「直したくても直せない…」度重なる地震で被災した福島の観光地 その訳は…[2022/06/26 18:00]

 7月から始まる「全国旅行支援」。全国の観光地から期待の声が上がる一方、客を迎えることができない観光地がある。今年3月、震度6強の地震に襲われた福島県相馬市だ。市内では多くの建物が傾いたり、壁が崩れるなどの被害を受けた。
 実は相馬市、去年2月にも震度6強の地震に見舞われている。その被害から立ち直ったところに再び起きた大きな地震。3カ月経ったいまも、現地では被災した旅館やホテルのほとんどが手つかずのまま、営業できない状態が続いている。
 東日本大震災から11年が経ち、新たな試練に直面する被災地。夏の観光シーズンを前に、なぜ再建は進まないのか… 現地で旅館経営者に取材すると、そこには費用だけではない、「直したくても直せない」事情があった。

◆2年連続の地震被害「修理が完了したばかりで…」
 福島県の沿岸部、相馬市にある松川浦。小さな島が点在する風光明媚な景観は、日本三景の松島にちなんで「小松島」とも称される。その海のすぐ目の前に旅館や民宿、飲食店が立ち並び、釣り客や海水浴目当ての観光客に、人気のスポットだ。

 今年3月16日の地震では東北新幹線が脱線するなど、各地で被害を出したが、松川浦でも旅館やホテルなど24軒が被災し、いまもほとんどが営業できない状態が続いている。
 管野(かんの)正三さん(61)が経営する丸三旅館でも大きな被害が出た。旧館と新館の継ぎ目には大きな亀裂が入り、天井が傾いた。管野さんが「ここが一番ひどい」と見せてくれた階段の壁は、外壁も剥がれ落ち、外が見えていた。

 丸三旅館は、松川浦漁港のすぐ目の前にあり、新鮮な海の幸を使った料理が自慢の宿だ。
管野さんの気さくな人柄も人気で、海水浴客やビジネス客が多く利用していた。

 その管野さんは、松川浦観光旅館組合の組合長も務めている。「うちはまだいいほう」と言い、「去年の地震の修理が完了し、引き渡しが終わったばかりの旅館もあるんですよ」と、仲間の厳しい状況を教えてくれた。去年2月の震度6強の地震でも今回と同じような大きな被害が出た。その被害から立ち直った矢先に起きたのが、今回の地震だった。

◆修理したくても直せない
 管野さんの旅館は、東日本大震災でも被害を受けている。押し寄せた津波で、旅館は2階まで浸水、たくさんの物が一瞬でがれきになってしまった。再建にかかった費用は1億円を超えた。国の補助金や保険金もあったが、その時の借金の返済は今も続いている。

 度重なる地震と、新型コロナの感染拡大は、経営の“体力”を奪っていた。新型コロナの流行が始まり、売り上げは半分以下となった。2年間は貯金や積立金を切り崩し、なんとか営業を続けてきた。去年末に運転資金が底をついたが、旅館の営業を続けていくため、約2000万円を借り入れた。

 去年2月の地震のあとには、客室の修理などに約1200万円がかかったが、国からの補助金などで賄うことができた。今回の地震の被害についても、国は同様の補助金の申請の受付を始めている。管野さんは「資金繰りに困っていたので、本当に助かる」と話す一方、「申請したくてもできない状況が続いている」と教えてくれた。

 背景にあるのは、修理を行う建設業者の不足だ。補助金の申請には、修理にどのくらいの費用がかかるかという見積もりが必要だが、地震から3カ月が経っても、業者の見積もりは出ていない。管野さんは業者から、「県内全域で修理の工事が入っていて、順番待ち」と言われている。
 3月の地震で被災したのは相馬市だけではない。福島県によると、県全体で、住宅だけでも2万7000棟を超える被害が出ている。(6月22日時点)組合の仲間の旅館でも同様のことが起きていて、中にはボイラーなどの資材がなく、工事が始まらないところもあるという。

 管野さんは業者から、「7月末には見積もりが出せる」と言われた。その後に、補助金の申請をしても手元に届くのは、さらにその先…。工事が完了し、営業を再開できる見通しはまだ立っていない。「そうこうしているうちに、夏が終わってしまうね」と管野さんは苦笑いした。

◆「いまはただお客さんが通り過ぎていくだけ」
 相馬市と隣の南相馬市では、7月下旬に「相馬野馬追(のまおい)」という伝統行事が開催される。3日間、甲冑競馬や神旗争奪戦が繰り広げられ、新型コロナの感染拡大前は、全国から約16万人を超える人が訪れていた。「野馬追に合わせて宿泊したい」という客からの問い合わせは、管野さんの旅館にも多く寄せられている。
 東日本大震災以降、松川浦には、復旧工事の作業員など仕事で宿を利用する人も多くなった。まとまった人数が、1カ月単位で宿泊する彼らの存在は、旅館やホテルの大きな収入源となっていた。3月の地震のあとも、彼らからの問い合わせが相次いだ。

 しかし、旅館は被災したまま。3カ月間、客を迎えたくても迎えられない状況が続いている。去年2月の地震の際は、修理を終え、2カ月後には営業を再開できた。だが、今回はその見通しすら立てられていない。「いまはただお客さんが通り過ぎていくだけ」、「指をくわえて見過ごすしかない」と管野さんは肩を落とす。
 新型コロナで打撃を受けた観光業を支援しようと、全国各地で宿泊割引「県民割」が行われている。さらに、国は7月から対象地域を全国に拡大する。各地の観光地から期待が寄せられる一方、松川浦のような「客を迎えられない観光地」もある。この状況をどうみているのか、管野さんに尋ねると「もうずっと県民割どころじゃないって感じだよね」という答えが返ってきた。

 旅館の中には、業者の修理を待たず、自分たちで修理をしたり、被害の少ない客室だけを使ったりして、一部の営業を再開したところもある。しかし、管野さんの旅館と同じように、被害が大きすぎて、修理を待つしかないという旅館やホテルがほとんどだ。仲間の旅館経営者たちは、「自分の力ではどうしようもない」、「仕事ができない自分に苛立つ」と暗い表情ばかり。何もできずに過ぎる日々に管野さん自身も「歯がゆい」思いを抱えている。

◆「動いていたらなんとか…浜根性で乗り越えたい」
 一方、「このまま何もしないわけにはいかない」と管野さんは動き出している。被災した旅館やホテル、民宿を回り、何かできることはないかと声をかけ続けている。高齢の経営者に国の支援策を伝えたり、申請の準備をサポートしたりするなど、一緒に今できることに取り組んでいる。子どものころから、ずっとそばにいる松川浦の仲間たち。「組合どうこうではなく、『あんにゃ(兄貴)』、『ねえちゃん』たちだから。」と、管野さん。東日本大震災で、焼け野原のようになった地域を元の姿に戻そうと、仲間ともに歩んできた。震災後に、作った地域の青写真を、目を輝かせながら見せてくれた。

 動き出したのは、管野さんだけではない。旅館などの若き経営者たちも建物が使えなくてもできることをやろうと立ち上がった。東日本大震災の前、松川浦の各旅館の店先には、炭火で焼いたイカやカレイなどに甘辛い秘伝のタレをつけた『浜焼き』が並んでいたという。松川浦一帯に香ばしいにおいが広がり、潮干狩り客などが次々に買い求めていったそうだ。若い経営者たちは、この『浜焼き』が松川浦に客を呼び込むきっかけになればと、県内外で販売イベントを行っている。各地のイベントで行列ができるほどの人気ぶりだ。

 度重なる地震に、思うように進まない旅館の再建。しかし、管野さんは「動いていたら、なんとかなる。浜根性で乗り越えたい」と前を向き続ける。取材の最後、管野さんが言った「これからも松川浦を見続けてよ」という言葉が、力強く耳に残った。

テレビ朝日報道局 笠井理沙

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