震災11年目 国内外から被災地へ“黄色いハンカチ”経験を次世代に[2022/03/11 08:13]

 東日本大震災から今日で11年。番組では当時震度6強を観測し、津波被害にあった宮城県山元町で現在、語り部として活動する男性にお話を伺いました。

 青空にはためく黄色いハンカチ。一枚一枚に書かれているのは全国各地、世界各国から寄せられたメッセージです。

 これは、宮城県の南部・山元町で震災の翌年から行われている「黄色いハンカチプロジェクト」。

 先月23日には、防災教育の場として生まれ変わった「中浜小学校」のすぐそばで、ハンカチおよそ400枚の掛け替え作業が行われました。

 やまもと語りべの会・渡辺修次会長:「黄色い色って、元気になる色。なので、黄色いハンカチを全国に声を掛けて集めたんです。もう心に焼き付かれていますけれど、やはり頑張れよとか。全部大事です」

 このプロジェクトで中心になって活動しているのは震災当時、山元町内にある中学校で校長を務めていた渡辺修次さんです。

 やまもと語りべの会・渡辺修次会長:「3月になるとね、心がね、何ていうかね。変な動きというか、苦しくなったりね。皆が報道機関の中で11年目、10年目の節目だとか言ってますけども、私たちにはその節目はなくて、1日1日という形になる」

 震災当時、自宅はおよそ3分の1が水没。津波によって教え子4人の命が奪われました。

 そんななか、校長を務めていた中学校は避難所となり、渡辺さんはその運営に奔走したといいます。

 やまもと語りべの会・渡辺修次会長:「あの大震災の時はもう無我夢中で1日1日生活をしていたわけだけど、やはり今も生きたい、あの生徒4人のことを考えたときに、私としてはその4人からね、今生きている私たちが笑われないようにしたい。伝えていきたい。同じような苦悩はさせたくない」

 そんな思いから2013年、「やまもと語りべの会」を発足。震災当時のことや震災後の町の変化などを語る「語り部」として活動を始め、メンバーも今では17人に増えました。

 やまもと語りべの会・渡辺修次会長:「ガイドの人たちの自分の声で、自分の言葉で伝えること。これが語り継ぐことであり、次の世代の人たちにはそういう経験、体験をさせたくない」

 活動を続けて9年。語り部も多くが高齢化するなか、やまもと語りべの会では若者の防災士の資格取得を支援しています。これまでに中学3年生から20代までの7人が資格を取得しました。

 やまもと語りべの会・渡辺修次会長:「若い人たちがどんどん、そういう資格を取ってガイドをして、とにかく話をすることによって防災減災のはじめの一歩になれば、もっと違う災害の時に対応できるんじゃないか。正しく恐れて、そして正しい知識で命を守る。必要なのかなというふうに思って取り組んでいます」

こちらも読まれています