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2026年8月19日 11:30

NYに大行列!韓国生まれのフランスの味 手押し車から世界3000店超、パン屋に学ぶ“成功の秘訣”

NYに大行列!韓国生まれのフランスの味 手押し車から世界3000店超、パン屋に学ぶ“成功の秘訣”
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ニューヨーク支局の1ブロック先に、毎朝行列のできるパン屋がある。「PARIS BAGUETTE」(パリスバゲット)、通称パリバケだ。

このパン屋、初めてニューヨークに来た私にとっても、馴染みのある店だ。(ニューヨーク支局 大野公二)

朝8時半、店内のショーケースにはクロワッサンやソーセージパンなど焼きたてのパンが山積みになっている。

フルーツがのったデニッシュも種類豊富だ。

そして、とてもうまい。

ショーケースに並ぶパン(筆者撮影)
ショーケースに並ぶパン(筆者撮影)

客は出勤前の女性が多く、私もここでパンとコーヒーを買って出勤する。

約10年前、私は同じようにパリバケでパンとコーヒーを買い出勤していた。

場所は韓国ソウルだ。

再スタートした後にも苦難が…

パリバケは、太平洋戦争が終わった1945年に、今の北朝鮮の黄海道黄州にできた小さな製パン所からスタートした。

いまの北朝鮮でスタートしたころの店
いまの北朝鮮でスタートしたころの店

38度線によって南北が分断されつつあった1948年、創業者は北側の社会主義体制化では自由な商売やパン作りができないと考え、家族とわずかな資金を持ってソウルへと向かう。

手押し車に焼きたてのパンを積み、ソウルの街頭で売り歩くところからの再スタートだった。

店が軌道にのりかけた1950年、今度は朝鮮戦争が起きる。創業者は店を捨て南部の釜山へと避難。

それでも、釜山の避難民キャンプ近くで手に入れたドラム缶を改造して簡易オーブンを作り、米軍から流出する小麦粉を使って再びパンを焼いて売ったそうだ。

釜山の通りなどで盛んに行われていた闇市=1951年1月31日
釜山の通りなどで盛んに行われていた闇市=1951年1月31日

その後ソウルに戻り、製パン事業を少しずつ拡大させていった。

1980年代には創業者の息子がアメリカへ留学する。

欧米の製パン技術を学び、86年ソウル江南に「パリクロワッサン」をオープンした。

1986年、ソウルに「パリ・クロワッサン」をオープン
1986年、ソウルに「パリ・クロワッサン」をオープン

さらに88年、パリクロワッサンのノウハウをもとに、日常的に利用しやすい価格帯のフランチャイズブランドとして「PARIS BAGUETTE」を立ち上げた。

誕生したパリバケはわずか10年足らずで、韓国国内シェア1位に上り詰めた。

2013年、ニューヨークのマンハッタンに開店
2013年、ニューヨークのマンハッタンに開店

約10年前、私がソウル支局に勤務していた頃には大袈裟ではなく、どの駅前にもパリバケはあった。

現在は韓国国内にとどまらず、フランスやアメリカ、中国、東南アジアなどグローバルなベーカリーチェーンとして3000店舗以上を展開している。

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海外で生き残る「唯一の道」は

なぜパリバケは世界進出に成功したのか。

アメリカに留学して欧州の製パン技術を学んだ創業者の息子は、その理由をメディアのインタビューで語っている。

「海外市場で生き残るための唯一の道は『品質』だ。フランス伝統の製法と最高の原材料を使って欧米の人たちを納得させなければならない」

2014年、パリに店舗をオープン
2014年、パリに店舗をオープン

調べてみると、品質を世界中で維持する「システム」の存在も、成功の秘訣だと感じる。

パリバケは世界中のどの店舗でも、熟練職人なしに焼きたての味を再現できる冷凍・配送システムを持っている。

アメリカのように職人の確保が難しく人件費が高い国において、工場で一次製造した冷凍生地を各店舗に送り店内のオーブンで焼くだけで完璧なクオリティを出せる仕組みは貴重だ。

店内で並ぶ人々(筆者撮影)
店内で並ぶ人々(筆者撮影)

パリという名を掲げた韓国のパン屋がニューヨークで行列を作る。訪れる客は様々な人種だ。

多様性の力なのか、今のところ、ニューヨークのパン屋ではパリバケが一番うまい。

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