歌舞伎町 最後のキャバレー 53年の歴史に幕[2020/04/11 15:00]

歌舞伎町 最後のキャバレー

歌舞伎町のど真ん中、風林会館6階に入っていたキャバレー、「ロータリー」
都内最後の大箱キャバレーは、2月末をもって、53年の歴史に幕を下ろした。
新型コロナウイルスが猛威を振るい、現在の歌舞伎町は人もまばらに。
かつての賑わいは、いつ戻るのだろうか。
最後のキャバレーに集っていた人々の、「いま」を伝える。

―歌舞伎町の異空間
ロータリーの支配人、吉田康博(82)は、去年から悩み続けていた。
「店を続けるべきか、閉めるべきか。このままだと資金が無くなる」
歌あり、ダンスショーありの、昭和にタイムスリップしたような店内は230坪。店の歴史は古い。高度経済成長、真っただ中の1968年にオープン。当時は、名だたる歌手がステージに上がる、最先端の文化を感じられる店だった。歌舞伎町に限らず、繁華街にはキャバレーが乱立していた時代。既存店は、客が奪われる事を恐れ、ロータリーの開店を妨害しようと、ヤクザを動員。オープン当日には、風林会館1階に入る喫茶店パリジェンヌを、100人ほどが占拠したという。
「当時は、役職が格下げになっても、他から移ってきて、働きたいという店でした」
全盛期、ホステスは200人近くいたというが、現在は約80人で、平均年齢は40代半ば。客の多くは、仕事をリタイアした高齢者や、年配のサラリーマン。平日には、客席の半分も埋まらない時が多いが、常連客に頼り、何とか営業を続けていた。

―キャバレー愛し62年
吉田の生まれは、北九州。国民学校の最後の入学生で、1年生の時に終戦を迎えた。庭の池に鯉が泳いでいる、裕福な家庭に生まれ育ったが、それでも米兵がジープから投げるチョコレートを、奪い合ったという。国士舘大学に入学するため上京も、喧嘩で中退。20歳だった1958年、まだ戦後の雰囲気が残る歌舞伎町で、働き始めた。
「復員兵が、戦争で失った青春を取り戻すように遊んだのが、キャバレーだった」
「歌舞伎町は、今のように外国人観光客が遊びに来て、できた場所ではない。日本人が必死に働いて、一生懸命遊んでできた町なんです」
歌舞伎町で、キャバレー28店舗を渡り歩き、子ども3人を育て上げた吉田。22年前、最後に辿り着いたのが、ロータリーだった。
「キャバレーの三要素は音と光と匂い。音楽と照明、そして女性が醸し出す匂い。日本でつくり出したキャバレー文化を、愛し続けてきたからこそ、何とか店を守っていきたい」
しかし、時代の流れに抗うことは出来ず、客足は遠のくばかり。吉田は、2月末をもって、閉店することを決めた。

―流れ着いた女性たち
ロータリーのホステスは、個性豊かだ。最終日まで、アットホームな雰囲気で、席を盛り上げたと思いきや、ロッカールームでは、抱き合って号泣。さながら女子校のよう。ひときわグレイヘアが目立つ、ホステスの蓮。(47)島根県・松江市で生まれ育ち、大阪の有名私大に進んだ。そこでのめり込んだのが、音楽。卒業後、一旦は地元に戻って公務員として働いたが、デビューを目指して29歳の時に上京した。ライブは不定期。都合のいいアルバイトとして水商売を選んだが、何気なしに入ったキャバレーで、その雰囲気に魅了された。
「ステージがあって、生バンドがあって。昭和のキャバレー、カッコイイ!」
気がつけば、キャバレーで働き14年が経っていた。

―ステージ失ったダンサー
ロータリーの閉店で、居場所を失うのは、ステージに立つ人たちも同じ。ダンサーのNATSUKI(40)は、踊り子に憧れ22歳の時に北海道から上京。デビューは浅草ロック座だった。ストリップ劇場が減る中、キャバレーは貴重な舞台。ロータリーでは2006年から踊る、一番の古株だ。
「他の店では、ショーを見てくれないお客さんも多かったけど、ロータリーではホステスさんが『見ましょう』とか『ほらチップあげなさい』とお客さんに言ってくれ、支えてもらった。毎日出ている訳じゃないけど、ロータリーの家族の一員だと思えるほど、私にとっては大切なステージでした」
ロータリーの閉店と共に、NATSUKIはダンサーを引退した。

―“親父”と歩んだ45年
厨房で働くのは、中村英男(64)国士舘大学で野球をしていたが、先輩から強制的にアルバイトをさせられた際に、時給の良かったキャバレーで、大学の先輩に当たる吉田と出会った。お互いに、大学は中退。以来45年、吉田を“親父”と慕い、キャバレーで働く。結婚は5回、離婚も5回。今は独りだ。
「歌舞伎町には酒があって、女がいて、体調が悪くても、歌舞伎町に来たら治ってましたよ。当時、キャバレーで一番モテたのはヤクザ。金も持ってて、ダンスも上手で。憧れました。その道に入ろうと、“親父”に相談したら30分のお説教。もし俺を、止めてくれていなかったら、薬物もギャンブルも、やっていたでしょう。懲役だって行っていたかもしれない。“親父”には感謝しています」

―コロナ禍が襲った歌舞伎町
ロータリーの閉店から、およそ1カ月。歌舞伎町に、かつての賑わいは全くない。ロータリーの最後の賑わいは、幻だったかのようだ。蓮を含めてホステス約20人が移籍したクラブは、臨時休業。ダンサーを引退したNATSUKIは、バーで働くようになったが、先行きは不透明だ。中村は、夜の世界から昼の世界へ。いまは工事現場で警備員をしている。62年、歌舞伎町に通った吉田でさえ、コロナが怖くて近づかないそうだ。
新型コロナウイルスの感染拡大が収束した後、歌舞伎町はどうなっているのか。真っ先に、彼らの笑顔を探しに行きたい。

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