“釜石の奇跡”で助かった命…念願の「語り部」に[2021/03/11 21:15]

 新型コロナウイルスの感染拡大が震災について学ぶ機会にも影響を及ぼしています。中学生の時、釜石の奇跡を体験し、今は語り部として働く女性は風化との闘いを迫られています。

 川崎杏樹さん(24):「こんな感じで学校がありました。右側が中学校です。私が通っていた学校」

 10年前、中学2年だった川崎杏樹さん。

 今はない母校の写真を見せながらパソコンの向こう側にいる大阪の小学生たちにあの日のことを語り掛けます。

 川崎杏樹さん:「すごく大きい地鳴り、地響きがしてきました。ゴゴゴゴっていうすごい音です。パッと自分が歩いてきたところを振り返って見てみると、もう完全に津波が押し寄せてきている、そんな様子でした」

 生徒たちは坂道を駆け上がり、海抜44メートル地点へ。何もない地面に座り込み、時が過ぎるのを待ちました。

 学校があった鵜住居地区は津波で壊滅。570人ほどの生徒たちが難を逃れたことから、当時「釜石の奇跡」とも呼ばれました。

 しかし、釜石市では994人が亡くなり、152人が現在も行方不明のままです。

 自らの体験を語り継ぐことでこれから先、津波での被害を少しでも減らせたら…。川崎さんはかつて中学校があった地区に新しくできた施設で語り部として働いています。

 この場所で受けた「防災教育」のおかげで自らの命が救われたと考える川崎さん。

 川崎杏樹さん:「授業のなかで、そもそも津波ってどういうものか教えてもらった」

 地上での津波の速さを体感するために、先生が車に乗って生徒たちを追い掛けるという授業も。

 川崎杏樹さん:「結果、津波の速さに負けるっていう体験をすることができたので。どう頑張っても津波に自分の足では勝てないってことが分かった」

 他にもハザードマップを作ったり、炊き出しや応急処置を実際に体験したり…。

 川崎杏樹さん:「防災教育=楽しい時間というか。楽しいからなんとなく自然に定着していくというか、知識としてスッと入ってくるような感じ」

 楽しみながら学んだことによって救われた命。県外の大学を卒業後、地元で念願の語り部となった川崎さんに再び困難が待ち受けていました。

 施設を訪れる人が新型コロナの影響で3割ほどに激減。現在はオンラインが主流となり、聞き手の反応を直接感じることができないもどかしさもありますが…。

 川崎杏樹さん:「日本各地の方から予約を頂いているので、コロナがなかったらつながらなかったかもしれないと思う」

 避難や津波について語り継ぐことで「未来の命」を救いたい。新型コロナウイルスの影響があっても川崎さんの強い決意は変わりません。

 川崎杏樹さん:「ある意味役目だと思っているので、そこはきちんと全うしたいと思う。めげずに発信し続けないといけないなと思う」

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