「オレンジ色の光が…」目撃者相次ぐ町のUFO施設 “本気”を出したら来館者が急増[2022/10/02 10:00]

未確認飛行物体UFO。謎に包まれた存在をコンセプトにした国内唯一の公共施設「UFOふれあい館」が福島市飯野町にある。地域の町おこしとして開館して以来30年、「特に何もしてこなかった」という施設だが、30周年を機に町の人たちが突如、“本気”を出す。
雑誌「ムー」の名物編集長を招くなど様々な施策を繰り出すと、来館者は急増。施設はこれまでにない盛り上がりを見せている。

■町民が次々に“眩しい光”を目撃 はじまりは“UFOブーム”に乗っかった町おこし
「オレンジ色の光が出てきて、とにかくびっくりした。眩しくてこの世のものではないと思った。」そう話すのは、福島市飯野町に住む三浦宏二さん(65)。45年前の10月、当時20歳だった三浦さんは、稲刈りを終え、バイクで帰宅していた。時刻は午後5時ごろ、街灯はほとんどなく、辺りは薄暗かった。カーブを曲がり、自宅が見える道に出た途端、目の前に眩しい光が広がった。自宅裏にある千貫森(標高462・5m)の真上に、30個ほどの細長い光が見えたのだ。音は何もせず、光の集団が三角のような形を作りながら、ゆっくりと三浦さんの頭上を飛んで行ったという。自宅に戻り家族に話すと、家族も同じ光を見ていた。

三浦さんはそれまでUFOの存在を信じていなかった。しかし、これまで見たことのない強烈な光を前に、三浦さんは「間違いなくUFOだ。」と思ったという。「その時からもうUFOはいるものだと思って信じています。人に話すと嘘だと言われることもあったけど、実際に見たので嘘ではないと」。

飯野町では、三浦さんのような体験をした人は少なくない。三浦さんが眩しい光を目撃した時期、町内では同じような目撃証言が相次いでいた。週刊誌や専門誌で特集記事が掲載されるほどだった。当時国内では、ピンク・レディーの「UFO」がヒットしたり、たびたびUFOの特別番組が放送されるなど「UFOブーム」が起こっていた。

そのブームに目をつけたのが、町役場だった。人口7000人ほどの小さな山間の町に、これと言った観光資源はなかった。竹下登内閣の「ふるさと創生事業」で受け取った1億円の使い道を検討していた町は、町内で目撃者が相次いでいたUFOに目をつけたのだ。

1992年、福島市に合併される前の飯野町は、総工費2億7600万円をかけ、「UFOふれあい館」を建設した。
八角形の建物の1階には、UFOの模型や宇宙人の人形などを並べた展示室。2階には地域の憩いの場となるような大浴場や和室が設けられた。しかしこれといった目玉はなく、当時の新聞記事には、町民からの「中途半端」や「公民館の域を出ない」などの批判の声も出ていた。

■UFOの専門家集め「研究所」を設立 国内外から目撃情報続々
「UFOふれあい館」は今年、開館から30年を迎えた。来館者は毎年1万人ほど。目撃情報の多さや、UFOの研究家から譲り受けた資料などを展示していることなどから、テレビや雑誌にも取り上げられてきた。そのおかげで、毎年全国からUFOファンが訪れているという。これまで大きな赤字を出したことはなく、細々と運営されてきた。

しかし、1年ほど前から来館者が急増。今年4月からの5カ月で来館者は1万2000人を超え、開館以来初めて年間2万人を突破する見込みだ。
「今年に入り、UFOにあまり興味がなかったという人がたくさん来ています。」と話す、菅野利男館長。
これまでと違う客層の来館者が増えた背景には何が…。
そこには菅野館長をはじめ、町の商工会のメンバーなどのこれまでにない動きがあった。

菅野館長は「この30年間、特に何もしてこなかった。30年もよくやってこられた。」とこれまでを振り返る。開館30年を迎えるにあたり、菅野館長や町の商工会のメンバーは、UFOを通して町にさらなる賑わいを作りたいと考えた。「UFOの里いいの聖地化プロジェクト」を立ち上げ、県や市の担当者にも協力を求めたのだ。

これまで多くの町民が目撃している「光」は何なのか。その正体に迫るべく、UFOの専門家などを集め「国際未確認飛行物体研究所」を設立した。UFOなどの超常現象を扱う雑誌「ムー」の三上丈晴編集長を所長に招き、「ムー」とコラボしたグッズの販売も始めた。国内初、そして唯一のUFO研究所としてテレビや新聞などでも報じられた。すると来館者はみるみる増加。研究所を設立した去年、来館者はこの10年で最も多くなった。
さらに今年に入ってからは、研究所の活動を活発化させた。国内外から集められたUFOの目撃情報を独自に分析。設立から1年が経った今年6月には、研究成果として、寄せられた約450点の写真や動画から、「極めてUFOの可能性が高い」とする4点を公表した。

阿曽隆一プロジェクトリーダーは、「大きな成果があった。」と笑顔を見せる。研究成果の公表以降、阿曽さんの元には、国内外から続々と目撃情報や写真、動画が寄せられているという。「最近見たというものもありますが、60代〜70代くらいの人が子どもの頃に見たという話も寄せられています。今までどこにも言うところがなかったという人が多い。そういう人は潜在的にたくさんいると思うんです」。

公共施設としてこれまで大きな変化なしに運営されてきた「UFOふれあい館」。町の人たちを中心に本気を出して動いた途端、来館者が急増したのだ。また、タイミングよく発表されたアメリカのUFOに関する報告書が、さらなる追い風となった。

■「運命的なタイミングだった」米の“UFO報告書”公表
「すごくタイミングが良く注目されたっていうのはありますよね。まさに運命的。宇宙人がやったんじゃないんですかね。(笑)」そう話すのは、雑誌「ムー」の編集長で、国際未確認飛行物体研究所の三上所長だ。

タイミングとは、研究所の設立と、アメリカの発表の時期だ。研究所の設立は去年6月24日。その翌日6月25日、アメリカの情報機関のトップ、国家情報長官室は、UFOに関する報告書を公表した。これまで軍などから報告があった飛行現象について、そのほとんどが説明が難しいものとし、科学的に説明できない特異な動きもあったとした。

「アメリカはUFOの存在を認めたということです。正体は分からないけれど、何かがいることは間違いないと。この発表の前と後では、UFOに関する風向きは全く違う。」と三上所長は言う。アメリカではその後、議会で50年ぶりにUFOに関する公聴会が開かれ、国防総省が調査部署を新設、さらにNASAも調査に乗り出すなど、活発な動きが出ている。
一連のアメリカの動きのおかげもあってか、三上所長のもとには海外のUFO愛好家などから、研究所や「UFOふれあい館」がどんなものなのか、という問い合わせが寄せられているという。

■“宇宙人”の目撃情報も!? なぜ飯野町で相次ぐのか
そもそもなぜ飯野町周辺ではUFOの目撃情報が相次いでいるのか。三上所長は、目撃情報が多く聞かれる場所には特徴があるという。
「世界的にもUFOが出る場所は偏りがあるんです。山とか火山とか、遺跡があった場所とか。はるか昔に信仰の対象になっていたようないわゆるパワースポットで、UFOは多くみられています」。
そして飯野町が、正にその特徴に当てはまっていると説明する。
「飯野町の目撃情報の多くは、千貫森の周辺です。千貫森はピラミッドのような形をしていて、山の中には磁力を持った非常に珍しい石もある。ある種のランドマーク的な役割を果たしているのかもしれないですね」。

三上所長は、飯野町は全国的にもUFOを目撃した人の数が多く、内容が濃い情報が多いという。そこでこんな疑問を投げかけてみた。
「ゆくゆくは、飯野町で“UFOに乗っている何か”を見られる可能性はありますか?」
すると、三上所長は「もう宇宙人のようなものを見たという情報もある」と教えてくれた。さらに「話はもう結構聞いています。ただ写真や動画がない。これからはそういうものを集めたいですね。」と続けた。

これまでにない盛り上がりを見せる「UFOふれあい館」。研究所の活動などを通して、UFOの正体、さらには中に乗っているかもしれない何か、に迫ることができれば、今後もさらなる注目を集め、町に大きな賑わいをもたらしてくれるかもしれない。

テレビ朝日報道局 笠井理沙

こちらも読まれています