【3.11から明日へ】両親失った“祭り少年”陸前高田10年の歩み[2021/03/09 23:30]

『3.11から明日へ』と題して5日連続で震災企画をお届けしていきます。

岩手県陸前高田市の及川佳紀くん(19)が津波で両親を失ったのは、9歳の時でした。

お父さんが見つかった時、一度だけ泣いた佳紀くん。それ以来、人前で涙を見せることはありませんでした。ただ、両親の話をすることもなくなりました。

佳紀くんが心待ちにしていたのが、地元の『七夕まつり』です。地区ごとの山車が美しさを競う陸前高田の夏の風物詩で、そこにはお父さんの姿もありました。山車の上で太鼓をたたく姿は、佳紀くんの憧れでした。

山車の半分以上は津波で流されました。それでも2011年、街の再生をかけ、祭りは行われました。あこがれの山車に初めて上れた佳紀くん。短冊に書いた願い事は「七夕がつづきますように」でした。


大規模なかさ上げ工事が始まり、新しい街づくりが本格化したころ、佳紀くんは中学生になりました。

このころ、佳紀くんに転機が訪れました。塾講師の照井善博さんとの出会いです。照井先生は佳紀くんの心の揺らぎを見逃しませんでした。

照井善博さん:「最初会った時には、目の焦点が定まらなかった。情緒が安定していない感じ。このままじゃだめだと。まずしっかり目を覚ますところから。勉強よりもそっちが大切」

だからこそ、あえて厳しく語りかけました。

照井善博さん:「『津波に両親が流されたことを受け入れろ。もう親はいないんだから、頑張ってやっていくように』ということは本人に直接言いました。過保護にしないように。『だから頑張れ』と。それから、ある時、ハッと目が変わった」

佳紀くんはそれから、苦手だった勉強にも取り組み、地元の志望高校に見事合格。毎年の祭りにも自ら準備に加わります。そして、新たな市街地での初めての祭りの中心には、佳紀くんの姿がありました。


2020年春に高校を卒業し、仙台で初めての一人暮らしを始めたた佳紀くん。今回初めて、当時の思いを語ってくれました。

及川佳紀くん:「前向きになれないのが数年続いた。その状況が嫌で、現実逃避しまくってた。2人の死に顔見てないし、見たのは骨だけ。本当なのかなって信じられなかったのもある。自分でごまかして、ごまかして、これで泣くのを終わりにしようと思った。色んな感情を忘れるためにふさぎこんだのかな」

佳紀くんは今、リハビリなどの手助けをする『作業療法士』になるため、専門学校に通っています。お母さんと同じ、福祉の道を志すことにしました。

及川佳紀くん:「引きずっててもどうにもならないし、だったら楽しもう。後ろばっかり向いてたら後ろに行って、前向きなこと言ったら前に行く気がする。自分が楽しまなきゃ、生きてるんだから楽しまなきゃって多分そう思った」

復興へ歩んできた故郷・陸前高田に今思うこと。

及川佳紀くん:「景色は変わっても高田は高田。変わらないものも、変わっていくものもある。高田だったら七夕、それは絶対変わらない。人柄も変わらない気がする。高田が好きだから帰ってきたいだけ。色々な不満はあるけど、好きなんだよね」

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