000年前後には、反米を掲げながらも、ベネズエラの経済はうまくいっていたのです」。

チャベス大統領は当時、ブッシュ大統領と対立し、アメリカと距離を置き、イランやロシア、中国と接近。反米左派でラテン国家をまとめようとした。豊富な石油資源を背景に、貧困層支援を実行し、当初は圧倒的な支持を誇っていたが、晩年は独裁色を強め、後継者のマドゥロ大統領が誕生した。「政権末期は上手くいかない場面も多くありましたが、いまも私はチャビスタ(チャベス派)です。確かに貧しい人でも、一生懸命に働けばご飯を食べられて、ささやかな日常の幸せを手に入れられたのです。私たちはスペインに征服され、アメリカに管理されていた。本当の意味で独立したいのです。マドゥロ大統領がいなくなったのは良いことですが、アメリカのやり方は横暴すぎる。他国に押し入って、人間を急に拘束するなんて、拉致です。ただ、祖国は余りにも荒廃しています。本音は反米だし、左派のように弱者に寄り添う思想が好きですが、いまはアメリカに祖国を託すしかないと思います」。

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■謎の編集者「テレビ朝日は左派なのか?」

ベッティさんとの話を終え、ホテルへ戻る。ボゴタの街並みは中世ヨーロッパのようで、古く美しい建物も多いが、ホームレスが至る所で寝ている。アンモニア臭も激しい。略奪を警戒しているのか、コンビニは午後9時に店内への入場を禁止し、ドア越しに販売を始める。コロンビア初の左派ペトロ政権は、社会福祉の充実をうたっているものの、街全体が荒廃した感じを受ける。

ホテルで待ち合わせたのは、事前に連絡を取っていたベネズエラにもパイプがあるという40代の男性だった。しっかりとした身なりで綺麗なシャツにジーンズ。一見しただけで、こだわっていると分かる知的な眼鏡を掛けている。名刺を渡すと、開口一番こう言った。「君は左派なのか?テレビ朝日は左派なのか?」。聞けば、彼はコロンビアの左派系の雑誌編集者で、ベネズエラ政府高官にもパイプがあるが、取材ビザを得るには、左派であることの証明が必要だそうだ。基本的にロシアと中国以外の外国メディアは、受け付けていないという。

こちらとしては、ベネズエラ入国ルート、国境地帯の安全性を具体的に聞きたかったが、文言を何度変えても、ダイレクトに答えることはなく、こちらを煙に巻くかのように自分で話し続ける。日本製で書きやすかったのか、私のペンを勝手に使って、唯物論的なキーワードばかりをメモしていく。どうも簡単に取材をアテンドして、金が欲しいだけのようだ。実際に取材した感じが身体から滲み出ておらず、話を切り上げたいと思ったとき、同席したカメラマンが、ちょうど居眠りを始めた。無理もない。丸一日近く、ほとんど寝られていない。男性はボゴタでの取材案内なら少額で可能で、国境やベネズエラの人の紹介もできると言い出したが、居眠りを好機にお引き取り願った。ラテンの左派とは一体何なのだ?

■「歓喜集会」で割れる意見

 仮眠しようと思った矢先、ベネズエラ人が広場で歓喜の集会を開いているという情報が入った。行けば150人近くが集まり、「自由だ!」と叫んで、ベネズエラ国旗を振り回している。一様に喜んでいるが、突っ込んで話を聞くと、誰がベネズエラを率いるべきか、様々な意見を持っていて、大きくは3つに集約される。

1 〔理想派〕
ロドリゲス暫定大統領は独裁体制を継承しかねない。ノーベル平和賞の野党指導者マチャド氏はトランプ大統領と関係が良い。野党が率いるべきだ。

2 〔現実派〕
野党が率いれば、国は二分される。アメリカと上手く連携出来るのであれば、暫定政権が国の立て直し行うべきだ。

3 〔諦念派〕
暫定政権も野党側も全く信用できない。アメリカが直接統治して、ベネズエラはアメリカの一部になるべきだ。

いずれの意見も、重視しているのはアメリカとの関係だ。ほぼ全員が「アメリカと上手くやって欲しい。生活を立て直すにはそれしかない」と話す。トランプ大統領は当初、ベネズエラの直接管理を示唆したが、ルビオ国務長官がそれを軌道修正。あくまでアメリカは、ベネズエラ暫定政府と連携していく方針を発信し始めていた。攻撃前は持ち上げていたマチャド氏に対し、「人気がない」とトランプ大統領は手のひらを返している。

この集会を主催したのはマチャド氏の支持グループだったが、ベネズエラの人々の間でも、内政に関しては意見が割れている。当然、ベネズエラの主権はベネズエラにあるが、独裁者を強権な大統領が排除した後には、混乱しか残らない。「これはアメリカとベネズエラとの結婚なんだ。オイシイとこ取りではなく、最後までアメリカに責任を取ってもらいたい」と話す人までいた。中継リポートの5分前、東京にいる旧知の元報道カメラマンから電話が入った。電波が悪く、よく聞こえなかったが、要するに気合を入れろということらしい。ラガーマンのこの人は、いつも絶妙なタイミングで連絡をしてくる。そして、中継では、噛んでしまった。気合いは、ほどほどで良い。

■混乱の国境ククタ

 5日午後2時、ボゴタから飛行機で約1時間、ベネズエラとの国境の街ククタに入った。赤道へ向かって北上したため、気温は一気に上がり、日中は30℃。湿度も高く、夕方にはスコールとなる。国境の近くは、ひなびたリゾートホテルが多いが、フロントには、似つかわしくないシャツ姿の記者が目立つ。最初に会ったのはドイツから来たテレビ記者。ベネズエラへの入国ルートを探っていて、情報交換しようと話す。続いては、タバコをくれと話しかけてきたイタリアの新聞記者。「待ちきれない記者がビザなしで国境を越え、拘束された」と教えてくれた。コロンビア人は、観光であれば、ビザなしでもベネズエラ入国が可能で、入っていったそうだ。ただ、ククタで国境を越えても、カラカスまでは無数のチェックポイントがあり、必ず捕まるという。道中には、ゲリラが支配的な地域もあり、陸路でのカラカス到達は不可能に近い。彼はベネズエラ領事館にビザを申請したが、数日待っても反応がなければ、ビザなしで突撃するか悩んでいるという。イタリア政府はベネズエラとのパイプが乏しく、NGO職員が人道支援で入った際、1年近く拘置所に入れられたことがあるため、「強制送還で済むのなら入るのだが」と本気で悩んでいた。取材ビザ申請の方法を詳しく教えてもらい、国境のポイントへ向かう。

 午後4時、国境では多くのベネズエラ人が、コロンビアへ買い物に来ていた。混乱に備えて、生活必需品を買い集めている家族もいた。国境に近い場所では、コロンビアから物資が入るため、まだ生活には困っていないが、化粧品やペットの餌など嗜好品は、少しずつ値上がりしているという。母親は「とにかく子どもたちの未来が心配だ」と話し、タクシーで家族とベネズエラへ戻っていった。

ベネズエラの買い物客をめがけて、道端にはタクシーやバイクの客引きがびっちり。その脇では、ヤギが残飯を食んでいる。アジア人は珍しく、「中国か韓国か?日本人か?」と頻繁に話しかけられる。世界中からメディアが集まったことに街全体が興奮していて、聞いてもないのに「そのヤギもベネズエラから国境を渡って来たよ」と教えてもらう。

 街は、ベネズエラ人とコロンビア人が半々で回している。国境タクシーの呼び込みをしているコロンビア人の男性は、トランプ大統領とペトロ大統領との応酬に興奮していた。「ベネズエラとは兄弟だ!こんな事は断じて許せない。アメリカがコロンビアを攻撃してきたら、俺は戦うよ。軍隊にもいたからね。アメリカの好きにはさせない」反米左派は、国を超えて、つながっているようだ。

■日本への尊敬とボリバル主義

 午後5時、国境の橋では足早にベネズエラへ帰る人の姿が目立ち始めた。空っぽのリヤカーを押すベネズエラ人が、興奮した様子で話しかけてきた。「日本人か?」。初老の男性は技術者だが仕事がなく、いまは廃品を集めてコロンビアに持ち込んで売っているそうだ。「俺たちの世代にとって、日本は憧れだ。アメリカにボコボコにされて、広島と長崎には、原爆まで落とされた。でも立ち直った。アメリカと肩を並べた。俺たちもずっとそうなりたいと思っている。」

ベネズエラはスペインの植民地だった。1800年代の独立戦争を指揮した、カラカス生まれのシモン・ボリバルは、いまも英雄だ。ベネズエラだけでなく、南米5カ国の独立に貢献し、ラテンアメリカでは「解放者」と呼ばれている。ベネズエラの正式名称は、「ベネズエラ・ボリバル共和国」だし、私たちの宿泊先も「ホテル・ボリバル」。ボリバルが最終的に目指したのが、ラテンアメリカの独立と連帯、アメリカからの脱却だった。チャベス大統領も、このボリバル主義を掲げ、高い人気を得た。ラテンアメリカの反米左翼の原点は、このボリバルだと言っても過言ではない。

「俺たちはずっとアメリカに買い叩かれている。ずっとだ。どう頑張っても、自分たちで工業製品を作れるようには、なれないんだ。資源と労働力を提供して、彼らから買うしかない。俺たちが働かないバカだからではない。どんなに頑張っても圧倒的な資本力の差があるからだ。独立はしたが、スタート地点が違いすぎて、追いつけないんだ。その点、日本はすごい。車も家電も自分たちで作って売っている。本当に尊敬している」。

第二次世界大戦後、ラテンアメリカを中心に第三世界で叫ばれたのが、「従属理論」だった。それは「アメリカなど先進国が発展途上国から資源を奪う搾取構造によって、第三世界の貧困と未発達が固定化される」というもの。1960年代、ラテンアメリカの国々は自立的な経済発展を目指し、自前で工業製品をつくる「輸入代替工業化」を進めたが、いまも残っているのはブラジルの航空機メーカー、エンブラエルくらいだ。コロンビアでは、これでもかという量のスズキのバイクが、街を疾走している。

■ベネズエラ領事の不思議な笑み

深夜、ニューヨーク支局からの応援クルーが到着した。明日は取材を任せ、取材ビザの申請に時間を使える。6日午前8時、開館と同時に、ククタにあるベネズエラ総領事館を尋ねた。門の前には、メディア関係者が20人ほど集まっている。領事に案内され、取材ビザの案内用紙を受け取り、提出書類を確認する。領事館の中には、ボリバルの肖像画、チャベス氏の写真が飾られている。マドゥロ大統領の写真もあったが、2人よりは小さかった。脇にある事務所で、パスポートを印刷。ここでもアジア人が珍しいのか、一緒に写真を撮ってくれと、若い男女のスタッフにせがまれる。「動画も撮るから何か日本語で話して」と言われ、一緒にいたカメラマンは「ベネズエラと日本が仲良くして行きたいと思います」と気の利いた文言を放ったが、相手には全く通じておらず、キャッキャと笑っているだけだった。隣では、各国の記者が我先にと必要事項を記載している。さながら受験会場のようだ。書類をメールで送ることもできるそうだが、宛先はGmailになっている。反米国家ではなかったのか。

私たちは、依頼文を吟味した方が良いと考え、一旦ホテルへ戻り取材内容や期間、文言を精査して、改めて出直した。午後の開館時間にも、出生届を出しに来たコロンビア在住のベネズエラ人に交じって、多くのメディアが集まっていた。アメリカ、メキシコ、チリ、パナマ、アルゼンチン。皆一様に「出すだけ出すしかないよね」と話し、日本の話を聞きたがる。インバウンドは本当にすごい。メディアを一列に集め、中年の男性領事が改めて説明する。「申請書は全て首都カラカスに送ります。取材ビザの可否は全て本国が判断し、OKならメールを送ります。ダメなら一切連絡はしません」表情は全くないが、真摯に対応しますよという雰囲気があり、期待してしまう。

私たちの順番が回り、領事の前に向かう。すると打って変わって、丁寧な笑顔をこちらに見せる。しかし、自然な笑顔ではない。カスタマーサービスのマニュアルにあるような笑顔だ。左を向くと、マドゥロ大統領の笑顔の写真。彼の真意が分からなくなる。申請書に拇印し、これで終わりだという。クリップで書類をまとめていたので、ちゃんとカラカスへ送ってくれるのかもしれないし、すぐに捨ててしまうのかもしれない。ただ、情報を集めているだけなのかもしれない。無表情より、つくられた笑顔の方が、人の気持ちは計り知れないことを初めて知った。隣でアメリカの記者が「これで終わった!ビールでも飲みに行こう」と英語で騒いでいる。アメリカ人は、どこに行っても、すぐアメリカを作り出す。

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■指先で世界変えるトランプ大統領

 7日は反米左派の人たちが、国境でアメリカへの抗議集会を開いた。普通の市民はどうなのか、初めてククタの中心部に向かうと、全員が醒めていた。ククタは貿易で成り立つ商都だ。主義主張より、現実的な経済を重視している。ペトロ大統領を支持する左派は少ない。この日、ペトロ大統領はトランプ大統領と電話会談し、「これまでの応酬は口喧嘩にすぎない」と国民へ説明した。ボゴタの広場では、支持者が集結したが、ククタの人の反応は冷ややかだった。「アメリカと上手くやるのは当たり前だろ。トランプ大統領に睨まれて、何の得があるんだ。左派政権はもう続かないよ。」

5月末のコロンビア大統領選は、ペトロ大統領の後継で反米左派の候補と、親米の右派候補が争う展開だ。支持率は拮抗していたが、ベネズエラ攻撃の後、反米左派の政党支持率が下落した。トランプ大統領の発言が、コロンビアの有権者に影響していることは間違いない。トランプ大統領は攻撃する必要はない。強気に発言すれば、外国であっても不利益を恐れる人は多い。指先ひとつでSNSから発信すれば、内政干渉することなく、海外の反米左派の勢いを止め、親米政権を誕生させられるのだ。ベネズエラ攻撃で、ブラフではないと世界に証明したことで、発言の重みは増した。

 ホテルに戻ると、初老のアメリカ人男性に話しかけられた。ベネズエラ人の友人の里帰りに同行し、ひとり国境でその帰りを待っているという。「私はサンフランシスコで生まれ育った。もう71歳だ。大体のことは経験した。ただ、新型コロナのパンデミック以降、アメリカや世界で起こっていることは、本当に信じられないことばかりだよ。もう亡くなったユダヤ人の母は、フランスで戦争と迫害を経験した。それは私とって歴史に過ぎなかったが、今回のベネズエラの状況を見ていて、母の言葉を思い出した。『ある日、世界は急に変わる。悪い方へは早いが、良い方へは時間がかかる』私は中道であれば、共和党でも民主党でも、どちらの大統領でも良い。いまの世の中、極端な人が余りに多すぎるよ」。アメリカには攻撃する多様性も、それを止めようとする多様性もある。

■国境炊き出しと入隊目指す少年

 8日午前10時、国境は落ち着きを取り戻し、人々はメディアにも飽き始めていた。混乱に備えて配備されたコロンビア軍の兵士も、余裕の笑顔で、こちらに手を振ってくる。ベネズエラ暫定政権は、民主化に向けて、政治犯の釈放を始めたという。現段階ではアメリカと足並みが揃っているようだ。すると、教会の人たちが道で炊き出しを始めた。ベネズエラから避難してくる人は、想像より多くなかったが、それでも着の身着のまま逃げてくる人もいるので、無料で食事を振る舞うという。鶏肉とジャガイモを煮込んだアヒアコスープ(Sopa de Ajiaco)をつくる煙に燻されながら、一緒にベネズエラ人を待った。アヒアコは疲れた身体に染み渡るような、優しい味だった。

 やってきたのは、攻撃があったカラカス近郊に住んでいた、若い男性グループだった。バスを10数時間乗り継いで、コロンビアへ入ったという。スープを美味しそうに飲み干す。男性は月30ドル=4700円ほどしか収入がなかったが、アメリカ軍の攻撃後、パニック買いもあり生活必需品や食料品が、倍に値上がりしたという。これでは耐えられないと、国外への避難を決めた。「これから情勢も経済も良くなる可能性は確かにあります。しかし、より悪くなる可能性もある。もう故郷で暮らしていくのは限界だと思った。親族のいるペルーまで徒歩とバスで向かいます。」

 コロンビア政府は攻撃直後、ベネズエラ難民が殺到すると見込み、兵士3万人を国境に配備したが、大きな増加は見られなかった。しかし、炊き出しをする牧師はこう話す。「経済破綻が始まったころも、同じだったんです。ギリギリまで皆さん故郷にいたいですから、最初は難民も少なかったんです。ただ堰を切ったように、加速度的に増えていった。今回も数カ月後に一気に増える可能性もある。コロンビア人も裕福ではありませんが、出来る限り炊き出しを続けたい。神の愛を分け与えたい」。

 男性グループに続き、少年たちもスープを貰う。彼らは11歳で、家族と逃げてきたが、普段から満足に食事を取れておらず、Tシャツから腕は8歳児ほどの太さしかない。「将来は軍人になりたいです。カッコいいし、ご飯は食べられるから。よく分からないけど、アメリカと何かあったんでしょ。大人の皆が喜んでいた。(戦争になったら戦うの?弾に当たったら死ぬかもよ?)軍人になったら戦うよ。アメリカが相手でもね。いまいち戦争ってよく分からないけど。」これ以上、彼にかける言葉を探し出すことはできなかった。

■コロンビアの肉とラム酒

 ベネズエラ暫定政権は、どうもアメリカと上手くやっていく意思がありそうだ。このまま、難民も減るかもしれない。暗い話ばかりしていてもいけないと、取材陣全員で初めて食事に行った。レストラン「El Tizon del Gordo」直訳すると、「太った男の炎」これは期待を持てる。牛のイチボ肉(Picanha)は500グラムで、2500円ほど。脂身が程よく、ウェルダンでも柔らかい。

牛のイチボ肉
牛のイチボ肉

コロンビアはラム酒が有名。アルコール度数は40度もあるが、口当たりが良くグイグイと飲めてしまう。値段は忘れてしまった。

ラム酒
ラム酒

アニス酒(Aguardiente)もあるが、香草の香りが苦手な人には、お勧めしない。気前の良い所を見せたかったが、現金が足りず、後輩にも出させてしまった。申し訳ない。

アニス酒
アニス酒

首都ボゴタと違い、ククタの人たちは明るい。アジア人は珍しいが、様々な人が集まる国境だからだろう。店員さんとの会話も弾む。しばし取材を忘れてククタを堪能したが、後輩が最後に呟いた。「ベネズエラ、入りたいですねぇ」。この日は木曜日。明日、ビザの連絡がなければ、今回のベネズエラ行きは絶望的となる。店からの帰りの記憶はない。

■ベネズエラ人の未来

 9日にはアメリカの使節団が、カラカスに入った。関係修復が実際に始まった形だ。ベネズエラの人たちの顔つきは、日に日に明るくなる。やっぱり、アメリカとは上手く付き合わざるを得ない。それしか、生活が向上する道はない。10日には、ベッセント財務長官が、ベネズエラへの追加制裁を解除する可能性を示した。経済の恩恵が、ちゃんと民にまで行き渡るのか。取材の最後に訪れたのは、国境近くの廃品回収所だった。よく見ると、空っぽのリヤカーを引いてベネズエラへ戻る人が多い。鉄やアルミを集めて、少しでも換金割合が良いコロンビアまで持ってきているのだ。

 壊れた車のドア、よく分からない部品、少しでも生活の足しにしようと、ベネズエラ人が廃品を持ち込む。国民の8割近くが、1日300円ほどで暮らしている、極貧状態だという。手を真っ黒にした男性はこう話してくれた。「暮らしは大変だけど、希望を感じています。政治の難しいことは分からない。だけどベネズエラは、前を向いて進むしかないんです。こうして初めて日本人と話すことができたんだから、何か凄いことが起きているんだと思います。またベネズエラにも来てくださいよ」。男性は手を汚してはいけないと、握手ではなくグータッチをして去っていった。

 取材ビザは届かなかった。露店でベネズエラの煙草を見つけた。アメリカのマルボロを切らしたので、買って火をつけた。1箱20本入りで100円。余りの重さに、咽てしまった。昔、先輩ディレクターに貰ったエコーの味に似ていた。ベネズエラの煙草農園で働く、深い深いしわが刻まれた、老人の顔が浮かぶような味だった。

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  • 力石大輔

    2010年、テレビ朝日に入社し、報道カメラマンに配属。2011年、カイロ支局カメラマンとして「アラブの春」を撮影。2013年、社会部記者として凶悪事件・街ネタを取材。2019年、平成と歌舞伎町を描くドキュメンタリー「平成サヨナラ歌舞伎町 消えたヤクザとホームレス」を発表。2021年からロサンゼルス支局に赴任し移民問題などを取材。