【震災11年】大川小学校に「新たな光」 未来を照らす「84本の竹あかり」[2022/03/11 19:40]

 東日本大震災から11日で11年を迎えました。84人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校では、過去の教訓を未来へとつなぐ「84本の竹あかり」がともります。

 佐藤和隆さん(55)は東日本大震災の津波で当時、小学6年生だった三男の雄樹君を亡くしました。

 大川小の遺族・佐藤和隆さん:「石巻市のスポーツ少年団対抗のマラソン大会があった。死ぬ5日前の写真。こんなに元気にしていたのに、何でいなくなったのかなって」

 なぜ我が子は犠牲になったのかと問い続けた11年。

 佐藤さんの息子が通っていた宮城県石巻市の大川小学校。地震発生から約50分後、8.6メートルの大津波が押し寄せました。全児童の7割にあたる74人の子どもたちと教職員10人、合わせて84人が犠牲に。

 地震の直後、児童たちは教員の誘導で校庭に避難。津波到達の直前まで校庭にとどまっていたのです。

 もし、学校の裏山に避難していたら…。遺族たちの苦しみは続いています。

 大川小の遺族・佐藤和隆さん:「(震災当日)3時くらいには『ここにいたら死ぬ』と言いながら、待っていた息子のことが今でも忘れられない。どんだけ怖かったかなという思い」

 後世に教訓を伝えるため、大川小学校は震災遺構になりました。去年7月から一般公開されています。

 ここで語り部を続ける遺族の佐藤敏郎さん(58)。

 「命を守る防災」とは何か、語り掛けています。

 大川小学校の遺族・佐藤敏郎さん:「命を救うのは山ではなくて、山に登るという判断と行動。訓練もマニュアルも皆、大事。でも、それは“魔法のじゅうたん”にならない。命を救う判断と行動に結び付くかどうか。結び付けるのが防災」

 大川小の校歌は「未来を拓く」。あの日から11年…。

 遺族たちは未来へつなげる新たな挑戦へ踏み出しています。

 大川小の遺族・佐藤和隆さん:「10年が区切りとか世間で言われるが『そうじゃないんだ』と始まった行事」

 去年は感染対策で大川小の慰霊祭は中止に…。

 11年目の今年は慰霊の「竹灯籠(とうろう)」を自分たちで作り、明かりをともすことにしたのです。

 きっかけの一つは、阪神・淡路大震災の被災者との交流でした。

 大川小の遺族・佐藤和隆さん:「神戸の話を聞くと、10年目がすごく皆の意識が高まって、10年過ぎちゃったらどんどん、神戸も風化して。当時、被災した人たちはすごく危機感を持っている」

 「竹あかり」の数は84本。大川小で亡くなった84人を追悼する願いが込められています。

 大川小の遺族・紫桃隆洋さん(57):「大川小学校の悲劇は二度と繰り返さない。小さい灯を何本もたくさん集めることで光になっていく。その光が広がっていけば、大川小学校の子どもたちのことを伝えることもできるんじゃないかなと」

 遺族の思いを知った若者たちも大勢、訪れて参加者は500人に。

 仙台から参加した大学生:「次の世代にも伝えて行かないといけない」

 大川小の遺族・佐藤和隆さん:「何十年後かには必ず東日本大震災規模の地震、津波が来る。その時に未来へつないで行けば、未来は変えられる」

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