渋谷女性暴行死 元被告死亡で裁判開かれず 遺族「悔しくてしょうがない」[2022/06/01 19:55]

 「これで終わりなのかという、ぶつけようがない悔しさを感じました。どうして殺したのか、本心を元被告から聞きたかったです」「本当に悔しくてしょうがないです」

 亡くなった女性の弟はそう、打ち明けてくれた。

 女性の名前は、大林三佐子さん。おととし11月16日、路上生活をしていた大林さんは、東京・渋谷区のバス停で、突然頭を殴られて死亡した。当時64歳だった。

 傷害致死罪で逮捕・起訴された元被告の男は今年4月、保釈中に死亡した。このため裁判は開かれず、6月1日に本来予定されていた裁判の「判決」はなくなった。元被告は、自宅近くのアパートから“飛び降り自殺”をしたとみられている。

 大林さんの遺族や友人たちは皆、やり場のない思いを抱えていた。

 ■「ひまわり」のような存在だった大林さん 地元広島で劇団に所属

 大林さんは、20代までを地元・広島で過ごした。
短大を卒業した後、劇団に所属し、アナウンサーや声優を目指していたという。
大林さんが所属していた劇団の代表を務める光藤博明さんは、当時のことを今もよく覚えている。

 光藤さん:「大林さんは、よく笑う、笑顔がかわいい、『ひまわり』みたいな人だった。周りの人もぐっと幸せになるような。劇団の活動を本人も一生懸命やっていたしね。熱意にあふれて、しっかりした芯の強い女性だったと思います」

 大林さんは、演者だけでなく、振り付けや衣装、舞台監督も務めていたという。明るくて、いろいろなところに気配りを欠かさない大林さんは、すぐに劇団の中心人物になった。光藤さんは、当時上演したある舞台の音声を聞かせてくれた。


 20代の頃の大林さんの声(台詞):「まぁ、お嬢様どうなさいましたの?ずっと一晩中そんな獅子のお面をつけて男の子の格好で。とんだ事件に巻き込まれましたのね。おかわいそうに。おや、誰か来たみたい。さぁお嬢様お隠れくださいませ。あとはわたくしが」

 それは、『ポセイドン仮面祭』という劇で「乳母」の役を演じる大林さんの「声」だった。40年以上前に録音されたものだが、大林さんが舞台上で躍動する様子がありありと伝わってくる。まさに大林さんの「生きた証」だった。

 光藤さんは、こう続ける。

 光藤さん:「大林さんは、本当に明るくて元気で周りに夢を届けられる人でした。それが約40年経って、路上生活をしていたところ事件に巻き込まれたと聞きました。当時の彼女と全然結び付かなかった。40年という時間の流れで彼女とは結び付かない振り幅、それが本当にショックでした」

■「ミッキーと呼んで」 明るくておしゃれな青春時代

 大林さんと、中学・高校・短大時代を一緒に過ごした同級生2人からも話を聞くことができた。同級生たちにとって、大林さんは、いつも明るく、優しく、おしゃれな人だった。中学のときには、自転車が乗れなかった同級生に、自分の自転車を貸して特訓してあげたという。当時みんなでいつも自転車に乗って集まって遊んでいて、その輪に同級生が加われるように、大林さんが練習に付き合ってくれたそうだ。

 大林さんの同級生:「高校に入るときには、自分から『私をミッキーと呼んで』って呼びかけて。みんなから『ミッキー』と呼ばれるようになりました」「短大に入ってから演劇部に入って、そこから演劇や声優などをしたいと言っていて、短大を卒業してからは、広島の劇団で活躍していると聞いていました」

 しかし、大林さんが20代後半で結婚し、東京に出てからは連絡が途絶えてしまった。大林さんの家族から教えてもらった住所を訪ねてもそこにはいなかった…そのようなことが続き、大林さんと、仲が良かった同級生たちはお互いに連絡を取ることができず月日が経っていった。

 大林さんの同級生:「亡くなったというニュースを見たときは信じられませんでした。でも、『三佐子』という名前に『三』が入っていて、漢字が珍しかったので『ミッキー』に違いないと。路上生活をしていたという話も本当に信じられませんでした」

 大林さんは、東京に出た後、1年くらいで離婚し、一度広島の実家に戻っていた。その後、再び上京し、コンピューター関連の仕事を経て、それ以降はスーパーの試食販売員の仕事をして生活していた。

 ただ、事件のあった頃には、そういった仕事もほとんどできていなかったとみられている。大林さんが亡くなった際に所持していた現金はわずか8円だった。
連絡を取りたくても取る術がなかった同級生は、次のように話す。

 大林さんの同級生:「三佐子が生活保護とかそういったものを受け入れていたら、そんな結果にはならなかったのかなって思ってしまいます。彼女もどうすればいいのかわからなかったんじゃないかな…今回誰も幸せになっていないのでつらいです」

 ■現場近くの商店の息子が起訴されるも突然の“自殺”

 大林さんを殴り死亡させたとして逮捕・起訴されたのは、現場となったバス停のすぐ近くで暮らし、実家の商店の仕事を手伝う40代の男だった。
この元被告の男は、石やペットボトルを入れた袋で大林さんの頭を殴りつけたとされ、逮捕後の警視庁の調べに対し、動機について、「(バス停にいた大林さんが)邪魔だった」、「痛い思いをさせればいなくなると思い殴った」と話したという。

 元被告は今年3月に保釈され、母親と同じマンションで暮らしていた。しかし、初公判を1カ月後に控えた4月8日、マンション近くの路上で死亡しているのが見つかった。

 マンションで保釈後の元被告に会ったという知人の女性はこう振り返る。

 元被告を知る女性:「(保釈後に見たとき元被告は)無表情でね。家に帰ってきたら眠れないので心療内科に行っていると。眠れないからお薬をもらっているという話だった」「(元被告の)母親が、逮捕後は会いに行っても言葉にはならなくて最初は泣くだけだったけれど、このところは話もできるようになった、と話していたところだった。本当にびっくりした」

 捜査関係者によると、元被告の自宅などからは特に遺書は見つからなかったという。

 ■「これで終わりなのか」「悔しくてしょうがない」…残された弟の思い

 大林さんの1歳年下の弟が取材に応じてくれた。大林さんとは、亡くなる6〜7年ほど前に会ったのを最後に会っていなかったそうで、大林さんがホームレスになっていたことも事件の後になって初めて知ったという。

 大林さんの弟:「そこまで生活苦になっていながら、なんで助けを求めてくれなかったのかなと常に思っていますし、今でも思っています。路上生活を送るくらい追い詰められていたのなら、助けを求めに来てほしかった」

 弟は、姉について、「内向きな自分とは反対に、100パーセント表に出るタイプだった」、「とにかく明るくて、自立心が強くて、人に対しては優しい気持ちを持っている女性だった」と語った。

 劇団員時代の大林さんの写真を見てもらった。

 大林さんの弟:「この頃って演劇だとか、結構燃えてやっていましたからね」「改めて見るとかわいいなと。母親似かなと思います」

 舞台『ポセイドン仮面祭』での大林さんの「声」も聞いてもらった。

 大林さんの弟:「…一生懸命やっていたんですね。声聞いたの久しぶりです。姉の声だとわかりますね」

 そして、寂しそうな顔をしながらこう続けた。

 大林さんの弟:「自分としてはどちらかというと敬遠していたほうなんですよ。姉が強すぎて。だからもっと近づいていればよかったなってすごく反省しています」

 裁判に向けて大林さんの人柄などを説明するための文章を書く予定だった。そんな矢先、元被告の“自殺”を検察関係者から突然聞かされた。

 大林さんの弟:「これで終わりなのかという、ぶつけようがない悔しさを感じました。どうして殺したのか、本心を元被告から聞きたかったです」「一言の謝りもないですから。本人から謝罪してもらいたかった」「罪に対してちゃんと償いをしてくれという思いです。本当に悔しくてしょうがないです」

 裁判が開かれていれば、6月1日に「判決」が言い渡されるはずだった。しかし、元被告の“自殺”で事件は突然の「終結」を迎えてしまった。大林さんの遺族や友人たちが「判決」を聞くことはかなわなかった。真相は「闇の中」となり、被害者の遺族や友人たちにはやり場のない思いだけが残った。

(テレビ朝日社会部 尾崎圭朗 山木翔遥 秋本大輔)

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