ロシアによるウクライナ全面侵攻から4年。プーチン政権はかつて、西側社会に融和的で、文化の受け入れにも積極的だった。なぜ、強権国家に戻ってしまったのか。「幻の民主化」の理由を見ていく。
どん底からの高成長
プーチン政権誕生以前を見ると、1991年にソ連が崩壊し、エリツィン氏がロシアの大統領となったが、翌92年に消費者物価が1年でおよそ26倍に上昇。98年には、財政悪化で国の借金が返せなくなる。デフォルト=債務不履行を宣言した。
そんなどん底の状況の中、2000年5月、エリツィン氏の後継として当時47歳、ソ連の諜報(ちょうほう)機関「KGB」出身のプーチン政権が発足。折しも世界的なエネルギー価格高騰を背景に、天然資源豊富なロシアは驚異的な経済成長を遂げ、実質経済成長率は、2000年〜2007年までで年平均およそ7%の高成長となった。
そうした中、欧米の文化も次々と流入した。モスクワでは、高級ナイトクラブが多くの人でにぎわった。また、2001年にはエリック・クラプトン、2006年にはマドンナなど、欧米の有名ミュージシャンがモスクワで公演を行った。
一方、西側の文化を取り入れるだけでなく、ロシアの女性デュオ「t.A.T.u.(タトゥー)」が、欧米や日本でも大ヒットを飛ばすなどした。
さらに、政治・外交面の変化としては、サミットに参加。2006年には、プーチン大統領の地元であるサンクトペテルブルクで「G8主要国首脳会議」が開かれた。
ターニングポイントの演説
西側と協調的だったプーチン大統領。しかしその後、対立を深めていくターニングポイントとなったのが2007年の演説だった。
2007年、ドイツ・ミュンヘンで開かれた安全保障会議。プーチン大統領はアメリカ批判に加え、次のような主張を各国首脳らの前で繰り広げた。
「どの国にも選挙資金に関するルールがある。外国政府がNGOを通じて選挙運動にまで資金提供を行っている場合がある。これが、正常な民主主義と言えるのか?」
こうした主張の背景にあったとみられるのが、ジョージアで2003年に起きた「バラ革命」とウクライナで2004年に起きた「オレンジ革命」だ。どちらも国内外の監視団が選挙の「不正」を指摘したことで、市民の抗議活動が拡大。親ヨーロッパ派の政権が誕生した。
そうしたことからプーチン大統領は、民主化運動の背後にある欧米の支援、その資金を断ちたい狙いがあったとみられる。2012年には外国から資金提供を受けて政治活動を行う団体や個人を、事実上の外国のスパイと見なす「外国代理人」制度を導入。以降、言論や表現に対する統制を強めている。
「100%安全ではない」
日本で暮らすロシア人にも「祖国の今」について聞いた。
「私は絶対に戦争に反対です。戦争は絶対的な悪であり、避けるべきなんです」
「侵攻前は明るい未来を信じていたが、侵攻後は未来への期待を失った」
そして去年9月に来日し、ウクライナに親戚・友人が住んでいるという、10代の男性はこのように話している。
反対意見を自ら述べるだけでなく、政権批判をするSNSに「いいね!」をしたり拡散させたりしても、拘束の対象になることがあるという。
(2026年2月27日放送分より)


