「世界のタンゲ」建築家・丹下健三が残したものとは[2021/06/17 09:04]

 東京オリンピックの競泳会場となる「東京アクアティクスセンター」。設計に携わった建築家・丹下憲孝さんに話を聞きました。

 丹下都市建築設計・丹下憲孝会長:「親子2代でオリンピックに関わらせて頂いているのはそんなに数多くないと思うので、私どもとしては誇りに思っているし、そういう意味では父の代々木の体育館を超えるのは難しいと思っていました」

 こう話す建築家・丹下憲孝さん。

 父は「世界のタンゲ」と呼ばれ、代々木競技場などを設計した日本を代表する建築家・丹下健三さんです。

 父と2代にわたって東京オリンピックの競泳会場を手掛けた憲孝さん。こだわりは父から受け継いだ意思でした。

 丹下都市建築設計・丹下憲孝会長:「本番のスイミングプールとサブプールを同じ高さにしていますから、平行移動で心拍数が上がらないとか、『あそこで泳ぐと良い結果が出て楽しいね』と言ってもらえるのが最高のプールだと思いますし」

 柱をなくし、選手と観客の一体感にこだわった父・健三さんから学んだことが存分に生かされた設計だと憲孝さんは話します。

 そんな建築家親子の発想の原点はどこにあるのでしょうか。

 原爆投下から4年後の1949年、健三さんは復興を目指す広島市が行った今の平和記念公園一帯を再開発するコンペに入選しました。

 2016年、アメリカのオバマ元大統領が献花した慰霊碑、そして原爆ドーム、資料館が直線になるように設計されています。

 丹下都市建築設計・丹下憲孝会長:「原爆ドームを壊すという話、当時の人々からすると悲惨な記憶を消したいということで壊すという案があったようですが、父はこんなことが二度とあってはいけない、忘れてはいけない歴史の1ページで、平和の象徴としてそれを残すべきだということで」

 並木万里菜アナウンサー:「私も修学旅行で広島を訪れた時、当時の空気感を残した原爆ドームを前にして心から平和のシンボルだなと感じた」

 交友関係をうかがわせる作品がこちら。1970年の大阪万博で会場全体の基本設計を手掛けました。

 丹下都市建築設計・丹下憲孝会長:「色々なコラボレーションを考えていて、岡本太郎先生とは昔から仲良くさせて頂いて。父がつくった屋根を『芸術は爆発だ』と言って丹下さんの屋根を突き抜けてやろうと。父はびっくりしたと思うが『面白いね』と。二人の友情の表れだと思う」

 1991年、東京・新宿に完成した都庁新庁舎。これを手掛けたのも健三さんです。注目は議事堂前にある「都民広場」です。

 お手本にした「本物」がこちら、バチカンのサンピエトロ広場です。

 丹下都市建築設計・丹下憲孝会長:「バチカンのサンピエトロ広場に出向きまして、そこでのスペース感を皆でメジャーを持って測ったのを覚えています」

 広場の大きさを測るため、事務所の皆で巻き尺を持ってヨーロッパに…あり得ません。

 でも、こうしたことを実行するのは健三さんと憲孝さんにとってはごく当たり前のことだったのかもしれません。

 丹下都市建築設計・丹下憲孝会長:「その建物を見に行ってそこで感じるスペース、体感するもの、そういったものをどんどん見るべきだと思っています。父親としては最高の父親でした。無口で物言わない人ですけど、色々な所に連れて行ってもらったし、とにかく『本物を見ろ』と、建築のみならずすべてにおいて『本物』を見ることの大切さを教えてくれたのが父です」

 健三さんは2005年に死去。その後、事務所を引き継いだ憲孝さんが最初に手掛けたのが「モード学園コクーンタワー」です。

 場所は父・健三さんが手掛けた都庁と同じ新宿ということで、特別な思い入れがあったと憲孝さんは話していました。

 健三さんの性格ですが、礼儀正しくて、ちょっと外に出る時もスーツ姿で、衣類はスーツとパジャマしか持っていなかったそうです。

 ネクタイにちょっとシミが付いただけでも買い替えるという徹底ぶりで、人に会う時の服装は失礼のないようにといつも心掛ける人だったそうです。

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