拠点、上九一色村…「サティアン写真」で見えた素顔[2015/03/20 17:28]

 山梨県旧上九一色村。オウム真理教の「拠点」として不名誉な形で有名になってしまった村は、一連の事件後、2006年に甲府市と富士河口湖町に分かれて再編されました。当時を思わせるものはなく、「サティアン」と呼ばれていた建物跡地には整備された公園と「慰霊碑」と書かれた石碑があるのみです。一方、サリンなどを製造していた場所には草が生い茂り、今はさら地となっています。当時の村には、こうした施設が30棟以上立ち並び、全財産を教団に渡した多くの信者が修行していました。すでに刑が確定している井上嘉浩死刑囚ら多くの信者は、松本智津夫死刑囚の教えに従い、質素な生活を送る一方で、松本死刑囚自身は豪華な生活を送っていたといいます。番組は当時、村の住民が撮影した100枚以上の写真を入手しました。サティアン内部を撮影した写真を見てみますと、「尊師用」と書かれた扉があり、中には一般の信者には与えられていなかったウォシュレット付きのトイレや専用の風呂があります。信者には原則「一日一食」で、味付けをしない野菜を主食にさせていた一方で、この部屋にはたくさんの調味料が保存されていました。また、信者の監禁部屋もあり、そこにはトイレの代わりにバケツが備え付けられていました。松本死刑囚は、1995年5月、サティアン内の畳1畳ほどの「隠し部屋」に潜んでいたところを捜査員に発見・逮捕されました。その傍らには、スナック菓子、そして現金900万円余りが置かれていました。その後、7年に及んだ裁判では、不規則発言を繰り返したり暴れるなどし、事件の真相について語ることがないまま、2006年9月、死刑判決が確定しました。

こちらも読まれています