上皇さまが新種のハゼ発見 世界も認める研究の玄人[2021/06/24 19:00]

「陛下はね、“玄人はだし”じゃない。勘違いしちゃいけないよ」

昨年夏に取材した上皇さまと親交のある魚類学者、京都大学の中坊徹次名誉教授は私にこう話した。

『玄人はだし』とは「玄人が驚くほど、素人が技芸に優れていること(広辞苑第七版)」であり、プロが驚くような技術を持つ素人のことを指す。玄人と、あくまで素人である『玄人はだし』では意味合いは当然大きく違う。

上皇さまについて、平成の時代に天皇として全国を訪問されたり、皇居で儀式に臨んだりされている姿は誰もが共通して持つイメージだろう。そして、そうしたご公務の傍らで魚類の研究を続けられていると聞いても「趣味の類だろう」と思うかもしれない。

しかし取材を進めると、決して「玄人はだし」などではない、学者として一流である上皇さまのお姿が見えてくる。


◆新種発見はこれで10種類…世界が認める上皇さまの研究

今年5月、上皇さまが発表された論文は、2種類の新種のハゼを発見したというもの。論文は英語で書かれていて、新種のハゼは「アワユキフタスジハゼ」「セボシフタスジハゼ」と名付けられた。

いずれも暖かい海のサンゴ礁域などに生息するオキナワハゼ属の一種で、上皇さまは今回、沖縄県の座間味島などで採取されたハゼの標本を調べた結果、新種であることを突き止められたという。上皇さまによる新種の発見は、実はこれで10種類にもなる。

上皇さまの研究テーマは魚類、特にハゼが対象で、皇太子時代の1960年代から多くの論文を発表されてきた。研究は、皇太子時代に赤坂御所に住まれていた頃は御所の中にある小さな研究所で、即位されお住まいを皇居に移られて以降は、皇居にある「生物学研究所」で主に進められた。今回新たに発表した「新種発見」の論文も、この研究所に週に2日通って書き上げられたものだという。

学会で発表される論文は、先行研究としてその後の研究の土台となる。

上皇さまのお名前である「明仁」をローマ字にした「Akihito」、もしくは、研究を支えた当時の側近である目黒勝介氏の名前を入れた「Akihito & Meguro」という著者名で書かれた上皇さまの論文は、世界中の魚類学者が自分の論文に引用するという。

魚類の研究では、標本になった魚で体の部分の特徴を見分ける。形状が違ったり、数が違ったりということを顕微鏡で観察して新種発見などに至るわけだが、上皇さまもこうした研究を積み重ねて成果を出されてきた。

今回発見した2種類の新種のハゼは、水中で水の流れを感じ取るために頭部に持っている感覚器の配置や数などに特徴があるという。上皇さまの論文にも、体長わずか3cmほどの新種のハゼの、頭部の感覚器が精密に描かれている。

ちなみに、この感覚器が頭部にどのように配置されているかを調べることは、現在のハゼ研究には欠かせないものだというが、この器官の配置パターンが「ハゼの種類ごとに特徴がある」ことを最初に発見されたのは上皇さまだ。

上皇さまはこの特徴を見つけるために、100以上の標本を丹念に比べられたという。

細かい観察をコツコツ続けるという研究と、大きな研究成果。「妥協がない」「真面目」…研究の様子を知る人は、上皇さまの研究への姿勢をこう評する。


◆鋭いご指摘 「上皇さまが怖かった」 皇太子時代の研究姿勢

テレビに映し出され多くの人がイメージするであろう、皇后さまと並んでにこにこと朗らかなご様子の上皇さま。側近によれば、最近は新型コロナウイルスの感染拡大で外出ができないこともあり、仮住まいされている東京・港区高輪で静かに過ごされているという。

しかし、お若いころの研究の姿勢について取材をすると、こうしたイメージとはかけ離れた、研究者としての上皇さまの姿が浮かび上がる。

「上皇さまが怖かった」と証言するのは、前出の中坊名誉教授だ。曰く、研究における上皇さまのご指摘は鋭く「生半可な知識や勉強では、陛下の前では話せなかった」とのこと。

特に皇太子時代、研究に没頭されていたという上皇さま。傍で長く研究を支えた元側近は、こんな話をしてくれた。

「公務で地方に行くと、川に“朝駆け”をするんです」

立場上自由な外出が難しいため、研究のために河川に魚の採取に行くというのも難しい。そのため皇太子時代の上皇さまは、公務の合間を縫って、魚の採取に出かけられたという。

公務で地方に行った際にハゼが生息する川が近くにあると、早朝4時や5時に起きて川に出かけ、上皇さま自ら胴長を履き、網を持ってハゼの採取をされたそうだ。そして朝食までには戻られて、そのまま公務に臨まれる。

早朝ということから周囲に気を遣われ、警備も最小限に、お忍びで…“朝駆け”と呼んでいたこのご活動。元側近は「研究がお好きだからこそできたんでしょうね」と振り返る。

天皇に即位されてからは公務が増えたこともあり、こうした活動もできなくなっていく。研究所で研究をするときには、職員に「何かあればいつでも来て良いので」と伝えられ、あくまで公務を優先し研究を続けられていた姿が印象に残っているという。


◆「何事も鵜呑みにしない」…公務とも通じるご姿勢

ひとたび災害などが起きれば、上皇さまは被災地に足を運ばれ、被害の状況を見て、避難所などへ行って被災者と話された。自分の目で被害を実際に見て、感じようとされる「現場主義」的なお考えは、胴長に網を持ち、川に入って“朝駆け”するというご研究の場でも同じであった。

また上皇さまは、地方に行く際や誰かと会う際に、その地方や相手に失礼が無いよう入念な下調べをされるというが、研究者としての上皇さまも妥協せず、しっかりと調べて研究を進められてきた。

中坊名誉教授は上皇さまを「何事も鵜呑みにしない方だ」と話す。「皇室」「天皇陛下」「ご公務」として目にしてきた上皇さまと、魚類の専門家としての上皇さまは一見かけ離れているかもしれないが、両者の根底には上皇さまの「物事への取り組まれ方」が共通して流れているように感じた。

宮内庁によれば、上皇さまは引き続き魚類の研究を続けられるということだ。


テレビ朝日 社会部 油田隼武(宮内庁担当)

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