自民党の高市早苗総裁が、第104代の総理大臣に選出されました。
21日の総理大臣指名選挙は、ふたを開けてみれば、高市氏が過半数の233を上回る237票を獲得。連立で合意した自民と日本維新の会に加え、一部の会派の票が乗りました。
憲政史上初めて誕生した女性の総理大臣。
海外メディアも速報で伝えました。
「歴史的瞬間です。日本で初めて、女性総理が選出されました」
「彼女は、マーガレット・サッチャーを敬愛する筋金入りの保守派である」
ニューヨークタイムズは、生い立ちから振り返る特集記事を配信しています。
両親は会社員と警察官という、政治とは無縁の家庭に育った高市氏。
神戸大学4年のときに出会った松下幸之助氏に圧倒され、松下政経塾に進むことを決めたといいます。これが、政界への第一歩。その後は、テレビの世界に身を置いていました。
国政に進出したのは、1993年の衆院選。無所属で当選し、1994年の新進党結成に参加します。保守的な発言はこのころからです。
「50年前(戦時中)の指導者がしたことを、過ちと断定して謝る権利が、現在50年後にこの国を預かっている村山総理にあるとお考えか」
1996年の国会。審議を開かせないため委員会室のドアの前で座り込む議員の最前列にいる高市氏です。与党・自民党と厳しく対峙していました。ところが、同じ1996年、自民党に入党。安倍元総理と親交を深め、総務大臣や女性初の政調会長などを歴任するとともに、保守的な発信を強めていきます。
そして、21日、第104代の総理大臣に就任しました。
一方、退く石破総理。退陣を表明してからも、政局の混乱により、1カ月半にわたって官邸の主であり続け、在職日数は386日でした。
「新しい内閣が、きょう発足しますが、やはり分断と対立ではなくて、連帯と寛容。主権者である国民の皆さま方一人一人に、謙虚に真摯に誠実に語りかける。そういう政権であってほしいと思っていますし、そうなるために、今後、私も努力したい」
閣僚からは。
「また皆さま方も、いろいろ応援していただいたらと」
長年、国土交通省の大臣ポストを得ていた公明党は、21日を最後に政府の外に出ます。
「さまざまな課題は山積みですので、当然、まだまだやりたい仕事はあるわけですが、これはどういう立場になっても、今回、大臣として政策を進めたことも含めて、国土交通行政が前に進むように、頑張っていきたいと決意しています」
指名選挙のあと、高市総理は、各党の部屋に足を運びました。
これまで、野党に身を置きつつも、ときに与党のような振る舞いを見せることから“ゆ党”と揶揄されてきた維新。21日から与党の仲間入りです。
高市総理は、笑顔で吉村洋文代表と言葉を交わしました。
対照的な雰囲気だったのが、立憲民主党。顔合わせは短時間で終わりました。
今回、国民民主党の玉木代表を担ぐという奇策を持ち出してもなお、政権交代を果たせなかった野田代表。次のチャンスが、いつ、めぐってくるかはわかりません。玉木代表に対しては、こんな思いを述べました。
「永田町の格言で『永田町の回転ずしは一度取り損なったら、2度と回ってこない』と。そういうことにならないように、気をつけてほしい」
その玉木代表。
「一緒に頑張りましょう」
国民民主党 玉木雄一郎代表
「強い日本経済を」
高市早苗新総理
「はい、強い日本経済を」
国民民主党 玉木雄一郎代表
「私も協力しますから」
連立を離脱した公明党の部屋には、独特の緊張感が漂っていました。
「高市総理誕生、おめでとうございます。日本初の女性総理ということで」
カメラマン
「笑顔でお願いします」
このあと、公明党の部屋に、石破総理が退任のあいさつに訪れました。こちらは、リラックスした雰囲気です。維新が訴える“議員定数の削減”が念頭にあるとみられるやり取りもありました。
「選挙制度改革、あんな民主主義をぶっ壊すようなことをしないように」
21日夕方、官邸では、与党党首会談開かれ、これまでの斉藤代表のポジションに吉村代表が着席。高市総理は「決断と前進をする内閣だ」と述べました。
このあと、官邸には新しい閣僚が次々と。高市内閣は、若手の登用が目立ち、最年少は42歳の小野田大臣。半数を超える10人が初入閣です。派閥の裏金事件に関わった議員は入閣せず、女性の起用は2人に留まりました。
◆憲政史上初の女性総理が誕生しました。これからどのように政権運営を行っていくのでしょうか。ここからは、テレビ朝日コメンテーター室長の藤川みな代さんに話を聞きます。藤川さんはテレビ朝日報道局で、女性初の政治部長を務めていました。
(Q.高市新総理の会見を聞いて、どの場所に注目しましたか)
「冒頭、内閣をつくるまでに時間を要したことについて、政治空白のおわびの言葉がありました。そして、政治の安定のために、維新以外のほかの野党に対しても、政策提案を呼び掛けていて、提案を受け入れる姿勢を示しました。高市総理は、強さで良く知られていますが、強さ以外に謙虚さや柔軟さをアピールしている会見なのかなという印象を持ちました。そして、質疑応答のなかで、解散総選挙のタイミングについて質問が出ていたのですが、『いまは国民が困っている。経済対策最優先で、解散を言っている暇はない』と発言しました。まずは国民生活の安心・安全と発言されていました」
(Q.高市氏が女性初の総理大臣に就任しましたが、どう受け止めていますか)
「世襲ではない、たたき上げの議員が総理大臣になったと。特に、高市氏が政治の世界に入った1993年、政治家になる前にテレビのコメンテーターをされていた時代というのは、男女雇用機会均等法が施行されて、まだそんなに時間が経っていないときですので、女性をとりまく環境は、今では想像できないほど、厳しかったと思います。高市氏は、私よりひと世代、上ですので、身近なロールモデルがあまりないなかで、サッチャー首相を目標にして、自ら道を切り開いてきた。そういう存在の高市さんに、これからは、男女を問わず次の世代の人たちが生きやすい環境を作っていっていただきたいと感じています」
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