1963年 夢の超特急 走行試験で世界記録「貴重な映像」徹底的に解剖[2022/08/19 21:00]

1964年(昭和39年)10月1日に開業を控えた東海道新幹線。
高速で、しかも乗客にとって安全な乗り心地を追及するため、新しい技術も取り入れ、走行試験が繰り返し行われました。
開業の前年、ついに実際の0系の営業速度を超える世界最高記録を打ち立てるに至ります。

映像を「詳しい人」が徹底解剖します。


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1964年10月開業の東海道新幹線は、世界初の時速200kmを超える営業運転を目指し、スピードテストが繰り返し行われました。

1963年(昭和38年)3月19日、試験車両が鴨宮を出発。

運転室に詰めた乗務員が進行方向を見つめます。

車両は、高速のままトンネルに突入、その瞬間の揺れや安全性をデータで確認します。


速度計が時速243kmを示しています。
トップスピードで相模川を跨ぐ鉄橋を走り抜けます。

この日、豊田本郷と金目川の間で、8日ぶりに日本の鉄道スピードの新記録を更新しました。

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1962年6月から行われていた試験車両での速度試験。
最後のテストは1963年3月30日、神奈川の小田原-綾瀬間を結ぶ32kmの試験線で行われました。


乗り心地は上々のようで、人々は車窓からの景色を楽しみました。

速度計が時速250kmを示しています。
空には、新幹線に併走する飛行機がみえます。

速度計は時速256km、ついに飛行機を追い抜きました。

当時の“機関車が牽引しない電車”としては世界最高記録でした。

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およそ2カ月後の6月6日、小田原市の鴨宮基地です。

皇族をお迎えしての綾瀬までの30kmを往復します。


高松宮ご夫妻、秩父宮妃、三笠宮妃、4殿下が試乗されています。

“夢の超特急”の開業時の実際の運転速度、時速210kmのスピード感を味わわれました。

石田礼助 国鉄総裁です。

皇族方は運転席も楽しまれました。

新幹線は、耐久性の調査などを進め、翌年(1964年)秋の開業に備えます。

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詳しい人:テレビ朝日 報道局編成デスク 荒木基

映像のチェックポイント!

◆“B編成”試験車両での走行テスト。

◆通常とは違う右側の線路を走行

◆時速243km、250km超での試験走行
0系電車は時速210kmで営業運転していたので、それよりも早い速度でのテスト。
当時の世界記録。
営業速度より余裕を持たせて走れることを証明していた。

◆B編成の台車カバーが外されている
わざと車両の下部分のカバーを外して試験走行していたのではないか。
営業運転の0系電車ではみられない。

◆B編成の先頭部分の列車番号
ヘッドライトと運転席の入口の間に四角い窓で列車番号を表示。
列車番号の窓はB編成にしかなく、営業運転ではなくなった。
昔、列車番号のある新幹線のおもちゃが結構出回っていた。

◆プラグドア
運転席の出入口の後ろに“ふさがれたような跡”。
B編成の車両自体は現存しておらず貴重な映像。
車体の外側に飛び出し、空気抵抗を抑え速度を上げる仕組み。
0系には採用されず引き戸の形が採用された。

◆窓の形
長方形をしていることから、皇族が試乗したのは完成した営業運転用の車両ではないか。
B編成では様々な形の窓を試し、最終的には長方形の窓になった。
座席の様子から当時の1等車(現在のグリーン車)に試乗されている。

◆新幹線車両の新技術
トンネルの中に入ったときに空気の気圧が変わらないよう車内の気圧を一定にする「気密構造」になっている。
それが乗客の耳などの体や、乗り心地などに影響はないかといった試験を開業前にやった。

◆従来の「機関車方式」と新しい「電車方式」
ヨーロッパでは「機関車」が客車を引っ張る「機関車方式」が主流だった。
日本では、終点に着いたときに「機関車」を付け替えるのが手間だと考えられた。

当時、各車両にモーターを載せる「電車」よりも、先頭に「機関車」を付けて全体を引っ張るほうが乗り心地が良いと考えられていた。
実際に「電車方式」で特急「こだま号」を走らせてみたら、騒音も乗り心地にもそこまで影響ない。有効だと実証された。

東京-大阪間を走る列車「東海道新幹線」を「電車」で作ろうということになった。

「電車方式」でこれだけの速度を出し、当時の世界最高記録を打ち立てた。
「電車」で高速で列車を走らせるという発想がそれまであまりなかった。

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