1967年 維新100年「大学とホテルと」復活再生の紀尾井町[2022/04/16 19:00]

1967年、昭和42年6月の四ツ谷駅上空です。
2つの橋の下が国鉄四ツ谷駅、右奥が紀尾井町です。

その一画、上智大学の一帯に寄っていきます。
現在イグナチオ教会があるあたりは広場になっています。
カメラが寄っていったこちらが、当時のイグナチオ教会です。

その手前の道は、現在は画面左から右への一方通行です。

右から見えてきた和風の建物は料亭です。
現在はビルになって、料亭の名を残す一方で上智大学の13号館です。
上智大学のキャンパスに向かって旋回します。

緑が広がる庭の向こう側の建物は、イエズス会の修道院。
その横の洋館はクルトゥルハイムと呼ばれる聖堂で、構内唯一の明治建築だそうです。

#映像記録

もう一度イグナチオ教会。
 正式にはカトリック麹町聖イグナチオ教会で、つまりここは紀尾井町ではなく麹町です。
今年2022年の復活祭は4月17日ですが、ミサは予約制で、すでに満員締め切りです。

上智大学のグラウンドです。
江戸城の外濠を埋め立ててできた、都有地を借りています。

江戸城のもっとも古い入口と言われる喰違見付を過ぎて、ホテルニューオータニです。
1964年の東京オリンピックに合わせて開業しました。

元は彦根藩井伊家の中屋敷で、維新後、伏見宮の屋敷になりました。
紀尾井町の「井」。

ちなみに上智大学は、御三家の一つ尾張藩の屋敷跡です。
紀尾井町の「尾」。

道を挟んで参議院の清水谷宿舎です。

見えてきた鉄塔はNHKの電波塔、手前は赤坂プリンスホテルの旧館です。
電波塔は、高さは178メートル、1953年の建設で当初はここから総合テレビを送信していました。

右側から現れたのが文藝春秋社、真ん中左寄りのビルが日本農業研究所、その間にある和風の建物は司法研修所でしょうか。

このあたり一帯が、こちらも御三家の一つ紀州藩の上屋敷、紀尾井町の「紀」があったんですが、さらに回り込んで見えてきたのが、清水谷公園の中にある大久保利通哀悼碑です。
大久保利通は、明治維新の立役者の一人ですが、
明治11年(1878年)、この場所で襲われ命を落としました。

そして参議院の清水谷議員宿舎をすぎて、現在、東京ガーデンテラスがあるあたり。

右に赤坂プリンスホテルを見ながら、弁慶橋を渡って、赤坂見附の交差点です。
右手前に衆議院議長公邸。
ここでもう一度旋回して、赤坂プリンスホテルに寄ります。

まだ6月なので、さすがにプールに入る人はいないようです。

ヘリは現在のプリンス通りを北へ進みます。
NHKの電波塔は千代田放送会館に変わりました。
司法研修所は移転し、このあたりは今、城西大学になっています。

麹町の大通りに出たところで、西へ向かいます。
団地のような建物は参議院の麹町議員宿舎です。

カメラは、建ってまだ2年の「弘済会館」のとなりに寄っていきます。
何があるのでしょう。ガソリンスタンドと美容室でしょうか。
「弘済会館ビル」は建て替え計画が進められていて、2025年には地上12階、高さ63メートルのビルに生まれ変わる予定です。

再び上智大学です。
大通り沿いに見えてきたのは、上智会館。学生食堂や男子寮がありました。

四ツ谷駅に戻ってきました。
ニューオータニも見えて、紀尾井町の全景です。

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2017年、平成29年5月の上智大学と楕円形の建物は建て替えられた聖イグナチオ教会です。
カメラが寄っていったのは、できたばかりのソフィアタワー、上智会館があった場所に建っています。

撮影の日はちょうど、あおぞら銀行の本店がテナントとして入ってオープンした日です。
そのうしろの修道院は変わりなく健在ですが、大学は高層化が進んでいます。

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