参院選の大敗から50日。自民党内の抗争は、石破総理の退陣で、ひとまず幕を下ろしました。
自民党総裁選は、10月4日に実施する方向で最終調整されています。
「(Q.政権の中で“ポスト石破”を狙う人の出馬は認めるか)当然、認められるものです。国民の皆さまに対して、万全の責任が果たせる体制をつくったうえでの立候補であれば、何らそれを妨げる理由はない」
辞任を表明した7日の会見で繰り返したのは、無念の思いでした。なぜ、身を引くことになったのでしょうか。
石破氏が自民党総裁に選ばれたのは、去年9月のことです。5度目の挑戦でようやくつかんだ宰相の座でした。直後の国会で、こう述べました。
「勇気と真心をもって真実を語り、国民の皆さまの納得と共感を得られる政治を実践することにより、政治に対する信頼を取り戻し、日本の未来を創り、日本の未来を守り抜く決意であります」
ところが、石破総理は戦後最短、就任8日での解散総選挙に打って出ます。新政権の勢いがあるうちに選挙を行うべきだという党内の要求に抗えませんでした。
そして、待っていたのは“少数与党”の政権運営。通常国会を前に伊勢神宮に参拝した際には、自らの置かれた状況を、こう語っていました。
「私どもは少数与党でございます。野党の方々の賛成を得なければ、法案も予算案も通すことができません。
本当に、これ以上ないほどまでに誠心誠意、ご説明をして、多くの国民の皆さま方、野党の方々を支持される方々、無党派の方々、そういう方が、なるほど政府の言うこと、もっともだねと。そういう環境をつくらなければ、野党の方々に賛成していただけると私は思っておりません」
しかし、誠心誠意の説明で通じるほど、国会は甘い世界ではありません。
国民民主党が主張した『年収103万円の壁』の引き上げ、日本維新の会が掲げる『高校授業料の無償化』。予算案や法案への賛成を取り付けるためには、こうした政策を受け入れるしかありませんでした。その過程で、政権の体力はじわじわと奪われ、“石破カラー”が入り込む余地はなくなっていきます。
加えて、党内基盤は依然として弱く、かつて気脈を通じた仲間からも厳しい声が投げかけられました。
「私は、自民党の混乱を防ぐためには、ご本人に(辞任を)判断をしていただくのが、一番、いいと。最後の最後まで、それに期待をしたい」
結果、実現できなかったことです。
「地位協定を改定したいと私は思います。これから党内で議論し、各党とも議論を進めてまいります。必ず実現したいと思っています」
「選択的夫婦別姓、かねてより個人的には、積極的な姿勢をもっている」
「我々は企業・団体献金の禁止を言っている。私と総理で膝突き合わせて、協議して、合意をしていく。
そういう作業をする気はありませんか」
「そのようにさせていただきたいと思います。第1党、第2党が党首同士で真摯な議論をすることに大きな意味はあると思っております」
こうした政策は、少なくない人たちが「石破総理ならできるのではないか」と期待していたことでもあります。直近の報道各社の世論調査では、軒並み『辞任は必要ない』という声が多数になっていました。
「『石破なら変えてくれる』『石破らしくやってくれ』という強いご期待で総裁になったと思っています。しかし、少数与党ということで、党内において、大きな勢力を持っているわけでもございません。本当に多くの方々に配慮しながら、融和に努めながら、誠心誠意、務めてきたことが、結果として“らしさ”を失うことになった。どうしたらよかったのかな」
◆石破総理を就任当初から取材し続けている政治部官邸キャップの千々岩森生記者に聞きます。
(Q.就任から1年足らずでの辞任表明となりましたが、石破政権をどう総括しますか)
「1年足らずの辞任表明に至りました。なぜかと考えますと、まず、政権に明確な目標や旗印がなかったです。総理側近からも、『石破政権とは何をする政権なのか不明』という嘆きが聞こえていました。1月の施政方針演説で、石破総理が掲げた『楽しい日本』というキャッチフレーズは、もうほとんど忘れられています。旗印がないことで、政権を前に進めるエンジン、エネルギーが乏しかったということです。もうひとつ、これまでの内閣と比べて、総理を支えるチーム体制も脆弱でした。誰がどう政権運営の画を描いているか不明確で、石破総理自身も仲間づくりが得意な方ではないと。一方で、政権を支えたのは、まさに政治家・石破茂の人気だったといえます。報道ステーションの世論調査で、石破内閣を支持する人に理由を聞くと、トップを争うのが『石破総理の人柄を信頼するから』という項目です。7日の会見で、石破総理は、国会で議論する『野党の向こうにいる国民に向けて話す』という言葉がありましたが、参院選に敗北した後も、続投支持の世論が根強かったのは、石破総理個人への信頼感も一因だったと見ています」
(Q.辞任会見では石破総理自身で『“らしさ”を失った』と言っていました。どういうことでしょうか)
「『石破らしさを失った』という趣旨の発言がありましたが、そもそも石破総理は、何を『自分らしさ』だと思っていたのかという気がします。世間が見れば、正論でいくのが石破スタイルとか、長いものに巻かれないというスタンスだと見ていると思うんですけども、この1年を振り返ると、その“らしさ”の実現とは程遠く、例えば、トランプ関税をどうするのかとか、消費税減税か現金給付といった飛んでくるボールを打ち返すことに汲々とした、いわば“受け身な政権運営”だったのではないかと思います。まさに政権の旗印、具体的な政策や理念を明確にできないまま、政権を担う準備も不足したまま、7日の辞任表明に至ってしまった。そんな気がしています。