傍聴席から見えた唯一の感情 心愛さん虐待死裁判2[2019/05/17 21:01]

―沖縄から千葉へ転居 深まる「支配」
 再婚後、一家は沖縄県を離れて父親(41)の実家がある千葉県へ移った。父親の「支配」は母親だけでなく、心愛さんにも及んだ。
 父親と心愛さんは、入院中だった母親よりも2カ月ほど先に父親の実家へ引っ越した。2017年9月に心愛さんと再会した際、母親は心愛さんから父親の「虐待」を告げられた。心愛さんは元気がなかったという。

 母親:「元気?」
 心愛さん:「うん」
 心愛さん:「毎日が地獄だった」「夜中にずっと立たされたり、ずっと次女の世話をさせられた」(母親の供述調書より)

 心愛さんへの「虐待」は徐々にエスカレートしていった。母親は「虐待だよ」と父親に指摘したことがあった。心愛さんが亡くなる1カ月ほど前の去年の年末から年始にかけてこんなやり取りがあったという。

 弁護人:「年末年始の虐待について、止めようと思ったことはありますか?」
 母親:「はい」

 弁護人:「どんなふうに?」
 母親:「もうこれ以上やらないで、やめてと言いました」

 弁護人:「警察に通報しようとか、児童相談所に連絡しようと思ったことは?」
 母親:「そういう時もありました」

 弁護人:「父親はどうしましたか?」
 母親:「胸倉をつかまれて、床に押し倒されて、馬乗りにされて、私は『苦しい』というふうに言うと、ひざ掛けを口の中に押し込まれました」

 母親は、父親と出会ってからの11年間をこう振り返った。

 弁護人:「DVを受けていたと思っていますか?」
 母親:「…(10秒ほど沈黙)当初は思っていませんでしたが、現在、過去を振り返ってみるとDVだったのかなと思います」

(社会部DV・児童虐待問題取材班 笠井理沙 岩本京子 藤原妃奈子 尾崎圭朗)

(つづく)

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