1971年 空から隅田川七福神めぐり【東京ヘリ撮50年】[2022/01/14 21:00]

隅田川の上空です。
1971年、昭和46年の正月用の映像です。

見えてきた川岸には、今は都立東白鬚公園や墨田区立桜堤中学校があります。

白鬚橋が見えてきました。名前は近くにある白鬚神社からとったようです。

ヘリコプターは画面のさらに右にあるはずの白鬚神社は写さず、近くの法泉寺に寄っていきます。
800年ほど前の鎌倉時代初期に建立されたと伝えられる、歴史あるお寺です。

ヘリがスルーした白鬚神社は、隅田川七福神のうち「寿老神」として知られますが、これは白鬚、白いあごひげという神社の名前からひねり出したものでした。

白鬚神社の寿老神など、隅田川七福神をそろえて巡るイベントを始めたのが、向島百花園に集う江戸の文人墨客たちでした。
江戸時代後期、百花園を開いた主が所有していた福禄寿の像に目を付けた文人たちが、七福神を選んでいきました。
谷文晁、村田春海、太田蜀山人、そう言えば学校で習った覚えがあるような人たちですね。
白鬚神社と寿老神を結びつけた、いわば功労者たちです。

福禄寿の向島百花園を後にして、ふたたび隅田川の方向に向かいます。
今は首都高速6号線の向島出入口がある辺りです。
その首都高6号線の建設現場です。舗装中でしょうか。
ちょっと狭い少年用の野球場は、
王貞治さんゆかりの場所です。

お寺の屋根が2つ見えます。
左が長命寺、カメラが寄っていくのが弘福寺です。
弘福寺が布袋尊、長命寺が弁財天です。
長命寺の名は桜餅でも有名ですね。

画面手前に、今は桜橋がかかっています。
首都高6号線の建設現場に沿って南へ進みます。
見えてきたのが三囲神社。
三囲神社は恵比寿と大国天、ここでは恵比寿神・大国神と言います。
その名前から三井グループとの関係が深く、境内の「月読さん」に祀られている大国・恵比寿の像は、現在の三越から持ってきたものです。

七福神はこれで六つ。

区立の小梅小学校。関東大震災後に建てられた鉄筋の校舎です。
牛嶋神社をすぎて、隅田公園です。

東武線の線路です。ここにあった隅田公園駅の跡が残っているのが見えます。
今は東京ミズマチという施設で、浅草から歩いて隅田川を渡り、スカイツリーまで行けます。

隅田公園のこのあたりは水戸徳川家の下屋敷だったところで、物資を船から陸揚げする蔵屋敷としても使われていました。

そして牛嶋神社。
「三ツ鳥居」といって、中央の大きな鳥居を両脇の2つの小さな鳥居で挟んでいる、珍しい形が見えます。
平安時代からの歴史を紡ぐ由緒ある神社です。

50年前の映像のおしまいは北十間川。
「臭い、汚い」と遠ざけられた時代もありましたが、すっかり復活しました。


現代、2021年の冬至の日の東京スカイツリーです。
長い影が1000メートル以上も伸びて、50年前にはスルーした白鬚神社まではあと500メートルぐらいでしょうか。

50年前の映像で伝えられなかった七福神の最後、多聞寺の毘沙門天は、画面中央、スカイツリーの2つの“天望台”の間のすぐ左側にあります。
隅田川と荒川がぐぐっと近づいたあたりです。

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