特集 無敗の男・中村喜四郎と野党の未来[2021/11/01 02:22]

オートバイが、「無敗の男」のトレードマークです。

立憲民主党・中村喜四郎氏:「どうも」
支持者:「体に気を付けて」
中村氏:「ありがとうございます、すいません」

大越健介:「車列が来た。おぉ。オートバイ。すごい。よく目立ついで立ちだなぁ。人と対面で、一対一で会って、支持を訴えるが選挙なんだと。風頼みにしないんだというのが中村さんのやり方」

中村喜四郎氏。
当選14回。一度も負けたことがありません。

中村氏:「常識が通らない政党になった。自由民主党は。数の力にものを言わせて何やったも構わないと」

オートバイにまたがり、演説から演説へ。
遠くに支持者を見つけると…。

中村氏:「どうも」
支持者:「悪いね、こんな所まで入ってきて。応援してます」

一日20カ所の街頭演説を分刻みのスケジュールで、こなしていきます。

現在72歳。体調のケアは欠かせません。

中村氏:「オートバイに乗れなくなったらおしまい。気持ちが萎えたらおしまい。そういう面では原点」

初当選は1976年。
科学技術庁長官や建設大臣を歴任し、「自民党のプリンス」と呼ばれました。
しかし、1994年 ゼネコン汚職事件で逮捕。

記者:「今、中村代議士、到着です。東京地検正門から、堂々と歩いて中に入っていきます」

無罪を主張しましたが、実刑が確定し、失職。
服役後は、無所属ながら勝ち続けました。

支えてきたのが後援会組織「喜友会」。
キャッチコピーは「党より人」。

今回の出陣式は、感染対策のため、10カ所での分散開催です。
それでも各会場には、多くの支持者が集まりました。

記者:「喜友会の会員はどんな存在か」
中村氏:「人生で一番大切なもの」

しかし今回は、かつてない厳しい戦いです。

中村氏:「八方ふさがりの中村喜四郎が、どう考えても万事休すと」

立憲民主党に入党し、「反自民」を鮮明にしたことで、選挙区内の市長と町長は、全員が自民支持に回りました。
知事も。

茨城県・大井川和彦知事:「今度こそ“無敗の男”を引きずりおろして永岡桂子に全力での選挙区の勝利を」
自民茨城7区・永岡桂子さん:「最後の最後まで走り抜けます。ぜひ皆さん、勝たせて下さい」

公明党も自民候補につきました。

永岡氏:「比例は公明党だからね」
支持者:「今、書いてきます。そこで」

永岡氏:「(手応えが)全然違う今までと全然違う」
記者:「公明党の支援が大きいのか?」
永岡氏:「与野党対決が大きい」

それでも、野党を選んだ理由とは。

中村氏:「小異を捨て大同につく。与野党伯仲を目指す。与野党伯仲になれば、必ず今の与党が目覚めてくる。目覚めなければ倒す」

その真意について聞きました。

大越:「与野党伯仲を目指す。与野党伯仲によって、どのような政治がもたらされるのか?」
中村氏:「与党が当然、そうなったら大変だということになりますから。昔の自民党と同じように野党に対して耳を傾ける。合意形成しなくちゃならないと。多数決の論理は通らないという状態が正常な国会で、そこで自民党が直れば、それもよし」
大越:「野党第一党に籍を置いて戦うことの意味は、どちらかを支持するということではないと?」
中村氏:「私は、自民党でも立憲でもやることは同じだと思うんです。私が目指してるのは、昔の自民党はこうだったと、野党の人に共有できないかと呼び掛けていく。自民党が昔の自民党を捨てちゃったんだから、我々はそれを拾って、しっかりとした保守の在り方、政治の在り方っていうのを作ろうじゃないかと」

与野党伯仲を実現するため、野党の若手議員に自らの選挙術を伝えようと、全国を回ってきました。

中村氏:「他人の選挙を自分のことのように一生懸命やる。自分で汗をかかないで、人に頼ろうとか、風に頼ろうとか、やり方の姑息(こそく)さが、国民が野党に魅力を感じない」
大越:「ご自身でそのことを実践してきた自負がある?」
中村氏:「そうです。野党っていうのは、風を待ってたんじゃダメなんです」

今回の衆院選で“無敗の男”中村喜四郎さんは敗れましたが、比例で復活当選しました。
支持者へのあいさつで「試練と受け止め、こらからも正々堂々と頑張る」と話しました。

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