政治

モーニングショー

2026年3月18日 16:00

石油かアメリカか“油乞い外交”でオイルショック打開 側近語る田中角栄氏の対米交渉

石油かアメリカか“油乞い外交”でオイルショック打開 側近語る田中角栄氏の対米交渉
広告
4

石油かアメリカか、いま日本が直面している状況は第1次オイルショックの時にも突き付けられました。
当時の田中角栄総理の外交力をみていきます。

■日米首脳会談へ 米国産原油 輸入拡大か 日本の狙いは?

トランプ大統領が各国に求めるホルムズ海峡への艦船派遣をめぐり、高市総理は、
「日本がテロの標的になるリスクもある」として
「したたかな、国益第一の外交を展開する」と発言しました。
高市総理は、
「日米首脳会談では、イラン問題をはじめとする中東情勢の厳しさを増す国際情勢についても我が国の考えをしっかりと伝えていきたい」としています。

また、高市総理は、アラスカ州の原油の増産に向けて日米で協力し、その原油を調達する意向を伝える方向で調整しているということです。

狙いについて、日本にとっては原油の安定供給のための調達先の多角化、アメリカにとっても原油価格の安定やビジネスに寄与するという見立てです。

政府関係者は、
「アメリカ産の原油をさらに買うといえばトランプ大統領も喜ぶのではないか」と話しています。
これまでトランプ大統領は各国に艦船派遣の協力を要請していましたが、日本時間の3月18日未明、自身のSNSで、
「我々がこれほどの軍事的成功を収めたという事実ゆえに、もはやNATO諸国の支援を必要とせず、また望んでもいない
日本、オーストラリアあるいは韓国についても同様だ。実際、世界で最も強力な国であるアメリカの大統領として言わせてもらえば我々は誰の助けも必要としていない!」と投稿しました。
広告

■日米関係か石油か 元秘書官語る 田中角栄氏の対米交渉

今から約50年前にもアメリカに日本の姿勢が問われました。振り返ってみていきます。

1973年10月、第1次オイルショックのきっかけとなった第4次中東戦争が、エジプトとシリアがイスラエルを攻撃したことで始まりました。
エジプトとシリア側にはアラブ諸国、イスラエル側にはアメリカがつき、対立する中、アラブ諸国は、友好国以外には石油の供給制限を行うとしました。

この時の総理大臣は田中角栄氏です。

当時秘書官を務めていた小長啓一さんによると、
“日米関係か 石油か”という危機感の中でアメリカ側とのやり取りはギリギリのものだった。角栄氏からは並々ならぬ緊張が伝わってきた」といいます。

戦争勃発の翌月、アメリカのキッシンジャー国務長官が来日します。

小長さんによると、キッシンジャー国務長官は、田中角栄元総理に対して、
「アメリカとイスラエルの味方をしろとは言わないが、アラブ側につくのはやめてほしい」と要求。
田中角栄元総理はアメリカの要求に対し、
「日本は石油を中東に依存しているんです。その分、アメリカが肩代わりしてくれるんですか?」と聞き返すと、キッシンジャー国務長官は答えられず沈黙。
田中角栄元総理は、
「そうでしょう。日米同盟は確固たるものだが今回はアラブ諸国と手を結ぶことにします。そこはわかってほしい」と訴えたといいます。
小長さんです。
「当時アメリカは非常に立場が強く『日本は従え』と言わんばかりだったが、相手が誰であれ国益のために言うべきことは言うというのが角栄氏の信念だった。」といいます。
アメリカとの会談後について、小長さんです。
「キッシンジャー氏が納得していたかどうかわからないが、会談後に日米関係が悪化することはなく、日本は石油供給の安定化に向けアラブ寄りの外交に転換した

日本は房長官談話として、
『1967年の第3次中東戦争以来、イスラエルが占領しているすべてのアラブの領土からイスラエルは撤退すべき』などアラブ諸国を支持する立場を表明しました。

オイルショック打開に向けて、三木武夫副総理が中東地域を訪問し、友好協力関係を強化する、いわゆる“油乞い外交”を行いました。

その結果、1973年12月、アラブ石油輸出国機構は、日本を『友好国』に認定し、日本に石油が安定的に供給されることになりました。

広告

■米中首脳会談 トランプ氏「訪中延期」イラン情勢が理由

米中首脳に新たな動きがありました。

トランプ大統領は3月16日、3月31日から予定していた中国訪問を1カ月ほど延期するよう要請したと明らかにしました。

トランプ大統領は、
「行きたいのは山々だが、戦争中だからここにとどまりたいし、とどまらなければならない」と述べています。

また、(延期の要請が)駆け引きではないと強調しました。

一方、中国側です。

中国外務省は、
「トランプ大統領の訪中について米中双方は意思疎通を保っている」と述べるにとどめ、
いつに延期になるのか、という問いには、
いま提供できる新たな情報はない」としました。

■原油価格高騰 家計への影響 電気代いくら上昇?

このままイラン情勢が続くと、家計にはどのような影響が出るのでしょうか。

原油先物取引価格は、3月17日時点で、1バレル94ドル台です。
アメリカとイスラエルによるイラン攻撃前と比べて、約27ドル増えています

家計への影響について、野村総合研究所の木内登英さんの試算です。

ホルムズ海峡が完全封鎖されないが、原油輸送の支障が長期化するケースです。
年間を通じた原油価格を1バレル87ドルと想定します。
イラン、攻撃前の1バレル67ドルだったときと比べて生活がどう影響を受けるか試算すると、
電気料金は、2人以上世帯で年間9518円の増加
また(電気代以外の日用品や食料品などの)物価上昇の負担総額は、年間で1万1690円増加という結果になりました。

続いて、ホルムズ海峡が完全封鎖されたケースについて。
年間を通じた原油価格を1バレル140ドルと想定します。
電気料金は、2人以上世帯で年間3万4548円の増加
また(電気代以外の日用品や食料品などの)物価上昇の負担総額は、年間で4万2989円増加という結果になりました。

広告

■オイルショックで“トイレットペーパー騒動”不安連鎖の真相

かつてオイルショックで日本の生活が大きな打撃を受けたことがありました。
改めて第一次オイルショックのきっかけです。

1973年10月、第4次中東戦争が勃発し、石油輸出国機構(OPEC)が原油の供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを行いました。

これによって国際原油価格は3カ月で約?4倍に急上昇
消費者物価上昇率は1973年に15.6%、1974年は20.9%と急伸しました。

例えば、洗濯用洗剤。
東京都区部でオイルショック前の1972年は1kg451円でしたが、1974年は604円
30%以上の値上がりです。
この時期のこうした異常な高騰は“狂乱物価”とも呼ばれました。

騒動も起きました。

大阪・豊中市のスーパーでは、1973年10月に突如、開店前から200〜300人の行列ができました。
お客さんの目的は、トイレットペーパーでした。
店にあった1週間分・1400個がわずか1時間で売り切れたということです。

なぜトイレットペーパーに殺到したのでしょうか。

スーパー周辺では「トイレットペーパーがないらしい」とうわさがたっていたということです。
さらに、当時は専業主婦が多く井戸端会議があちこちで開かれそのうわさが拡散していきました。

友人に誘われ、スーパーに行った女性は、
「列を見てびっくりして『並ばないと』と思った」といいます。

しかし、その少し後、1973年11月2日付の朝日新聞の記事では、
『調べたら(トイレットペーパーは)生産増
つくられたパニックのにおい』
などと書かれていました。

スーパーの担当者だった男性は当時を振り返り、
「要するにうわさ話ですよね。あれは おばけのようだった」としています。
騒動の背景について、中東情勢に詳しい、日本エネルギー経済研究所の保坂修司さんは、
「当時の人々は中東に関する知識がなく、正確な情報がなかった。『不安』がパニックにつながった」と分析されています。
現在のイラン情勢においてもトイレットペーパーの業界団体である日本家庭紙工業会は、
「トイレットペーパーは中東に依存しておらず、97%が国内生産。なくなることはない」と説明しています。

(「羽鳥慎一モーニングショー」2026年3月18日放送分より)

広告