東京ヘリ撮50年 酉の市の浅草が塔の街だったころ[2021/11/05 19:30]

1971年、昭和46年初夏の東京・台東区千束一帯の上空からの映像です。
今からちょうど50年前ですね。

カメラが寄って行ったのが、都立台東病院、
画面左に広がっていたのは、かつて吉原遊郭があった場所です。
歌舞伎や落語で知られる一方で、多くの悲しい歴史も刻んできました。
台東病院も元々は「吉原病院」といって遊女の検診などに使われていました。
この都立台東病院は1996年に役目を終えましたが、
同じ場所に2009年、新たに「区立」台東病院が開設され、今は地域の医療を担っています。

カメラは台東病院の西、鷲神社を捉えました。
酉の市で有名な鷲神社ですが、今年2021年は一の酉が11月9日、二の酉が11月21日です。
当日は参道沿いとその横に広がる駐車場に、縁起物の熊手を扱う店が並びます。
去年2020年は、コロナ禍で規模を縮小しての開催でしたが、今年はいろいろ対策を施しながら、例年どおり開催します。

カメラは鷲神社を離れて、国際通りを南へ、浅草六区の方向に向かいます。
明治に入り、浅草や、寛永寺の上野、増上寺の芝などが
公園として整備されましたが、その後浅草だけは繁華街に様変わりしました。
六区は浅草公園の第6区画という意味です。

六区の興行街が見えてきました。茶色っぽく目立つ建物が新世界ビルです。
「娯楽のデパート」と称されました。
回りこんで見えてきたのが、浅草寺です。
画面左上の大きな屋根が本堂です。

手前の工事現場は、再建中だった五重塔です。
この2年後、1973年に完成しました。

カメラは、さらに手前に見える伝法院に寄っていきます。
浅草寺の本坊です。
その伝法院の建物群を包むように庭園が置かれ、大きな池を巡るよう作られています。
庭園の作者は、江戸時代の初期に活躍した大名で茶人の小堀遠州と言われています。
多くの人の姿が見られますが、普段は一般公開されていません。
ただ、特別に拝観できることもあります。
この庭園は2011年、国の名勝に指定されました。

再び五重塔の工事現場です。
本堂の上を通過して見えてきた白いタワー、「東京スペースタワー」という回転昇降式の展望塔です。
1967年の暮れに完成しましたが、この撮影の2年後、五重塔の完成と入れ替わるように営業を停止し、取り壊されました。

北側に回り、花やしきが見えてきました。
「人工衛星塔」というタワーが立っています。
当時の花やしきのシンボルでした。

もう一度、六区の新世界ビルです。
よく見るとここにも鉄骨で五重塔が組まれています。
かつて浅草で塔と言えば、「十二階」として親しまれ、関東大震災で倒壊した凌雲閣でしたが、その凌雲閣を模した仁丹塔が見えてきました。
戦争で一度取り壊されたものを、戦後この形に再建したものですが、こちらも1986年、昭和61年に取り壊されました。


かわって2021年、今年7月の映像です。
現在を象徴するタワー、東京スカイツリーがそびえています。

浅草に寄っていきます。画面奥に高層ホテルとタワーマンションが目立ちます。
浅草寺が見えてきました。50年前にはまだ建築中だった五重塔が建っています。
画面右、本堂の向こうに花やしきの黄色いタワーが見えますが、こちらは50年前のものではなく1996年にできたアトラクション、スペースショットです。

浅草寺と、ホテルやタワーマンションとの間に六区の興行街が広がっていますが、こちらも大型のビルの多くは、建て替えられました。

画面右下に松屋浅草の入る東武浅草駅の細長い建物が見えてきました。
真ん中には、縦にまっすぐ仲見世が伸びています。

変わらぬ浅草も健在です。

こちらも読まれています