悲劇から21年…飲酒事故で2人の娘失った夫妻の闘い[2020/11/28 10:30]

今年もまたこの日がやってきた。 

11月28日。21年前、飲酒運転による悲惨な自動車事故で命を奪われた幼い姉妹の命日だ。そしてこの事故をきっかけに2年後に生まれた「危険運転致死傷罪」の“誕生日”でもある。

悪質な交通犯罪に厳罰を科す“切り札”のはずだった「危険運転致死傷罪」は、しかし、極めて運用が難しい法律として度々議論を巻き起こしてきた。

そして今、テレビでは毎日のように危険なあおり運転の映像が伝えられている。
日本の道路はいまだ安全とは言えないのか。

事故の遺族であり「危険運転罪」の“生みの親”でもある夫妻に、長い苦闘の日々と今の日本の課題を聞いた。

(悲劇の記憶が風化せぬよう、夫妻のご了承を得た上で今回、事故直後の映像を記事とともに公開する)

■ 「子どもがいるの!」母は叫んだ

「もう21年経ったのかと感じることもあるし、まだ21年しか経っていないと感じることもありますね…」

11月初旬。
東名高速の事故で3歳と1歳の娘を失った井上さん夫妻が、オンラインでのインタビューに応じてくれた。事故当時、助手席に座っていた夫の保孝(やすたか)さんは、車の炎上により自身も大やけどを負った。

「いつまでもやっぱり事故のことは忘れていませんし、奏子(かなこ)と周子(ちかこ)の在りし日の記憶はずっといつまでも残っていますのでね。そういう意味ではまだまだ鮮明なものがありますね」

事故直後の現場を偶然通りかかったテレビ朝日の取材クルーが撮影した衝撃的な映像。
ぐしゃりと押しつぶされた乗用車とその後ろ半分に乗り上げるような大型トラック。乗用車の後部からは真っ赤な炎と真っ黒な煙が高く上がっている。

この時点で乗用車の車内には運転席に妻の郁美(いくみ)さん、助手席に保孝さん、そして後部座席に奏子ちゃんと周子ちゃん、一家4人が残されたままだった。

追突したトラックの運転手が、乗用車の周りをふらふらと歩いている。言葉を発するが、呂律が回らず、何を言っているのかわからない。正に泥酔状態に見える。

そのとき、運転席の窓から女性が懸命に脱出する様子が捉えられる。郁美さんだ。後部ドアを開けようとするが、火の勢いが強く近づけない。

後続車の運転手が走り寄りながら叫ぶ。「逃げろ!危ないよ!」
郁美さん「子どもがいるの!」

だが火の勢いはどんどん強まり、誰にもどうすることもできない。郁美さんはただ呆然と立ち尽くしていた… 

■ 「なぜ飲酒運転事故が“過失”なのか」

「奏子(かなこ)や周子(ちかこ)の、これから70年、80年と生きられたであろう命の重さに比べて、懲役4年というのはあまりにも軽いんじゃないか…」

事故から8か月。
東京地裁が、トラック運転手に懲役4年の判決を下した直後の会見で、郁美さんは大粒の涙を流した。当時は、事故の原因が飲酒運転であろうとスピード違反であろうと原則、刑法の業務上過失致死傷罪で裁かれ、その最高刑は懲役5年だった。

保孝さんが振り返る。
「人を殺めた場合、殺人罪なら無期懲役や死刑もあり得る。でも過失罪だと懲役5年が最高で、実際に下った判決は懲役4年。この時、弁護士が言うには、求刑が懲役5年で判決が懲役4年というのは八掛け判決(求刑の8割の判決)と言って、事実上『満額』の、重い判決なんだと」「何でこんなに日本の刑罰っていうのは甘いんだという風に思ったわけですね」

井上さん夫妻の前に立ちふさがったのは、「飲酒事故は過失」という当時の法律の常識だった。だが、酒を飲んで車を運転することの危険性はわかっているはず。その上で事故を起こせば、それは「過失」ではなく「故意」ではないのか。

夫妻は、同じように悪質な運転で家族を奪われた遺族らとともに、厳罰化を求める署名を全国で呼びかけた。署名は最終的に37万人を超えた。

郁美さんが当時の“熱量”を思い返す。
「今みたいにインターネット署名とか、そんな簡単に署名を集められないような時代ですよね。署名用紙を郵送とかFAXとかで送って、それがまた郵送とかFAXで送り返されてくる」「一般市民が自分たちのための法律を作るために声をあげられる、それが国に届くことがあるんだっていう、当時としては本当に大きな大きな発見だったと思います」

危険運転致死傷罪を盛り込んだ刑法改正案が参議院本会議で可決・成立したのは、奇しくも事故からちょうど2年となる、2001年の11月28日。
「『私たちのことをいつまでも忘れないでいてほしい』と、奏子(かなこ)と周子(ちかこ)がそう思ってるんではないかな、という風に思いましたね」(保孝さん)

娘の命日に生まれた画期的な「厳罰化法」だったが、すぐさま逆風に直面することとなる。法の網の目をかいくぐり、厳罰を逃れようとする悪質な事案が多発したのだ。

■ 卑劣な「飲酒ひき逃げ」を許すな

「法の抜け道というか抜け穴というか…結果的に救急車を呼んでくれていたら助かったかもしれない被害者を、見殺しにして逃げたほうが危険運転致死傷罪が適用されずに刑罰が軽くなるというケースが出てきたんです」
保孝さんが憮然とした口調で振り返ったのは、法の施行後に多発した「飲酒ひき逃げ」のことだ。

飲酒運転の事故で、危険運転致死傷罪が適用されると最高で懲役15年の刑が科される(2004年の改正で最高20年に)。一方、飲酒運転が問われなければ業務上過失致死傷罪にひき逃げの罰則が加わっても最高で懲役7年6か月。

そこで事故の後、逃走して酔いをさましたり、大量の水を飲んだりして飲酒運転をごまかそうとするケースが続出した。挙句の果てには事故直後にコンビニなどで酒を買って飲み、「運転中は飲んでいなかった、飲んだのは事故の後」と主張する「重ね飲み」という手口まで出てきたのだ。

命の危険に瀕した被害者を置き去りにして逃げたほうが罪が軽くなる、そんな「逃げ得」を許してはいけない。新たな署名活動が始まった。

「こちらは危険運転致死傷罪に比べてべらぼうに時間がかかりましたね。本当に、法律を作っても作っても、何とか適用されないようにすり抜けようとする人たちって必ず出てくるんだなって思いました」(郁美さん)

「飲酒ひき逃げ」に対し、最高12年の懲役刑を科す「過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪」が新設されたのは、署名活動が始まって10年が過ぎた、2013年だった。

厳罰化が進むにつれ、国内の交通事故死者数は劇的に減った。井上さんの事故が起きた1999年に年間約9000人だった死者数は去年、3215人と統計開始後の最少を記録した。

ただ、保孝さんは、飲酒運転自体は思うように減っていないと懸念している。
「飲酒運転の検挙者数を見ていると、ある一定のレベルで高止まりしてしまっていて、それ以上はなかなか減っていかないという、我々としては忸怩たる思いがあります」

危険な運転も頻発している。ドライブレコーダーの普及もあり最近、特に目立つのがあおり運転だ。2017年6月には、東名高速の道路上であおり運転の末、ワゴン車を停車させ、そこにトラックが追突して夫婦が死亡するという「事件」も起きた。

「もうびっくりしてしまいますよね。法律が作られたときには、高速道路上でそんな危険なことをする人も想定できていない。まさかこんな原因の事故が起きてしまうのかと」(郁美さん)

裁判では一審・二審ともあおり運転と事故との因果関係が認定され、危険運転致死傷罪が成立すると判断された。
 
■ オーストラリアで見えた日本の“課題”

これだけの悲劇を経ても、なぜ危険な運転は無くならないのか。

実は井上さん一家、郁美さんの仕事の関係で5年ほど前からオーストラリアのメルボルンで暮らしている。海外生活を続ける中で、日本の道路交通が抱える課題が見えてきたと郁美さんは言う。

「日本は道路交通法を厳格に守ってない人が多い。あおり運転が日常茶飯事であることとか、課題が多いのかな」「オーストラリアは、あおり運転というのが非常に起きにくい環境だなと思います。ものすごく厳格に速度制限を守らざるを得ない。後ろが詰めてこられないんですよね、前の車以上の速度を出せないから」

井上さん夫妻によると、オーストラリアでは道路の至る所に監視カメラが設置されていて、速度制限を数キロでも上回ると違反として記録、罰金の対象となるのだという。そのためどの車も制限速度以下の一定速度で走るようになり、あおられることもない、というのだ。

「高速道路でも前方で工事しているから時速100キロから80キロに落としなさいと表示が出てるとヒューってみんな見事に80キロに落としてます」「例えば『赤信号になって0.3秒経ってから交差点に入りましたね』ってデジタルで事実が出てきて、それで400ドルちょっと(約3万1千円)の罰金となると、もう二度とやらないって、そうなりますよね」(郁美さん)

飲酒運転への対応という点でも、メルボルンは日本より厳しいと保孝さんは指摘する。
「こちらではとりわけ若い人の飲酒運転に対してはゼロ・トレランス(不寛容)で、アルコールが一切検出されてはならない、検出されたら即、運転免許を止められちゃうんですね。それはもうかなり厳しい」「タクシーやバス、大型トラックの運転手とかもそうですね」

交通ルールを、より厳格に…という訴えには反発の声も多い。だが郁美さんは、誰もが重大な事故に関わり得るからこそ厳しく、幅広く網をかけるべきだと考える。

「たとえお酒が一滴も飲めない人であっても、たとえ車の運転をしない人であっても、飲酒運転の車に同乗してしまって自分も罪に問われることがあるかもしれない」「刑法とかって普通の暮らしをしている人にはあまり関係ない法律だと思うんですね。だけど車の運転というのはものすごく日常的な行動だし、自分が運転しなくても危険運転に巻き込まれる可能性はあるんですよ」

■ 社会に飛び立っていたはずの2人が…

あの悲しい事故から21年が過ぎた。燃え上がる車の窓から脱出したとき、郁美さんのおなかの中には三女の典子(のりこ)さんがいた。その典子さんも今年、20歳になった。彼女の将来について考えるとき、郁美さんは同じように“2人の姉”についても思いを馳せる。

「奏子(かなこ)が今年24歳、周子(ちかこ)は22歳となっているので、たぶん2人とも社会人になってただろうと想像するんですね。一番これから社会に向けて飛び立っていく年齢になってるんだろうな、と思うと、それが見られなかったことはやはり、ずっと付きまとうんですよね」「本当は2人が自ら生きて、いろんな影響を世の中に及ぼすことができたかもしれないのに、親を通じてしか、あるいは覚えてくれている人を通じてしか発信できないというのが、すごくもどかしく感じます」
 
毎年、命日の前後に、関係する人たちを集めて開いてきた「かなこちゃん ちかこちゃんをしのぶ会」は今年、コロナ禍のためオンラインで、12月6日に開催される。

その日は、周子さんの23歳の誕生日だ。


報道局 佐々木毅

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