地元産業の復活へ…ものづくりを伝える若者たちの挑戦“繊維産業の街”愛知・尾州[2022/05/20 23:30]

かつて“繊維産業の街”として栄えた愛知県一宮市。周辺を含めたこの地域は「尾州」と呼ばれ、日本最大の織物産地として発展。戦後の高度経済成長期には、ガチャンと動けば“万儲かる”「ガチャマン景気」と言われていました。

1970年代、8000を超える繊維の事業所がありましたが、オイルショックや海外製品の拡大によって年々減少。今では200ほどしかありません。失われゆく産業をどうにかしたい…若者たちが動き出しました。

生地や洋服の販売会社『大鹿株式会社』に勤める彦坂雄大さん(34)。3年前、別の繊維企業で働く若手社員を集め『尾州のカレント』というサークルを立ち上げました。彼らの目的は、尾州の認知度を高め、商品の購入につなげること。

『尾州のカレント』代表、彦坂雄大さん:「工場がなくなっていってしまうし、職人もいなくなってしまう。とにかく『今やるしかない』という危機的状況に尾州もなっている。お互いに産地全体のことを考えながら仕事をしていかないと、どこかがなくなってしまう状況」

どうすれば地元産業の“復活”につながるのか…彼らが計画したのは、尾州のものづくりを伝えるため、企業の垣根を超え、合同で開催する展示会です。

『尾州のカレント』メンバー、吉村宣孝さん(36):「丁寧なものづくりを、分かりやすく来場者に提案して、さらには売り上げ・利益につなげていく展示会を行いたい」

みづほ興業社長、水谷吉孝さん:「縦のつながりはあっても、横でつながれることがないので、昔では考えられない」

糸を紡ぐことから、生地を織ること、加工や縫製に至るまで、尾州では数多くの工程を分業しているのが特徴です。そのため、一軒一軒企業を訪ね、展示会への参加を呼び掛けます。

『尾州のカレント』代表、彦坂雄大さん:「展示会をやりたくて、一緒に出てほしい」

葛利毛織工業専務、葛谷聰さん:「自社が生き残るために必死だった。とにかく競争の社会でずっときて、衰退してしまって。今、彼らがやっているのは、尾州産地のどの分野も生かそうとしていて、いい方向に向かっていくのではないかと期待がある」

2月、一宮市内で行われた展示会。『尾州のカレント』の想いが実りました。愛知県内だけでなく、東京など県外からも多くのお客さんが訪れました。2日間で約100人が訪れた展示会。まだまだ道半ば、それでも『尾州のカレント』が衰退を止めるきっかけになってほしいと彦坂さんは話します。

『尾州のカレント』代表、彦坂雄大さん:「(今回の展示会には)学生もデザイナーも訪れていた。色んなところでこういうことをやっていって、尾州全体が良くなるようにしていくのを今後やるべきことだなと」

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