“夢の超特急”開業日の「貴重な映像」徹底的に解剖[2021/09/24 20:00]

1964年10月1日、東京オリンピックに間に合うように開業した東海道新幹線。
その開業日の映像を「詳しい人」が見ると色々なものが映っていました。
徹底解剖します。

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詳しい人:テレビ朝日 外報部デスク 荒木基


◆東海道新幹線 開業初日の東京駅
開業当初から使われていた新幹線0系電車「団子鼻」

◆開業当初の普通車の座席
リクライニングしない。背もたれが前後に倒れ、方向を変えられる仕組み。
その後交換した時、余った座席を在来線で活用した。

◆車両の窓
初期型の0系電車は長い窓、後期型は座席1列ごとに窓がある。映像を見ると初期型と分かる。
末期には16両の中に長い窓と短い窓が混在して走った時期もあった。

◆開業式典の様子
新幹線の建設を決めた当時は第4代の十河信二国鉄総裁で、開業のテープカットをしたのは石田礼助総裁。

◆新幹線出発
行先を書いた「方向幕」に注目。
当時は電動ではなく手差しの板で「超特急 新大阪行 ひかり」のプレートをつけた。

◆発車したがスピードが非常に遅い
開業後1年くらい、土で盛った土台を安定させるためスピードを落として走った。
最終的には時速210kmで走り東京-新大阪間が3時間10分だったが、開業当初は4時間かけた。

◆1等車
普通車と違い、座席が広く、リクライニングする。
後にグリーン車と普通車に変えるが、当時は1等車、2等車。
1等車は豪華さをアピールするため、ドア横の「1」の数字とドアの「枠」が金色だった。
グリーン車になっても金の枠を残っていた。

◆上り列車とのすれ違い映像
運転席の車掌さんが顔を出すところから撮影か。今は撮れない映像。

◆検札の様子 
パチンと小さな切符に鋏を入れる。

◆ビュッフェ車
12両編成に2両あった軽食を出す車両。食堂車とは違い、食堂車は岡山まで開業する時にできた。
ビュッフェ車にはキッチンと窓際に小さなテーブルでコーヒーやサンドイッチが食べられた。
車両内の壁に速度計が貼られ、0系電車廃車直前まで使われていた。

◆新大阪駅に到着、超特急ひかり号・新大阪駅歓迎式典
昔はひかり号は「超特急」、こだま号はただの「特急」だった。
ひかり号はそれまでの特急を超える「超特急」、こだま号はそれまでの特急扱い。
英語の新幹線、Super Express=超特急の語を使っているが、本当は当時のこだま号はSuper Expressではない。
新大阪駅側の到着映像はなかなか見ない。

◆東京で開かれた開業記念式典
天皇・皇后両陛下が臨席して行われた。
場所は丸の内の国鉄本社、現在の「丸の内オアゾ」がある場所。東京駅の真ん前。
1997年までJR東日本の本社があった。
開業式典は10時10分に開かれた。

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