終戦の年の5月、アメリカ軍の無差別爆撃で約1万人が死亡した横浜大空襲。その記憶を身近に感じてもらおうと、大学生らが爆撃を生き延びた人の当時の動きを地図上で再現しました。
1945年5月、500機以上のB29爆撃機が横浜市を無差別に爆撃し、約1万人が死亡しました。爆撃を受けた東神奈川駅周辺を上空から撮影した写真です。生き延びた4人が逃げたルートです。大学生らのグループが爆撃を経験した人たちから話を聞いて作成しました。
空襲当時7歳・柳下寿雄さん(82):「ここからすぐ向こう側から逃げてこの先にある神奈川公園に逃げ込んだ。結局、もう火事で熱くて行けないので戻った」
柳下さんら3人はいったん、南西方向に逃げますが、その後、戻るように北東方向へ逃げて助かりました。柳下さんは公園に逃げて無事でしたが、当時、道路を挟んだ反対側は火の海となっていたということです。この場所は現在、小学校やマンションが立ち並ぶ住宅街になっています。
大学4年生・車塚蘭さん:「ここに電車があって人が逃げていたなんて知らないことなので戦争の怖さが伝わり、どれだけ規模が大きかったのか知った。実際に地図で体験したことのないことを想像してもらえる」
この地図は当初、5月の「平和のための戦争展」で発表される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で延期となり、今月11日の発表となりました。
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