上村遼太君の父親の思い 裁判意見陳述全文[2016/02/05 20:03]

 川崎市で中学1年生の上村遼太君(13)が殺害された事件の裁判で、上村君の父親が4日、法廷で意見陳述をしました。

 遼太がいなくなり、1年が経とうとしています。遼太を失った悲しみは何一つ癒されることはありません。たぶん、これからもないと思います。私は一生、この悲しみ、苦しみを背負って生きていかなければなりません。また、遼太の命を奪った犯人たちを一生恨み、憎み、許すことはないでしょう。私は今、遼太が短い人生の半分以上を過ごした島で生活しています。とても小さな島です。どこに行っても遼太の思い出ばかりです。いつも釣りをしていた岸壁、真っ黒になって泳いでいた海水浴場、なぜか玄関からではなく、リビングの窓から必ず「お父さん」って言いながら入ってきた私の家。どこにいても遼太の姿を思い出してしまいます。毎日、毎日その思い出とともに生きています。遼太が生きていれば楽しい思い出だったのですが、今では辛い思い出になってしまいました。遼太と最後に会ったのは去年の1月2日でした。その日は、私が午後の飛行機で帰らなくてはならず、午前中に待ち合わせをして一緒に昼食を食べました。食べたのは、いつも行く回転寿司でした。その4日前に会った時にも行った店です。あの子はいつもマグロとサーモンばかりを食べていました。少し照れたような笑顔で美味しそうに寿司を食べている遼太が、まだ目に焼き付いています。食事の後、京急川崎駅での別れ際に「お父さん、今度の夏休みは島に行きたいんだけど」と言ってきたのが最後になってしまいました。島では、夏には遼太が帰ってくると喜んでいた友達がたくさんいました。私も楽しみにしていました。しかし、遼太が島に帰ってくることはもうないのです。
 2月21日に川崎警察署の方から連絡がありました。私は、その時はまだ海の上で仕事中でしたが、急いで港に帰り、川崎へ向かいました。本土へ向かうフェリーのテレビでは、事件のことが流れていました。その時、初めて遼太だと発表されていました。しかし、まだ心のどこかでは間違いであってほしいと思っていました。翌日の朝、川崎警察署に行きました。遼太は、寒い部屋で顔に白い布をかけ、眠っていました。ここまで来ても間違いであってほしいと思っていました。白い布を取ると、遼太でした。切り傷やアザはありましたが、本当にただ眠っているだけのようでした。しかし、何度、呼び掛けても目を開けてくれることはありませんでした。その日から、私は警察署での調書を取る以外は川崎駅前を歩き回りました。もしかしたら、犯人を見つけられるかもしれないと思い、一日中歩きました。あの河川敷から遼太の服が燃やされた公園までも行きました。犯人の家の前までも行きました。買ったばかりの靴がボロボロになるくらい歩きました。
 あの時から、私の犯人に対する怒りは変わりません。むしろ、大きくなっています。犯人は、13歳の子どもに対して、複数で一方的な暴力行為を行いました。遼太はとても気の小さい子でした。年上に囲まれて抵抗なんてできるわけありません。でも、我慢すれば許してもらえるかもしれないと思っていたかもしれません。真冬の川で泳がされても、カッターで切られても、コンクリートに頭を打ち付けられても、生きるために我慢したのでしょう。しかし、犯人は無慈悲にそんな遼太の命を奪いました。遼太がこれから得るはずであった喜びをすべて奪いました。私たちが遼太の成長とともに得るはずであった喜びを奪いました。その時の遼太のことを考えると、胸が握りつぶされるような思いです。どんなに怖かったか、どんなに痛かったか、どんなに寒かったか、考えるだけでも気が狂いそうです。遼太は13歳の子どもでした。しかし、犯人は、そんな子どもに対して残虐なことを行いました。傷ついた遼太を見て、どうして止めようと思わないのか、犯人には社会に暮らす人間として持っているはずの気持ちがあるとは思えません。私は絶対に許せません。犯人にも遼太と同じ恐怖、苦しみを味わわせてやりたいです。「人の命を奪ったものは、自らの命をもって償うべき」、こんなことを言った人がいました。至極当然だと思います。また、「それができないのであれば、人間が古来持っていた復讐権や報復権を個人に返すべきだ」といった人もいました。今の私が思っているそのままです。できることなら、自分のこの手で遼太の仇(かたき)を取ってやりたい。自分がしてはダメなことだとは思いながらも、毎日のようにそう考えてしまいます。
 犯人は19歳の大人です。少年ではありません。選挙権を持つ、私達と同じ大人です。なぜ、報道では、実名ではなく少年になっているのか理解できません。遼太の命を奪った殺人犯です。それだけではなく、私達家族の人生も狂わせました。犯人は分かっているのでしょうか。自分たちがやったことで、遼太だけではなく、どれだけの人間が不幸になり、毎日苦しんでいるのか。毎日、毎日、涙を流している人間がいることを分かっているのでしょうか。どんなに願っても、祈っても、もう一生愛する人に会えない苦しみが分かっているのでしょうか。今回の公判で、初めて犯人の姿を見ました。しかし、犯人は私を見ることはありませんでした。本当に申し訳ないと思っているなら、それなりの行動があっても良いと思います。「反省しています」と言っていました。赤の他人を鉄パイプで殴り、鑑別所に行った時も反省をしたのではないでしょうか。反省をしているから保護観察になったはずなのに、その時の約束は守っていません。日吉事件の後も、遼太に謝り、反省し、「もうやらない」と言ったと聞きました。しかし、遼太の命を奪いました。私が考えることができないような残酷なやり方で、です。犯人の反省という言葉は、信用できるものではありません。「遼太のことを忘れず、背負っていきたい」と言っていました。冗談じゃないです。遼太の命は、犯人に背負えるほど、ちっぽけなものではありません。犯人もその親も、あまりに遼太の命を軽く見ているようにしか思えません。あの日から色々と声をかけられます。「頑張ろう」と一緒に涙を流してくれた人もいました。「前を向かなきゃね」と励ましてくれた人もたくさんいました。しかし、私は、いまだに前を向けてはいないと思います。

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