2014 柳家小三治「人間国宝決定会見」たっぷり[2021/10/12 20:00]

2021年10月7日に81歳で亡くなった落語家の柳家小三治さん。
2014年7月に行われた重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定された際の記者会見から、「たっぷり」ご覧ください。

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司会:柳家三三)それでは、柳家小三治よりひとことごあいさつ申し上げます。

堅苦しいのは得手ではないので、そろそろざっくばらんに行きましょうか。
特に、お話はありません!

三三)そこを何とか。もうちょっとだけ、お願いします。

特にお話はありませんが、そうですね。
驚きましたね。本当にびっくりしました。何だか訳が分からない。何だろうっていう…
地震と違って、予震とかそういうものもなくて、いきなりの激震が走ったというような。
言われてから何日か経ちました。で、だんだんそういうものなのかな、と感じてきましたし、
心に決めなくてはいけない、覚悟をしなくてはいけないということかな。
とにかく、初めてのことなんで、呆気にとられたんですが、少し日も経ってきましたので。

それよりも、きょうの会見までに所謂、守秘義務っていうんですか。
とても厳しく言われました。辛かったです。
こんなこと、誰にでも言っちまえばいいと思うんですけど、ダメなんですって。

三三)それではご質問があれば

なければ、このへんで!

記者)おめでとうございます。

ありがとうございます。

記者)内定をどんな状況で聞いたか。激震が走ったということ、もう少し詳しく

喫茶店でお茶飲んでたら、突然携帯電話が鳴って、きょうの委員会ってんでしょうかね、
そういう先生方のの集まりでもって、決定しましたと。
どういう決定だかそういうことは聞いてません。
圧倒的多数なのか、最後まで今年はなしにしようというようなことだったのか、それも何も知りません。

それで、そうなりましたが、その時どういう言葉だったかな、適切な言葉じゃないんですが、
この前、何かもらった時に確かそのようなことを何か言われたんで、ダブるんですが、
「お受けいただけますか」っていうような、ことでございました。

そう言われてもね、いきなり掛かってきて、「お受けいただけますか」「ええ、いただきます」って
そういうふうなものでもないですね、よく事情が分からない。

何か先生方って言うわね、委員の先生方っていう。
これは、言うべきじゃなかったと思うんですけど、その人に言っちゃったんですけど、
「委員ってのあんまりあてにならない…」っての言っちゃったんですね。
こういう事態になるならば、そういう軽はずみな発言はするべきではなかったと。
先生方によろしくとお伝え願いたいんですけど、

先方というのは誰一人として私、知りませんから。
或いはしょっちゅう会ってるその人かもしれな。誰だか分からない。素性そのものは何も聞いておりません。
だから何か闇の中から突然、黒い礫が飛んできたような感じで、
姿も、受け取ることも何もできないという感じでしたね。

それで、その時にどういうことを感じたかていうと、こういうことしか感じてないんですけど、
それと、当然普通ならば、嬉しかったかということだと思うんですけど、
きょうですからね、敢えて言っときましょう。
とても、嬉しかったです!

それが一番いい。
それと、その日からだんだんだんだん自分を説得して、
きっかけからしてよく分かんなかったけど、
とにかく、人から「おめでとう」って言われたら「ありがとう」って言う、頭の中でシミュレーションしてました。
普通の私ですと、言わないですからね。
「何ですかねぇ」とか、「そんなの、どうってことないよ」とか何とかって。
本心はそうなんですけど。
折角、小三治にっていってくださった方に対して、それはねぇんじゃねえかなって自分も芽生えてきまして、
ですからきょうは「おめでとう」って言っていただいて、
素直に「ありがとうございます」って言えてよかったです。
まだ、本当の有難みはわからない。

私に電話してくださった文化庁の方も、「お受けになりますか」っていうのは、一応の挨拶なんでしょけど、
もしかしたら断られるんじゃないかっていうような気配を感じましてね。
いや、もしかしたら断ったかもしれないんですけど、その時に、何て言ったかなぁ、
その時に「はい!」って言えないから、「えぇ…それは」って言って、色々あらぬことを言っていましたらば、
「お受けいただけますか、お受けいただけますか」ってとても何か畳み込んでくるようなね、
「ちょっと待ってください、ちょっと待ってください」「どのくらい」っていうようなことだったと思います。
だから「まあ、何日間か」「それは困る。今日中に、遅くても明日中に」みたいな話だったですよ。
それで、向こうの空気も感じてきましたから「じゃあ1時間ください」って言ったんですよ。

その時は頭の中は何も感じていないですよ、ぽかーんとしているだけで。
でもその「受けてくれますか」って言葉の中に、何か重み、いや重みっていうのとは違うな、やっぱり。
これ、ちゃんとお預けしなくちゃいかんなって感じがしましてね。
それで15分くらいでこっちから電話しました。
「はい、もらいます」って言ったのかな。
それが、その時の私の虚ろな気持ちが、瞬間的に切り替わった時のことだと思いますが。

そういうものを私がもらうなんて信じられない、っていう言葉が世間にはあるでしょう。
そういうようなことは感じないんですよね。

本当に私がひねくれているたちかどうかは知りませんけど、私が本当に嬉しいのは肩書じゃないですから。
これ言っちゃえば質問に全部お答えすることになると思いますけど、
私が勲章といいますか、賞っていうか、肩書でいただくものは、
寄席に来ている、或いは落語会を聞きに来てくださっているお客様の一人一人が審査員で、
その方たちが喜んでくれることを、―私、審査されているな、とは思ってませんけど―
喜んでくださることが一番の嬉しいことで、
こんなもんじゃねぇな、こんなもんじゃねぇなってのは、昔からそうやって毎日を過ごしていましたから。
切りがないっちゃ切りがないんですね。どこまで行きゃいいっていうもんじゃないんだろうと思います。
自分が好きでやってるんですから。

自分が褒められれば一番いいんですけどね、自分をね。
マラソンで、私を褒めてやるっていましたね、そういう人が。
あれを見てびっくりしたっていうか、ハッと気が付いたというか。
じゃ、俺もほめてやる時を探さなきゃなと、その時は瞬間思いましたけど、
まあ、持って生まれた陰気な性格ですね。
自分を褒めるなんてそんな、ド派手なことはできないですね。
しょうがない、これは。性格です。

記者)おめでとうございます。

ありがとうございます。

記者)受賞の理由の中に「江戸の古典落語を高度に体現している」という一文があるが

えっ、知りません。

記者)あったんですけども。

どっから出てきたんですか、それ。ああ、そうですか。どうもすみません。

記者)師匠のいつもおっしゃってるように、落語の表現は型というものがあるものでもないと思うが師匠の考えている古典落語、落語の根幹は

そう、まともにぶつけられるとね。その時その時は色々言ったり考えたりしますけども、
難しいこと言うわね、そういうことを。
落語の根幹…なんですかね。
こういう状態、何ていうんでしょうかね、頭の中、何も言葉が浮かんでこないですね。

まあ、成長とともに自分の考えとか、考えることもも変わってきましたしね。
結局は今の質問にお答えするとすれば、
自分が、ああいいな、って思えるように自分はなりたいし、
また、そういう人が増えてきてくれればいいし……、かな。
あの、結構ね、質問が鋭いんですけど、漠然としてますよね。
ですから、私、漠然とお答えするしかないんですけど、

記者)では、師匠が考えている落語とはなんでしょうか。

何なんでしょうかね…
まだそれも、思い至ってないというか、。
こうだと思っていたものが、1日経つと、いやそうじゃない。こうじゃないかああじゃないか。
そういうことを日々日々、訂正したりまた重ねていったり、引っ込めてみたり。そんなことしてますから。
ある時から落語ってのはこういうものっていうふうに、
自分の中で決まってきた、決めてきたっていうことも、私の中では定まらない。

そうですねぇ、ひとつの言い方として、落語って…いやそうかな…、
こんなふうに、とても難しいんですよ。一番難しい問題で。
それで、自分の出来っていいますか、評価が変わったり、こういうもんじゃねぇなとか。
今まで思ってなかったことが、いやここがまだ出来てないとかっていう。
厄介なやつですね。

だから、歌舞伎でも台詞が決まっているものもみんなそうなんでしょうけども、
我々の場合はもっと、歌舞伎や何かより台詞って決まってませんから、だからもっと厄介なんじゃないですかね。
いや、でも歌舞伎やってる人にとっちゃ、いや決まっているからこそ厄介だって言うかもしれないけど、
それもそうだろうと。

何ですか、これは。
そういうことってよくあるよなっていうのが、分かり易く言えば、値打かしらね。うん。
聞いた人がこう、膝を打って、そうそう、そうなのよっていうような共感。
それに連なって生きている嬉しさ。
落語を聞いている人に悲しさ…
ストーリーとしては悲しさはとして分かっても、自分自身が落語を聞くことによって、
悲しくてしょうがないっていうようなことは、やっぱりそれは最低限そうですね。
人に楽しみを覚えてもらいたいって使命は、って思っているんでしょうね。
今気が付きました。そういうお答えをしている間に。

それと、あとは生きている様でしょうかね。
それを、受ける人によって、その感受性でもって
馬鹿馬鹿しいと思ったり、中には辛いと思ったりするということも
落語の中にはありとあらゆる、心の持ち方っていうものが秘められているのかなと思うんです。
どうでしょうか、こんなとこで。

記者)子どものころにテストで95点取ったら怒られたというお父様が聞いたら

死んじゃうでしょうね、きっと。もう死んじゃってますけど。
何てったって、学制80周年、学校制度ができてから80年っていうの時に
天皇陛下から盃をいただいたっていうんで、大変な騒ぎでしたよ家中。7人家族でしたけど。
木の漆塗りの盃を真ん中にして、7人家族がずらっと並んで写真を撮るなんてのもあったりしてね。
大変なもんでしたね。
それが仮にも俗称とはいいながら、国宝なんてことになったら、もう失神して、
もう死んじゃったからいいけども、死んじゃうでしょうね。

記者)今後も寄席や落語会に出演は続けていかれますよね

は?変わりませんけど、私は変わりませんから。
あ、国宝になったから。近寄るなとか?そんなことはありませんよ。

記者)師匠の5代目小さん師匠も晩年になっても芸が進化していたと思うんですが

いました。
いましたけど、健康の理由や老いにそういうものによって上手く表現できなかったり、
滑舌が悪くなったりっていうようなことは、ありませんけど、
その演じている心を汲み取っていくと、それはものすごく葛藤してました。
それが何よりも、私は師匠に対する感謝です。
俺も老いるなら、こういうふうに老いたいと思いました。

記者)そうなるためには、日々どのような心のありようというか、具体的にどうして過ごしていいか

普通に過ごすことだろう。
これを機会に、何かとんでもない訓練をするとか、稽古をするとかそういうことはありません。

賞をもらうことが目的ではないはずなんですよ。
賞をもらうと賞をもらったっていうことでもって世間が注目したりするので、
それで商売しやすいって、そういうふうに考える人はそれでいいかもしれないけど、
私は噺家になった時、これで何とか飯食おうとか、これで有名になりたいとか、
そんなこと何も思わなかったですから。
まあ、世捨て人になったつもりで、噺家になったんですよね。

だから、世間の人と競争しようというのがないんですよ。
話は質問からずれますけど、あなたにとっての好敵手、ライバルは誰ですかなんて
今までも尋ねられたことあるけど、一遍も誰それなんて言ったことない。
言ったことないってのは考えたことない。ライバルって自分だけです。
だって、ライバルをもし作っちゃって、そのライバルに打ち勝つことが何らかの形でできたとしたら、
それで私の人生お終いじゃないですか。

理屈っぽいなこりゃ。こりゃ理屈っぽいよ。
だから永六輔さんが、ひねくれるだけひねくれた小三治さんということを言ってましたけど。
そういうてめぇだってよっぽどひねくれてるよ。

師匠の小さんがもらった時に、人間国宝ってのは何だってその頃言ったら
後継者のための輝きだということを聞いた。
それで人間国宝というのは月給じゃないけど、年金でいくらかっていうのがもらえるっていう。
それは私は好きなんですよ、お金もらえるのは。

後の人のことを考えずには生きていけませんからね。
特に(落語協会の)会長を4年やってましたから、なおさらそれは色々考えるようになりました。

記者)後進の人たちに期待するところは

いいように転がって行ってもらいたいということですかね。
だけど、自分の価値観っていうものをずっと持ってきて、
改めたり書き直したりしながらも、それでいいと思っていたんですが、
どうもこの頃の世の中の色々な動きを見ていると、
それは俺が生きている間だけでよかったのかなって思うんですよ。
ただの年寄りになったのかも知れませんね。

でも年寄りだからといって急に新しい考えや、新しい人と同じ、同じ何だ、
同じ弾み車で前に出ていくわけにもいかないので、それは無理ですから。
私は私として、これが一番いいんだって思う方法を、いつも模索して、訴えて、
今に、誰からも相手にされなくなっちまうことがあるかも知れないけど、それはそれでいいと思います。

私はこれが一番いい道だ、いい方法だっていうことを、いつまでも追い求めていきたいです。

記者)これまで修行の頃でも、落語辞めたいとか、挫折感を味わったことは

あります。
それだけお答えします。
あります。
ありました。

ただ、結局辞めなかったのは、落語が面白いからです。
自分の人生と引き換えにしてもいいって思う程、清水の舞台から飛び降りる気になったという、
好きな落語だからです。
落語家はあまり好きではありませんでした。
落語は大好きですけど。
その姿勢が、今でも続いているつもりです。

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