【密着】コロナに翻弄された高校球児と看護師の父[2020/08/30 16:19]

 夏の風物詩の高校野球。新型コロナウイルスによって奪われた時間を取り戻すために、大好きな野球をひたむきに取り組んだ高校球児のひと夏を追いました。

 西澤大峰君、18歳。神奈川県伊勢原市にある私立向上高校の硬式野球部に所属する高校球児です。向上高校硬式野球部は、甲子園に出場したことはありませんが、神奈川県でも強豪校の一つです。西澤君はそこで内野手として主にショートを守ります。
 西澤大峰君:「守備に僕は魅力を感じてかっこいいなと思って(幼稚園年中から)野球を始めました。(中学3年の時)父と一緒に甲子園の方に実際に行って、あそこで人生に一度は立って野球やってみたいなって思って」
 一般入部で向上高校硬式野球部に入った西澤君は、同級生が44人もいるなか、努力を重ねレギュラー候補にまで成長。途中、心臓の病気で入院して部活を休んだこともありましたが、チームメイトが病室まで駆け付け励ましてくれました。切磋琢磨(せっさたくま)してきた同級生と最後の夏に甲子園出場を目指すはずでした。
 しかし、今年2月以降、新型コロナウイルスが日本列島を襲います。夏の甲子園大会は中止になり、部活動も3カ月できなくなりました。
 西澤大峰君:「高校野球で甲子園を目指すことはもう一生できないんだなって思うと、悔しい。もう二度とないんだなと思うと、すごい悲しかった」
 新型コロナウイルスは、1人の高校球児の夢を奪ってしまいました。幼稚園の年中から息子を応援し続けてきた父・教正さん。
 父・西澤教正さん:「自分も土日どっちか休みの時は欠かさず見に行こうと思ってて、結構行ってた。千葉県行ったり、東京都行ったり」
 教正さんも新型コロナウイルスに翻弄された1人です。横浜市の病院で看護師として働く教正さんは、感染管理者として新型コロナ対策に奔走してきました。
 父・西澤教正さん:「100年に一度の公衆衛生の危機。院内での発熱者と普通の方を分離しなければいけないというところがある。仕組み作りがすごい大変だった」
 家に帰るのは午後11時ごろ。休みなく働くこともあり、息子との野球談議はできなくなりました。
 父・西澤教正さん:「帰ってきたらもう寝てることが多かった。あんまり野球のことは話はできなかった。息子の野球をしている姿をやっぱり見たかったなとはあるので。やっぱり応援に全然行けなかったのは、ちょっと悔しかったかな」
 緊急事態宣言が明けた6月、ようやく部活動ができるようになりました。8月には、無観客で県独自の大会が開催されることになりました。皆、鈍ってしまった感覚を取り戻すように必死に練習。大会本番まで毎週、練習試合を重ねていきました。そして、大会初戦前日には…。
 平田隆康監督(46):「背番号16番、西澤大峰」
 西澤大峰君:「両親にグラウンドでプレーしてる姿を見せれるというところで、とりあえず安心感。メンバーを外れてしまった3年生の分まで、自分は自覚を持ってやらなければいけない」
 朝4時に起きて息子のためにお弁当を作る母・桂さん。無観客なので観に行くことはできません。
 母・西澤桂さん:「大ちゃんのユニフォーム姿をちょっと見たかったけど…」
 これまで支えてくれた両親のために。勝利を目指して初戦に挑みます。ベンチスタートの西澤くんは、チームが大量10得点するなか、サードの守備で途中出場。勝利に貢献しました。
 西澤大峰君:「秋公式戦1回も出てなくてベンチには入ったけど出られなくて悔しい思いはあった。とりあえず公式戦出られたっていう1つの目標が達成できたところは良かったなと思います」「(Q.ボールは飛んできた?)いや」「(Q.飛んできてほしかった?)飛んできてほしかったです」
 向上高校は4回戦に進出。西澤くんも背番号17番でベンチ入りし、一進一退の攻防が続くなか、大声でチームメイトを鼓舞しました。しかし…。
 平田隆康監督:「全員3年生がベンチに入るなんていうのも、夢にも思ってないところで入ることができて。お前たちの背番号を付けた大会のユニホームを着た姿を全員の姿を見られたっていうのは、俺にとってはものすごく財産。監督の力がなくて、勝たしてあげられなくて本当に申し訳なかった」
 悔しい敗戦でした。試合後、父が送ったメッセージに西澤君は…。
 「長い間お世話になりました。本当にありがとうございました」「今から帰ります」
 父・西澤教正さん:「息子から普段言わないけど、こういう言葉をもらって親としてはうれしかったですね」
 自宅では両親が温かく迎えてくれました。新型コロナウイルスに翻弄された1人の高校球児と看護師の父親のひと夏が幕を閉じました。
 父・西澤教正さん:「見に行きたかったですよ、本当に。本当に最後は見たかったですね。それは悔しいかな。本当に悔しいかな。コロナだけじゃなくて、野球を通して色んなつらかったこともたくさん本人はあったと思う。それを糧にして、それを乗り越えてきたから、乗り越えれないことはないってことを野球を通して学んでもらって、今後につないでほしいなと親としては思ってますね」
 西澤大峰君:「もう本当に本気でこんなに野球をやることは人生でもうないんだなって思って。この44人と一生野球ができないんだなって思うと、やっぱりそこは悔しかったですけど。まあこれまでやってこられて本当に良い体験ができたんだなと心から思いました。これまで野球を続けてこられたのは両親の支えは一番にあったかなと思う」
 高校で野球はやめると決めた西澤君。大学に進学して、将来は人の心に携わる仕事に就きたいという夢を持っています。
 西澤大峰君:「中学も高校も自分のメンタル的な部分で色々悩みがあったり、学校に短時間ですけど行けなかった時期もあったので。先生や生徒とか仲間に声を掛けてもらって救ってもらったの。僕はその救える立場になりたいと思う」

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