東京ヘリ撮50年 昭和46年頃の“坂道”[2021/12/17 21:30]

1971年、昭和46年の冬、ちょうど現代の地下鉄乃木坂駅の真上あたりです。
見えてきたのが乃木坂、右へカーブしながら下っていきます。
その上が、旧乃木邸の乃木公園と乃木神社です。

乃木希典将軍は明治を代表する陸軍軍人でした。
明治の終わりとともにこの地で亡くなります。

現代の赤坂・六本木です。
画面の左上に小さく見える緑が、乃木神社・乃木公園です。
すぐ右に東京ミッドタウンの緑と高層ビルが見えます。

そして手前のビル群が、六本木ヒルズ。
赤茶色の2つのビルの右側の緑の帯が「さくら坂」、左側の通りが「けやき坂」です。
「けやき坂」と「乃木坂」との距離は、歩いて15分ほど1キロちょっとの距離でしょうか。

カメラが屋上に寄っていったこのビルは、高さが238メートルあります。
その左側の左側の六本木通り沿いのビルは六本木ヒルズノースタワーです。

ふたたび1971年、昭和46年冬のこちらは六本木交差点です。
ヘリコプターは六本木通りに沿って西に進みます。
大きなビルが見えてきました。

現在の六本木ヒルズノースタワー、この年の1月に完成したばかりの東京日産ビルです。
高さは68メートル、とても目立ちます。
展望抜群で、最上階にチェコレストランが2つ入っていた時代もありました。

ビルの右上に池を囲む緑の一角が見えます。乃木将軍が生まれた場所です。
幕末、長府藩毛利家の屋敷だった時代です。

撮影のときは、ニッカウヰスキーの東京工場でした。
その隣に、NETテレビ、今のテレビ朝日が現れました。

空から見ると、社屋が継ぎ足し継ぎ足しされてできてきた様子がよくわかります。
左上は、できてまだ3か月の第7スタジオです。
ドラマや音楽番組のための大きなスタジオで、1986年に放送を開始したミュージックステーションも
スタート当初は、このスタジオから放送されていました。

年末恒例のミュージックステーションウルトラスーパーライブ、今年、2021年は24日夕方5時からの放送です。
乃木坂46、櫻坂46、日向坂46、みなさん出演です。
ほかにも綺羅星の如くの素晴らしい出演者、ぜひチェックしてみてください。

ヘリは社屋の南側へと回っていきます。
地盤を2段に作って、そこに社屋が建っているのがわかります。
地下2階にも大きな窓がありました。
南側に日ケ窪と呼ばれる小さな谷を望む高台に建っていたのです。
東京タワーに向けて電波を送信するためには、見晴らしのいい場所が必要でした。

このあたりが、いま「けやき坂」や「さくら坂」があるあたりですが、影も形もありません。
玄碩坂(げんせきざか)という坂が一つだけ上から下まで通っていました。
その道筋は今のさくら坂と重なる部分もあります。
カメラが少し上を向いて、画面奥に見えてきた縦に伸びる道が、鳥居坂です。

東洋英和女学院や国際文化会館などが並んでいます。
鳥居坂の道と交差する通りが、麻布十番のメインストリートです。

画面右上にはできたばかりの首都高速が見えます。
このころの麻布十番商店街は、山の手屈指の商店街と言われながら、鉄道の駅もなく、なかなか行きにくい場所でした。
歩道の上にだけアーケードの屋根が掛けられているのが見えます。

このアーケードは1990年代の初めに撤去されました。
画面左上に見えてくる首都高速の右下が二の橋交差点。
その左に伸びるのが日向坂です。

画面変わって、さらに4年前、1967年、昭和42年春の麻布十番です。
首都高速はまだ建設中です。
画面右から見えてきた縦の道が日向坂(ひゅうがざか)です。
日に向かうと書きますが、日向(ひゅうが)です。

見えてきたのは渋沢栄一の屋敷だった建物です。
このときには国のものになっています。

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