「原爆ドーム」今なお残る傷痕 広島・原爆投下70年[2015/08/06 11:45]

 70年前のきょう、1945年8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下されました。地上の温度は3000度を超え、爆心地から半径2kmが焼き尽くされました。当時、広島にいたとされる約35万人のうち14万人が命を奪われました。平和記念式典で広島市の松井市長は、核兵器の廃絶に取り組む決意を語りました。

 (大重麻衣アナウンサー報告)
 私は今、原爆ドームの敷地内にいます。70年前の6日、ここからわずか150m南の上空で原子爆弾が炸裂(さくれつ)し、建物は一瞬で変わり果てた姿となりました。平和公園には、夜が明ける前から多くの被爆者や遺族が訪れました。
 被爆者:「すごい光景だった。忘れることはできません」「(妹に)今度、生まれてくる時は平和な所に出てくるのよという気持ち」
 被爆者の平均年齢は初めて80歳を超え、最も多い時の半数を割りました。平和記念式典には過去最多となる100カ国が出席。アメリカからはケネディ駐日大使のほか、初めてゴットメラー国務次官も参列しました。広島市の松井一実市長は、被爆者は憎しみを超えた「人類愛」と「寛容」の心を持っているとして、その心を広げ、核兵器廃絶に取り組む決意を語りました。
 広島市・松井一実市長:「2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます」
 ドームの中に入ると、足元には崩れ落ちたれんがが広がります。そして、中の壁には大きな亀裂が入り、生々しい傷跡が残っています。原爆ドームは今年度、初めて耐震化工事が行われます。70年間、平和のメッセージを伝え続けた原爆ドームは、次の10年も力強く核兵器廃絶を訴え続けます。

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