衆議院解散の瞬間 1983・86年 中曽根総理[2021/10/15 11:30]

昭和の衆議院解散の瞬間映像をシリーズで公開します。
中曽根康弘総理大臣による2回の解散です。

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1983年11月28日 “田中判決解散”

議員が本会議場に入場し、中曽根総理も着席します。
福田一議長も席につきました。

福田一議長:
 これより会議を開きます。

保利耕輔議員:
 議長ー!

福田議長:
 保利耕輔君

保利議員:
 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。
 すなわち、石橋政嗣君外十三名提出、中曽根内閣不信任決議案は、提出者の要求のとおり、委員会の審査を省略して、この際これを上程し、その審議を進められんことを望みまーす。

福田議長:
 保利耕輔君の動議に御異議ありませんか

議場から:
 異議なし

福田議長:
 ご異議なしと認めます。
 中曽根内閣不信任決議案を議題といたします。

この直後、後藤田正晴官房長官が、解散詔書を包んだ“紫の袱紗(ふくさ)”を持って本会議場に入場。
事務総長から手渡された詔書を福田一議長が読み上げます。

福田議長:
 ただいま内閣総理大臣から、詔書が
 発せられた旨伝えられましたから、朗読いたします。
 日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。

与野党議員から一斉に万歳と拍手が起こりました。午後3時36分のことでした。

この解散は、ロッキード事件で田中角栄元総理大臣に有罪判決が下りたことで国会が空転したため、“田中判決解散”と呼ばれました。
解散から12月18日の投票日までの期間は、それまでで最短の20日でした。

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1986年6月2日 “死んだふり解散”

中曽根康弘総理大臣による2回目の衆議院解散の瞬間です。
本会議場ではなく、衆議院議長の応接室が解散の舞台です。

自民党の国会対策委員が着席していますが、ボイコットした野党側は空席です。
坂田道太議長が到着しました。

議員:各党、呼んできてくれませんか

自民党の国対委員は野党を呼びに退出、電話でも呼び掛けます。

しかし、野党は参加せず、委員らが戻ってくると、後藤田正晴官房長官が、解散詔書を包んだ“紫の袱紗”を持って来ます。
詔書を坂田議長が読み上げると、出席した自民党と新自由クラブの議員らが万歳三唱と拍手をして終了しました。

1983年の総選挙で過半数割れを喫した中曽根総理は、党勢回復のため衆参同日選挙を模索していました。
解散を繰り返し否定しつつ、臨時国会を召集して本会議を開かぬままいきなり解散し、“死んだふり解散”と呼ばれています。

※この映像にはナレーションはありません。ご了承ください。

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