25年前の“別姓法案”議論の記録 各党の考え3[2021/06/26 18:30]

23日、最高裁の大法廷は選択的夫婦別姓を認めないのは「合憲」と判断し、
「国会で議論され判断されるべき」としました。

今から25年前の1996年、法制審議会が選択的夫婦別姓の導入などの民法改正案を答申し、法案が通るとも見られていましたが、結局、自民党の反対で、法案の国会提出は見送られました。
賛成派、慎重派、反対派、それぞれが様々な場面で意見を闘わせた当時、
何が問題となり、どんな議論があったのか、振り返ります。

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法制審の答申が1996年2月に出た後、各党では党内の意見調整が難航します。
この動画は、選択的夫婦別姓の推進を訴える連合がその年の4月、政党に導入を要請した会合のものです。
要望書を受け取った各党の議員らが、党の立場や、自分の考えを述べています。
映像が残っていない部分を除き、ほぼ全編、発言を掲載します。

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【新党さきがけ 枝野幸男氏】
女性局長という立場で話をさせていただく。女性局長の方が思い切ったこと言える立場だと思う。先ほどまで堂本暁子議員にお付き合いいただいていたが、女性議員がいるのになぜ女性局長を男がやっているのか。小沢一郎さんというのは頭のいい人だと思うが、仕事を前に進めるには本当の権力者がナンバー2にいて、トップにはその振り付け通りに動く人間がいた方がいいというのを見習い、わが党は堂本さんという女性問題の権威をナンバー2にして、私が女性局長をやっているというのが半分。もうひとつは何としてでも私が、この別姓ができるまでは女性局長を続けたいとわがままを言い、女性局長をやっている。

党議拘束の話ともからむが、私は夫婦別姓と民法の問題は、場合によっては、今騒がれている政界再編の軸になりうる話だと思っている。
なぜかというと、家族をどういうふうに見るかというのは、政界再編の軸にはならない。古い封建的な家族観をお持ちの方もそれはいい。私などは、婚姻などは法律で縛る必要はないと、むしろ反対側のラジカルな思いを持っている。それぞれ色んな家族観を持ってもいいと思うが、この民法改正で夫婦選択別姓を認めるかどうかというのは、自分と同じ家族観を1億何千万の日本国民全部に押し付けるのか、それとも自分とは違う家族の見方というものを認めるのかということの選択だ。

別に夫婦選択別姓にしたからといって、一夫一婦制に基づいて、従来の家制度に基づいた家族観を否定するわけではない。そこが大事なポイントで、自分とは違う価値観を認めるかどうか、そこに寛容であるかどうかということは、リベラルという言葉が聞かれるが、まさにリベラルそのものを具体化したポイントだ。だから私は本当の政界再編をやるなら、夫婦選択別姓に賛成の政党を作ったら一番いいんじゃないかというくらいに思っている。だから、わが党はこの話は一致結束をしている。何を言いたいか分かっていただければと思うが。

そういった観点からすれば、私は実は党議拘束を外すのはむしろ逆かなと。この話で各政党の中で意見が分かれていれば、分裂してやっていただいた方がいいんじゃないかというくらいに、正直思っている。

今、金田誠一議員に後から来ていただいているが、特に、5年別居条項について、その後はどうなるのかということについて金田議員を中心に、相当危惧の声があがり、わが党ではこの民法改正案を党内了解を取る段階で一番もめたのは、別姓ではなくてむしろこちら。私自身弁護士なので、法律的な仕組みの組み立て方が非常に難しいということを、認識するが、離婚後の―女性に限らない、これからはむしろ女性の方が経済力を持っていて、捨てられて男が泣いているという話も結構出てくるのではないかと思うが―、離婚後に経済力の弱い方の立場の者が、離婚を原因に生活に困るということがないようにすることは、今回5年別居離婚を認めるということで、特に注目されているポイントだが、何とか技術的に難しい部分を抱えているが前に進めたい。

過激なことを言うが、自民党の先生が帰ったのでしゃべりやすいが、家制度の話で古い家族観というのを、与謝野先生などは私どもと同じ立場でやっていただいているが、不倫というような言葉が出てきた。これは全員がそうとは言わないが、一般論として申し上げるが、夫婦選択別姓に反対して、家制度を守れとか、不倫はダメだとか、訳のわからないことを言っている方は、ご自身は宇野宗佑さんのようなことはないのかと尋ねたい。私自身は恋愛とか性とか夫婦というものに関して、古い価値観、自分自身もとるつもりはないし、一夫一婦制を絶対、私まだ独身なので余計なことをあまり言わない方がいいかもしれないが、自分が結婚後に一夫一婦制を絶対守れだなんて、今から約束できないし、守ってこなかった人にますます言ってもらいたくない。そういった視点もこの問題にはあるのではないか。自分で守ってこなかった人こそが、守ってない自分の後ろめたさから反対しているのかなという視点で突き上げてみると、面白いかもしれない。


【民主改革連合 笹野貞子氏】
「真理は単純なところにある」私の大好きな言葉で、自分の名前をどうするか、この一番分かり易い問題、これからの日本の家庭を築く上で大変重要なポイントだと思っている。

私の党は、きょうは同僚議員が全員出ているが、結論から申し上げるときょうは連合が主催している催しで、推進するようにという会なのだから、もちろん私たち全員、連合に反対するような勇気のある議員は一人もいないので、結論は分かっている。
しかし今日は内心本当に嬉しいのは、この問題は、男性の封建制と横暴性が、非常によく分かる問題なので、常々私は連合に参加する男性に、非常に封建的な人が多いなと思っているが、この問題ついては、これほど新しく、陣頭を切って頑張っているというのは、さすが我が所属する連合だと心から敬意を表している。

さて、憲法の13条、14条、そして24条。13条は個人の尊厳、14条は男女平等、24条は夫婦の平等。日本の憲法は、個人に関することをこの3条の規定において、きっちりいろんな角度から、個人をいろいろなところで尊重するんだ。そして封建的家族制度というグループごとに物事を考えるという考え方は、民主主義という個人を信じて、個人の投票において国の将来を決めるという時には、個人が一番重大だという事を、しつこく、しつこく言っている。そういう意味で「真理は単純なところにある」。
個人を一番大切にするにはまず自分自身と同じ価値観のある名前を大切にすることだ。自分の名前を大切にするということは、他の人から識別する事であり自分自身を非常に大切にすることにあると思う。

私が大学院で学んだ時に、先輩に土井たか子さんがいたが、私が民法の勉強した時、一番、民法の家族法、親族法が新しい憲法と同時に大きく変わった。そして刑法の姦通罪という罪が、削除された。私は大変興味を持ってこの、民法の親族編を勉強した時に矛盾がたくさん出てきた。おかしいではないか。なぜ婚姻の適齢期を16歳、18歳にするのか。なぜ不詳推定期間を違うようにするのか、なぜ未成年者の婚姻に親のどちらかの承諾が必要なんだろうか。あるいは、非嫡出子の相続権は、妻の寄与分はどうなるんだろうか、いろんなところを興味を持って論文に書いた記憶がある。

そのときに私は、女性が名前を変えるというのは、最も女性の人権を無視した最大のことであるから、これはよくないという事を論文に書き、随分頑張ったことがある。
そして私が、結婚した時には私が決して自分を粗末にしたくないという事で、うちの犠牲者になった配偶者と相談をして、ずっと結婚以来、別々の姓を名乗って今日に至っている。私が現実に別々の姓を名乗って何か困った事あるかというと何もない。いいことばかり。お互い独身と間違えられて、それぞれモテる状況なっているし、いろんな意味で私は、別姓になっている方が、個人ということを中心にこれからいかなければならない日本の社会には、こうあるべきが当然だと思っている。

さて、この問題を、ちょっと歴史的に考えると、日本が憲法を改正するときにもちろんこの戸籍法の事に手をつけたのだが、当時事務が混乱して、個人戸籍にできなかった。将来は個人戸籍にしよう、とりあえず筆頭者を作って、夫婦を一緒にすると戸籍を作る時に能力が半分でいけると、そういう便宜的なことから今の筆頭者という戸籍ができている。もともと憲法が出来る時には、いずれ個人戸籍ということなのだから、やっぱりあの憲法を改正するときの原点に戻っていただきたいと思う。

しかし、私はこの問題はそう簡単にいかないだろうという一人だ。なぜかというと日本の社会は全て夫婦というのはひと組のグループとして、給料体系あるいは、雇用体系ができていて、給料も配偶者控除や家族手当があり、男性と女性が一緒に社会に平等にするという事を、いろんな角度から拒んでいるのが今の日本の現状。そういう点からこの問題も簡単ではないと私は思っている。

「真理は単純なところにある」というのはそういう事だと思う。
これから日本の本当に成熟した民主主義をつくるためには、まず単純であり、しかも重大なところから、懸命に取り組まなかったら、一角が崩せないというふうに思っている。私は皆さん方と一緒にこれから一生懸命にこの問題について、力を合わせていきたいと思うが、きょうは私の体験を交え、連合のみなさま方に敬意を表しながら、お互いの連帯のご挨拶に代える。

続く

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