上村遼太君の母親の思い 裁判意見陳述要旨[2016/02/05 20:06]

 川崎市で中学1年生の上村遼太君(13)が殺害された事件の裁判で、上村君の母親が4日、法廷で意見陳述をしました。

 遼太はよく笑い、よく寝て、おとなしい子でした。体の弱い子で、喘息(ぜんそく)もありました。遼太が年長の時に隠岐に引っ越しました。あっという間に友達をつくり、島に溶け込んでいました。「ママー、ママー」といつも私の周りをチョロチョロしていました。いつもニコニコしていて、争いごとが好きではなく、けんかをした話は聞いたことがありませんでした。授業参観で私が来ているのを確認すると、何度も何度も後ろを向いてニコニコする遼太が可愛くて仕方ありませんでした。小学3年生の時、陸上大会があり、何日も前から「ママ、絶対見にきてね」と言うので、はりきってお弁当を作って見にいきました。スタートすると、なぜかガンガン抜かし、いきなりトップに。私は興奮して、「遼太ー!」と泣いて叫んでしまいました。遼太はこの時のことを「走るの大好き」という題名で文集に書きました。この前、久しぶりに読んだら涙が止まらなくなりました。
 このころから、自分に自信がついたのか、「ミニバスを始めたい」と言っていました。遼太はいつも見にいくと、必ず「母さん、母さん!僕どうだった?」「きょうはシュート入ったよ!あのパス見てた?…」などと聞いてきました。あの子はいつも、私を喜ばせるために頑張ってくれました。「お母さん、お母さん。僕が大きくなったら家を買ってあげるね」と言っていました。いつでも私の自慢の息子でした。
 事件の夜、遼太は、夕食を食べてもお腹が減ったようで、リビングに行って「母さん、パン食べるね」と、「じゃあママにも焼いてよ」と言いました。パンを食べると「じゃあ寝るね」と言って部屋に戻ったのですが、パーカーを着ているので「なに?こんな時間から出かけようとしているの?」「なに調子に乗ってんの?怒らないと思って、いい加減にしろよ」というと、振り返って何も言いませんでした。遼太を見たのは、その時が最後でした。朝、刑事さんが家に来ました。「きょう多摩川で事件があって、お母さんに確認してもらいたい写真がある」と言われました。警察署で見た遼太は、寝ているようでした。首が何カ所か切られていました。体を見ようとすると、刑事さんに「見ない方がいい」と言われました。本当に眠っているようで、今にも「母さん、母さん」と起きてきそうでした。
 遼太が、どれだけ苦しかったか、つらかったか、怖かったかという気持ちが大きすぎて、とても苦しいです。2月の寒い多摩川で遼太が泳がされていたということに、私は耳を疑いました。遼太は、自分から服を脱いだと聞かされ、「服が濡れたままだと、また私が心配するのかなと思ったのかな」「着たままだと溺れてしまうことがある、学校で着衣水泳をしたことを思い出したのかな」と、それを考えるだけで胸が締め付けられます。犯人たちが逃げた後、遼太は23.5メートル移動しました。真冬の寒い夜中、真っ暗のなか、携帯電話を捨てられ、連絡する手段もない、そんな遼太が必死に家に帰ろうとしたことを思うと、どんなに怖かっただろう。「お母さん、助けて」といって想像もできないほどの状態の遼太のことを考えると、言葉にも言い表せないほど苦しく、自分が生きていることが許せません。私はこの先も、犯人を許すことはできません。できるなら、遼太が味わった怖さや痛さを、すべての悲しみを犯人に味わわせてやりたいという思いです。この先、どのような結果でも、満足もしないし、納得することはないでしょう。犯人たちに言いたいのは「遼太を返してほしい」ということです。

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