いま市議会、そして市議のあり方が問われている。そもそも地方議員とはどういった仕事をして、どのくらいの待遇を受けているのか。現役市議らの証言を交えて深掘りした。
「田久保劇場」とも称される静岡・伊東市長の学歴詐称疑惑をめぐる市長と市議会の攻防は、補正予算が組めない「前代未聞」の状態になっている。市政は事実上停滞し、市役所も本来あるべき仕事に支障が出ている。
この混乱を他の市長はどう見ているのか。2025年の「M-1グランプリ」への出場を表明した、福岡県太宰府市の楠田大蔵市長に話を聞いた。「M-1」へチャレンジした理由については「もう次の市長選挙に出馬しないと表明をしたため、最後の町おこし、最後のPRをしたいと、今回チャレンジすることになった」と説明したうえで、伊東市の問題については「政治家という仕事は、直接市民に選ばれるという立場。市のトップになるため、やはり引き際は大事だ。信任・信頼がないと、施策自体が進められない」と語る。
この発言は、楠田氏自らの経験に基づく。太宰府市では8年前、前市長が給食費無償化を撤回し、議会が対立した。市長は議会を解散したが、撤回に反対する議員が多数当選し、前市長は失職。楠田氏が当選したという混乱があった。
この経験から「市長は良くも悪くも、直接(選挙で)選ばれていて、権力も集中している。最初に公約したことや、市民が選ぶ条件が変われば、そこはもう1回出直しなり(をすべきだ)」と話す。
「地方自治は民主主義の学校である」との名言を残したのは、19世紀のフランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィルだった。半径数百メートルの身近な問題を住民の代表者が話し合い、住民はそれを監視する。問題解決のプロセスを通じて、自由や責任を学ぶことが、やがて国家レベルの民主主義の基盤になるとの考えに基づき、民主主義を体験し学ぶ自治体こそ“学校”だと称した。
自治体の主人公は住民だが、その担い手は首長(市区町村長)と議員だ。それぞれが住民から選ばれる「二元代表制」が採用され、ともに住民の代表者として対等な関係で緊張を保つことが理想とされている。市長は主に予算案や条例案を提案。市議会で市議たちが、それを検討し、承認したり否決したりするが、理想通りとはあまりいかないようだ。
市のトップである市長は知られているが、市議についてはどうか。長野県松本市で市民に話を聞くと、「姿が見えないとは率直に感じている」「そんなに深く気にしたことは(ない)。いろいろ頑張ってくれているのだと思うが」「知らない。(名前も)わからない」などという答えが返ってきた。
そんな地方議員について、ユニークな方法を取った自治体がある。福島県矢祭町は2008年、財政難を理由に、議員報酬を月額から日額制に変更した。町議会の緑川裕之議長は、「出馬したときから日当制で、12年間は日額報酬で勤めてきた。(実働日数は)年間30数回で、100万円ぐらいだ」と話す。
1日の報酬は3万円で、年間平均は100万円。つまり実働は30日という理屈が成り立っていたことになる。なお2024年、財政が回復したため月給制に戻し、年収は約300万円になっている。
地方議員をめぐっては、その実態を赤裸々に告白する本を出した市議もいる。『おいしい地方議員』著者である、神奈川県秦野市の伊藤大輔市議は、「年俸762万円、公務38日、市議選の競争倍率1.17倍。報酬は市議自ら決定できるし、手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。兼業でやるなら最高の仕事だ」と語る。
書籍では「(秦野市議の)年俸を労働日数で割ると、日給およそ20万円。さらに時給換算すると、約2.9万円/時。経験上、議会の開会日や議員連絡会は、ほぼ午前中に終了し、委員会や一般質問のある日でも17時を回ることはまれなので、実際の時給はおそらくもっと高い」と説明されている。
著者の伊藤氏は2019年、地元への大型企業誘致に疑問を感じ、秦野市議になった。しかし、使命をもって市議になった伊藤氏が垣間見たのは、“おいしい生活”にしがみついているように見える市議の姿だった。
日本で働く市議会議員の数は、1万8458人(全国市議会議長会、2024年7月集計)。議員報酬は市議会の承認で決められ、全国平均は42万6000円だ。トップは横浜市の95万3000円で、議長になれば117万9000円。政令指定都市は軒並み高給だが、財政難の自治体では決して高くはない。
『おいしい地方議員』で、伊藤氏は「報酬だけで生活する専業議員の不安(リスク)は大きく、この不安が議員を保身へと走らせ、ベテラン議員が若手へ席を譲らないなど、新陳代謝の阻害に繋がっているとしたら、今の制度自体を考え直さなければならない」と問題提起している。一方で、「とはいえ、やはり市議ひとりじゃ何もできない。市議2期目で二元代表制の限界を痛感している。市議会を可視化するなら、“バンクシー作『退化した議会』”だ」とも語る。
元東京都知事の舛添要一氏は「市議は役人と結託して改革に反対する」「私に言わせると、そんな茶番な地方議会のどこが民主主義の学校と言えるのか?トクヴィルもあきれているだろう」と指摘する。
市民から「市議の仕事ぶりが見えない」と思われていることについて、伊藤氏は「いろいろな側面があるが、月1回市民との懇談会を行うなど、会期中でなければ実際に時間はある。政治活動と議会活動は違うが、混同して語られることがある。僕たちに支払われている報酬は、自分が当選するための政治活動ではなく、議会活動に対する報酬だと考えるべきだ。議会がないときは準備のための勉強をしていることもあるが、ネクタイを締めているのは年間約50日。時間があるかないかと言えばある」と語る。
また伊藤氏は、「待遇面ばかり注目されると下世話な話になる。『時間はある』と言ったが、例えば1人の作家が、自分の作品を議会で発表するとして、言葉のチョイスを含めれば、四六時中考えている。そこは議会で発言する思いによる。自分で書いた本のように、時間や報酬をデータで表すと、下世話な話になる。年俸の多い少ないも、その人の前職によるため、議論は難しい」と語る。
その一方で、「僕がこの本で『おいしい』と書いたのは、エリートが政治家になって、『前職は弁護士や医師をやっていたが、パブリックな精神で、低い給料で、皆さんのために政治をしています』という話を聞き飽きたから。もっと条件を明らかにして、『これくらいもらっている』と言えば、『僕もやってみよう』という人がいっぱい居るのではないか」と、執筆の動機を明かす。
これに対し、元テレビ朝日社員で、2023年に松本市議になった花村恵子氏は、「待遇だけを見ると、『こんな報酬をもらっているんだ』と思うが、働き方もさまざまだ。年4回議会があるが、その日数だけだと80日ちょっと。ただ、議会以外にもいっぱいやることがある。シンプルにそこだけで捉えられると悲しく、事実と違うと感じる」という。
伊藤氏は「待遇に『おかしい』『おいしい』と思う市民がいれば、とにかく1回政治家になることをオススメする。こちら側になってみて、気持ちを言ってもらう。やりもせずに、多い・少ないを言うのは違う」と考えている。
花村氏はこれに同意しつつ、「長野県内でも、とくに町村議会は報酬が低く、議員のなり手不足が起きている。月額16〜19万円から22万円前後まで上げる町村もある。市議会と町村議会、県議会でも違う。地方の規模によって異なり、一概には言えない」とコメントする。
花村氏によると「専業議員がほとんどで、兼業の方が少ない」というが、伊藤氏は「秦野市議は専業が4割。地元の印刷業や内装業など、議員の立場が自営業でプラスに働くこともある。現実に仕事が多少増えることはある」と明かす。
さらに、伊藤氏は「2期目の秦野市議選は著書を読んだ人で盛り上がった。定数24のところに36人と、史上最多級の候補者が出た。7人くらいは相談に乗って、『市議の仕事はこうだ』と話した。その中から約4人の新人が当選したが、ふたを開けると、僕の仲間になってくれる人は1人もいなかった」と振り返る。
その理由は、「反市長の立場を取っているため、1期目も1人でやっていた。ローカル議会は“オール与党”になっていて、市長の権力になびく。どんな思いを持っていても、議会に行ったら市長側と仲良くした方が、自分に投票した有権者に顔向けできる。『目の前の道路を直してくれ』ということも、反市長的な立場より、市長援護の立場から言った方が、人間だから聞いてもらえる。2期目は1期目のようにぶっ放しても仕方ないと、モノの言い方に気をつけている。『NOを言えない秦野市議会は機能不全だ』などもオブラートに包むように話すと、意外と『結構いいやつだ』となって、最近は気に入られつつある」と語る。
花村氏は「私もモノの言い方に気をつけないといけないと感じている。理想だけ固めていても、仲間を作らないと議会の中ではつらい。作法や仲間作りなど、同志を集めることが非常に大切だ。地方議会では首長の力がとても強く、二元代表制と言っても、本当の意味でイコールではないなと感じる」との感想を述べた。
舛添氏は、二元代表制の問題点を指摘する。「議会があって、市長や知事がいるが、真ん中の役人・官僚機構が抜けている。誰が政策を作っているのか。私は1人しかいないから、多摩から下町、島のことまで、東京都全体のことを考えている。東京都の交通体系を考えるときに、都全体から見て『ここに地下鉄を通せばいい』と考えるが、都議は全部選挙区が違い、それぞれの利害の対立があり得る」と説明する。
そして、「では役人はどちらを向くのか。知事や市長が『自分の政策だからやれ』と言うと、基本的に命令は聞かないといけないが、首長は4年で任期が終わるが、議員は5期なら20年居る。役人と議員のズブズブの関係がある」と指摘する。
「議会によって違うと思うが、『誰が政策を作るか』となると、最後は役人を使わないといけない。二元代表制はいいが、首長の立場から見ると、どうしても議会に嫌な思いがある。役人と議員が一緒になって、改革をストップする。そういう事を何度も経験しているから、首長の立場から『議会ってなんだ』と厳しいことを言っている」(舛添氏)
一方で、議員の存在意義については、「ないといけない。それぞれの住民の声は、都庁にいる私が全部は理解できない。各議員が『こうだ』と言ってくれる集大成として必要だが、そのあり方は考え直すべき時が来ている」とした。
(『ABEMA的ニュースショー』より)