1965年 礼宮文仁さま誕生 皇位継承権第3位[2021/11/05 21:00]

1965年11月29日、第2子を妊娠中だった皇太子妃美智子さまが、2台目の車両に乗っています。
午後、赤坂の東宮御所から宮内庁病院へ向かわれたのです。
陣痛が本格化してきたのは夜、分娩室に入られたのは深夜11時を過ぎてからでした。
翌30日、親王ご誕生の報告を受けて、皇太子さまは、待ちかねたように喜ばれ、安心されたと当時のご様子を松平侍従は話しました。
早朝、宮内庁病院へ入られます。
皇太子ご夫妻にとって2番目の男のお子様となり、3番目の皇位継承者にあたります。
お兄さまとなられた浩宮さまは、ご誕生を知りおおはしゃぎ。
宮内庁病院にいる皇太子さまから「おたたちゃま(お母さま)もお元気だし、すぐおいで」と電話を受けた、と当時の新聞は伝えています。
正午前、病院に到着されました。
面会を終えた皇太子さまと浩宮さまが揃って東宮御所へ帰られます。
12月1日、皇居坂下門内の記帳所です。
正午から午後4時まで、東宮御所でも一般参賀の記帳を受け付けました。
12月11日、美智子さまは、宮内庁病院を退院されました。
お子さまのお名前と称号は「礼宮文仁」に決まり、「論語」の「顔淵」から選ばれました。
広く学問にいそしみ知識を向上させ、自分の行為は常に礼儀にそむかず。
それでこそ道を踏み外さないといえるだろうという意味があります。
この日の礼宮さまの身長は52センチ、体重3214グラムでした。
白地に雲取色紙模様の和服姿の美智子さまが、白羽二重のおくるみに包まれた礼宮さまを見つめます。
東宮御所の前に集まった人たちに見守られ、帰宅されました。

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