15日に自民党は結党70年を迎えた。長きにわたって政権を担う中で政治とカネの問題などを抱え、現在は衆参で少数与党となっている。高市早苗総裁は党として新たな存在意義を示せるのだろうか。
自民党の成り立ち
自民党がいかにして長期安定政権を築いてきたのかを見ていく。
自民党は1955年11月、吉田茂氏が率いる「自由党」と、当時の鳩山一郎総理率いる「日本民主党」が合流し結成された。結成の前月には、それまで左派と右派で2つの政党に分裂していた社会党が統一し、「日本社会党」が誕生していた。革新勢力の台頭に危機感を募らせた保守政党が合流し、「保守合同」が実現する。
ここから自民党と社会党による、保守と革新の対立を軸とした「55年体制」が幕を開ける。
自民党は、労働者階級から支持された「日本社会党」に対抗するため、特定の階級の利益を重視した階級政党ではないとした。結党時に採択された基本文書「党の性格」(1955年)の中では、自民党は「国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党」で「国民政党である」とうたっている。このことが幅広い支持を集めた要因の一つとも言われている。
そんな自民党は、なぜ長期にわたって政権を担うことができたのか。その一つが「疑似政権交代」だという。
考え方の近い議員同士で作る「派閥」は、党の中の党「党中党」とも呼ばれ、自民党内に別の政党があるかのような印象を作っていった。そして、時の政権が不祥事などで支持を落とすと、総裁を別の派閥領袖(りょうしゅう)に置き換えることで党内での「疑似政権交代」を演出し、権力を維持してきた。
与党であり続けたもう一つの要因が「鉄のトライアングル」だという。これは、政・官・財の三者による協力関係を指す言葉で、「政党や政治家」が「人事や予算の確保」で官僚に便宜を図ることで「官(官僚)」が「公共事業や規制緩和」で「財(企業や団体)」に便宜を図る。
そして「財」は政党や政治家に献金し、票を提供する。自民党は結党以来こうした政・官・財の三角関係の協力体制を築き、活用してきた。
ただ、自民党と財界がもたれ合うことで「ロッキード事件」や「リクルート事件」「裏金事件」などにつながり、財界としてもリスクがあることから、財界側が自民党や官僚と距離を置く動きも見せ続けている。
初の衆参少数与党 保守的な姿勢の高市氏
高市政権は発足以降、保守的な姿勢を強めている。
高市総理が自民党総裁となったのち、四半世紀のパートナーで「中道」をうたう公明党が連立を離脱。その後、日本維新の会と新たに連立を組み、外国人への規制強化など保守理念に基づいた政策を打ち出している。こうした言動に党内からは懸念の声も聞かれる。
石破茂前総理はラジオ番組で、中国が台湾を海上封鎖した場合に「存立危機事態になり得る」とした高市総理の国会答弁について「台湾問題で政府が断定することは歴代政権が避けてきたことだ」と苦言を呈している。
(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年11月17日放送分より)






