関東大震災99年 虐殺被害の朝鮮出身者を“舞で追悼”[2022/09/03 23:28]

 首都圏に甚大な被害をもたらした関東大震災から1日で99年が経ちました。当時、虐殺されたとされる朝鮮半島の出身者を追悼する式典が開かれました。

 3日、東京・墨田区八広の荒川の河川敷に在日韓国人など300人を超える人が集まり、朝鮮半島の伝統的な踊り「プンムル」で犠牲者をしのびました。

 この河川敷では当時、「震災翌日ごろに朝鮮半島出身者が何人も銃で殺された」との複数の証言がありました。

 当時の報道などによりますと、遺体は一時、河川敷に埋められましたが、その後に警察がまとめて持ち去ったとされ、今も特定につながる手掛かりはありません。

 当時「殺害」を目撃したという近隣住民の男性:「(軍隊らしき人が)川の方に向けておいて、土手から銃で“バラバラッ”と撃ったんです。その騒ぎ(の原因)が半年くらい経ってデマだったのがしっかり分かりました。(朝鮮半島出身者により)井戸がなくなったとか爆弾でやられたとか火を付けられた人とかを見たこともないわけでしょ。(デマと知った)その時の気持ちは何とも言えない気持ちだったんです。供養してあげられたなら、こんなに良いことはないと思います」

 今も親族の行方が分からないという女性がANNの取材に応じました。

 伯父(おじ)を亡くしたとみられる金道任さん:「『被害』の話を聞いたのは多分、5歳前後だったと思うんです。(母親が)独り言、自分自身に話し掛けるように『兄が行方不明になった。関東大震災で』と。子どもだから質問もできなかったけど、(怖くて心に)グサッときたんです」

 在日韓国人2世の金道任さんは33歳の伯父が地震の直後に東京に向かってから行方が分からなくなり、今も手掛かりがありません。

 金さんは30年ほど前に虐殺事件の研究に触れて、「どこかで殺害された可能性」に気付いてから追悼式典に参加するようになりました。

 金道任さん:「絶対に繰り返しちゃいけませんね!私が生まれた日本、祖先が生まれた朝鮮半島、仲良くしてもらいたいのが私の希望です」

 朝鮮半島出身者の殺害について、政府は2008年に犠牲者は他の国籍も含めて1000人を超えるとする見解を示しています。

 ただ、公式な記録は乏しく、当時を知る人も次々に亡くなっているため、追悼式典では若者たちが「今後も歴史を語り継ぐ」と決意を表明しました。

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