伝説のラーメン店「福寿」が閉店 ドラマのロケ地にも “最後の一杯”逃した記者は…[2022/06/10 18:00]

◆一歩店に入れば“昭和”へタイムスリップ

東京・笹塚駅前の商店街。平成生まれだから知らないけれど、きっと「昭和」とはこういう佇まいだったんだろうと教えてくれる店がある。1951年創業のラーメン店「福寿」だ。
透き通った醤油スープとちぢれ麺は、口にするたびにほっと温まる優しい味がする。どこにでもありそうだけど、どこにも同じものはないラーメンだ。

ほとんどの客がスープを飲みほし、最後まで味わう。毎日のように通う地元客もいる。
二代目店主・小林克也さん(80)は、45年前に父から店を受け継ぎ、その味を守り続けてきた。いつも、傾いたカウンターの向こう側に立つ。大きな鉄鍋にぐつぐつと煮立つお湯に、ひと玉ずつ麺をくぐらせ、湯切りをしながら、客と軽快に言葉を交わしていた。

そんな名店が、4月24日にひっそりと店を閉じていた。
閉店を伝える張り紙もない。時折、常連客らしき人が店の前で立ち止まるが、普段から営業時間が変わることが多かったので、「きょうはもう閉まっているのか」と言いながら去っていく。

◆「間に合わなかった…」

おととしの暮れ、記者は「コロナ禍の中なのに、今にも潰れそうな古いラーメン店がなぜ生き残っているのか」というちょっと失礼なテーマで、店を取材し、放送した。その後も、ラーメンと小林さんの軽口が恋しくなり、たびたび店にお邪魔していた。だが3月末、いつも通りラーメンを頂いたあとに突然「妃奈子さん、口が堅いから言うけど、ここ閉めることにしたんだよ」と聞かされた。衝撃を受けた。マンション建設のための立ち退きだという。

小林さんは「あなたが潰れそうなんて放送したでしょ?本当に潰れちゃったんだよ」と笑っていた。とはいえ、閉店予定は6月だというので、まだ時間があると思っていた。

ところが、5月に入ってから突然、小林さんからLINEのメッセージが届いた。「お店は4月24日で終わったんですよ」と書いてある。3月末に閉店の予定を聞いたときに、「最終日は取材させてくださいよ」とお願いしたら、「絶対に嫌だ。猫みたいにいなくなりたいと思ってるんだよ」と頑なに拒否されたので、「やられた…」と思ったのは事実。そんなことよりも、閉店直前に「これが最後」という覚悟で、あのラーメンを食べたかった。ただ無念だった。死を悟るといつの間にかいなくなるといわれる猫のように、小林さんは本当に店を閉じてしまったのだ。

毎日のように通っていたごく一部の常連客だけが最後のラーメンにありつくことが出来たらしい。ホームページも、SNSもない店なので、「もう二度と食べられないのか…」、「間に合わなかった!」と無念を感じている人も多いのではないだろうか。


◆黒い服に着替えていた店主・小林さん

72年前に創業してから、街も、人も、ラーメンも変わりゆく世で、何も変わらず、やってくる客を「おかえり」と迎えてきた店が、突然なくなってしまった。閉店から1カ月後、改めて店を訪れた。

笹塚駅から商店街を抜けた端に、年齢を重ねた建物であることが一目でわかるその店は、こぢんまりと、でもどっしりと変わらない姿で残っていた。こげ茶色の木の外壁とくすんだ窓に映えて、いつもパリッと白く、風を受けてはためいていた「中華そば 福寿」の暖簾は、戸の内側にしまわれていた。

時刻は正午すぎ。小林さんには事前に訪れることを伝えていたものの、戸の鍵が開いているか確かめながら、恐る恐る中に入った。その瞬間目に入ったのは、黒いジャケットに黒いTシャツ、黒パンツを合わせた全身黒スタイルの小林さんだった。店に立っていた頃の小林さんの「制服」だった白衣と短パンではなかった。店を閉めたのは冗談で、いつものようにあのラーメンを作ってくれるんじゃないかと淡い期待を抱いていたので、小林さんのそのスタイルを見たときは、少し悲しかった。

「いらっしゃい。本当に来たね」と迎えてくれたが、巨大な鉄鍋にもうお湯は入っていないし、どんぶりも重ねられてカウンターに置かれていた。大型のトラックが脇の道を通るたびにガタガタと揺れる店内で、小林さんに話を聞いた。


◆「半沢直樹」「時効警察はじめました」の撮影も

小林さんは45年間、店に立ってきた。そして今は「何もしない練習をしている」という。やめる時は悲しかったかと問うと、「朝に店をあける準備をしながら死ぬのかなと思ってたけど、それも寂しいじゃない。辞め時がわからなかったから、ちょうどいいかなって」、「老兵は死なず、ただ去るのみ」という答えが返ってきた。

ドラマ「半沢直樹」「時効警察はじめました」や韓国のアクション映画「ただ悪より救いたまえ」など数々の作品のロケ地に選ばれた店だった。CMの撮影も頻繁に行われていた。小林さんは「撮影がないのは寂しいね。ここを撮影スタジオにしようと思ってたのにね」なんて、いつも通りの調子だ。

小林さんの営業スタイルは私の知っているどのラーメン店とも違っていた。客は店に入ったら、小林さんに「ご注文は?」と聞かれるまで、注文をしてはいけない。席に座るなり、注文してしまうと、「後で」とちょっと怒られる。最近は入り口で食券を買う店が多いので、面食らう客が多い。

ラーメンは小林さんがカウンター越しに手渡すが、食べた後は、客は自分でどんぶりをカウンターの内側にある流しに下げる。コロナをきっかけに会計もセルフサービスになっていて、客が出口付近の机にお金を置き、お釣りも自分で計算して机の上からとっていく。小林さんはいちいち教えてはくれないので、初めて来た人が戸惑っていると、客同士で教え合う。年を重ねながらも、1人で営業を続ける小林さんと、負担をかけないように気遣う常連客との阿吽の呼吸で醸成された独特の“しきたり”だった。

最近はネットの口コミに店の評判が左右されやすい。この“しきたり”を知らない一見客が、店主のサービスが足りないなどと悪評を書き込むのではないかと、勝手な心配をしてしまうが、小林さん本人は全く気にしていない。小林さんはおととし、「自分は店に留まって、お客さんが来ては通り過ぎていくだけ。来たい人はくるし、来たくない人はこなくなる。お客さん側が店に合わせていただく」と話していた。小林さんが客に合わせるのではなく、ラーメンを食べたい客が小林さんに合わせる。「猫のように去る」と宣言した小林さんは、最後までこのやり方を貫いたのだ。

◆ラーメンは本当の伝説に
30分くらい話したところで抑えきれなくなった。店が閉まっていることは重々わかっているが、どうしても食べたい。だから「小林さんのラーメンまた食べたいんですよ、作ってください」と思い切って頼んでみた。

小林さんは「かえし(タレ)はあるけど、もうスープも麺もないから」と断ってから、ぼそっと「自分が食べたいんだよね…」と言いながら鉄鍋のほうを見た。少し寂しそうだった。

小林さんは45年間、営業日は欠かさず、開店前にラーメンを食べてきた。客に変わらぬ味を届けるために、続けてきた日課。ただ、作る量が少ないと店のラーメンの味を再現することは難しいのだという。本人が食べたいのに食べられないのだから、もう食べられないことを記者も悟った。あのラーメンは本当に伝説になってしまった。なんということだろうか。
記者がそろそろ店を出ようとすると、小林さんは天井を見ながらこう呟いた。「親父さん(先代)はどう思っているかな」、「もうこんなに続けてきたんだからいいよね」。

テレビ朝日社会部 藤原妃奈子

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