リアル「将太の寿司」誕生秘話〜ミシュランで星獲得[2020/12/09 20:37]

■漫画のような話が現実に

1990年代に少年週刊マンガ雑誌に連載された漫画「将太の寿司」は、主人公の将太が北海道から上京し、日本一の寿司職人を目指す物語。

この漫画に憧れ、修業を重ねた33歳の韓国人寿司職人が、7日に発表された「ミシュランガイド東京2021」で一つ星を獲得した。

この寿司店の名前は「すし家 祥太」。店の主人、ムン・ギョンハンさんは、客から祥太(しょうた)と呼ばれている。そう、“漫画のような話”というのは、“将太”に憧れた“しょうた”が握る寿司が、世界的な評価を受けたということなのだ。

韓国から来日し、8年修業を重ねた“しょうた”さんが、外国人として初めて寿司の本場・東京で一つ星を獲得するという偉業を成し遂げるストーリーを追った。

■リアル「将太の寿司」が誕生

ミシュランガイドの発表があった夜―
麻布十番の店に最初の客としてきた男性は「おめでとう」と静かに伝えた。

この男性は、漫画「将太の寿司」の作者である寺沢大介さん。修業時代に偶然出会ったのがきっかけで、親交を深めてきたという。

開業してわずか1年で一つ星を獲得するという異例の寿司職人ムンさん、その生みの親と言っても過言ではないのが寺沢さん。「まさかミシュランを取るなんて思ってもみなかった」と語る。

リアル「将太の寿司」はいかにして生まれたのだろうか。

■「寿司も和食も知らなかった」

1987年、ムンさんは韓国・論山市という地に生まれる。
のどかな田舎町だが、中学生のころ、ムンさんは将来への不安を漠然といだいていた中、一冊の漫画と出会う。

タイトルは「将太の寿司」。北海道・小樽に生まれた主人公・関口将太が単身上京し、名店で修業を重ねた末に、寿司握りコンテスト全国大会で優勝して実家の寿司屋を救うというストーリーである。

何を思ったかムンさんは、この漫画を読んで「寿司職人になる!」と決意したそうだ。
「寿司も和食も食べたこともなかったんですけど、鳥肌が出るくらい面白かったんですよ。将太くんが田舎から出てきて、毎日精進してるところが、負けてるなって感じがしたんですよ。それで寿司に興味が出てきて、そこからです」

ここからムンさんの奇跡のような物語が動き出す。
地元の調理師学校で学び、2年間の兵役後にソウルにある高級寿司店で修業をすることになる。
ここにも「将太の寿司」の影響が。この店は、作品の中で世界大会の韓国代表のモデルになったという。

■「本物を習いたい」単身で東京へ

本場の日本で修業するために24歳で来日し、大阪を経て東京にたどり着いたものの、大変だったのは「言葉の壁」だった。
「全然自分の思いが伝わらない、仕事もなかなかうまくいかなかった」

あす韓国に帰ると決めて、手元に残った3万円で、銀座の寿司店に人生で初めていくことにした。
店はミシュランで二つ星を獲得する「鮨かねさか」の系列店。
自分の身の上話をするうちに、あれよあれよという間に、店主と面接になり、採用されたという。

そこからはじまった修業は、なかなか包丁も握らせてもらえず、「もう辞めます、と言ったこともあったんですよ。でも今思うと、エリートコースだった。ホール(お酒の提供など)のこと、焼き場のこと、掃除のこと、すべて勉強してきたから、店を持っても自分ひとりで出来るようになった」とムンさん。

江戸前の技術を学んで、8年。去年11月に「すし家 祥太」として独立することになる。

■「祥太はなんでも取り入れる、柔軟な寿司職人」

修業時代から市場にもよく足を運んだ、ムンさん。
一つ星を獲得した日の朝、豊洲市場での仕入れに同行取材してわかったのは、魚を扱うプロ=仲買人から愛されているということだ。

「職人て頑固な人が多いけど、祥太はとても柔軟なんだよね。なんでも取り入れてみる、やってみるという。まだ若いけど、勉強熱心で魚のこともよく知っているし、これからが楽しみ。みんな祥太が好きなんですよ。」

今は、コロナ対策として、市場内に入らずに駐輪場のところに待機して仲買人を待つ。
この日は3人の仲買人が魚を持ってくると、相手の目をまっすぐな眼差しで見て、会話をしていた。ムンさんの声は大きく、はきはきと威勢がとてもいい。

「いまでは駐輪場や警備の人も顔を覚えてくれている。人の繋がりがわかる場所が市場。どんなに疲れてへとへとになっても、市場に来るとエネルギーをもらえて元気になっちゃうから、大好きな場所です」

■江戸前寿司を正しく忠実に

修業時代から、魚をおろす時間については〇分以内で、と追い込んでやることを課されていたという。その成果なのか、丁寧にやっているようにみえて、ものすごく早く正確な包丁さばきだ。

およそ2時間かけて作る、寿司屋の定番・卵焼きも、中をレアに仕上げるため、微妙な火加減で固めていくのだが、そのときの気温や換気扇の調子などで、焼く時間を巧みに変えていくという。

目には見えない感覚を、長年の経験で体得している。
「この魚には何本の骨がある、とか、ずっとずっと繰り返しやっているとわかるようになるんですよね。誰よりも頑張ってきた自信はあります。」

■「まだまだ成長したい。コツコツが勝つコツ」

開業1年、そして外国人寿司職人として史上初めてのミシュラン一つ星獲得という、漫画のような人生を歩むムンさん。

「評価されるということはとても嬉しいですけど、自分がやることは変わらないんですよね。目の前のお客様にいかに喜んでもらえるか。誰かを喜ばせるというのが小さいころから好きなんです。自分が握る寿司は、特別な素材を使うわけでもなく、江戸前の丁寧な魚の処理や、下ごしらえ、基本に忠実にやっている。コツコツが勝つコツなんだと思います。ここまで支えてくれたお客様に感謝して、修行先の店主の方や、両親、家族にも感謝して、次は2つ星ですかね」と照れ笑いをしていた。

ゆくゆくは“本物の寿司”を母国にも広めたいと考えている。
ムンさんはまだ33歳。
この漫画みたいな本当の話はどこまで続くのか、リアル“将太の寿司”快進撃はまだ始まったばかりだ。

社会部・谷地俊太郎

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